「聖ピオ十世教皇の祝日を準備して祝う」 聖ピオ十世教皇の生涯
2025年9月1日
トマス 小野田圭志神父説教 北海道(札幌)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
明後日9月3日は、聖ピオ十世教皇様の祝日です。聖ピオ十世教皇は、聖ピオ十世会の守護の聖人ですので、聖ピオ十世教皇様の生涯を一緒に黙想して、その後、遷善の決心を、私たちにとって、いったい何をすべきかということを黙想いたしましょう。
私たちは、聖人として生まれるわけではありません。原罪を持って罪人として生まれますが、天主の御助けによって、マリア様の御取次の助けで、聖人になるべき者として生まれてきます。天国に行くために生まれてきます。聖ピオ十世も同じでした。
では、聖ピオ十世教皇が教皇として列聖されて、教皇のモデルとして、模範として私たちに提示されましたけれども、いったいその聖徳の源はどうだったのか、あるいは司祭として、どのような生活をされたのか、あるいは司教、教皇としてどのようなご生活を、何をされていたのか、最後に私たちにとってどのような意味があるかを黙想いたしましょう。
教皇聖ピオ十世(ジュゼッペ・サルトGiuseppe Sarto)は、1835年にリエーゼ(Riese)というところに生まれました。非常に貧しい家で、そしてお父さんは郵便局で働いていました。聖ピオ十世(ジュゼッペ・サルト)は、10人兄弟のうちの2番目の子供として生まれます。最初の子供は、若いうちに、小さいうちにすぐ亡くなってしまうので、実質上、ジュゼッペが長男としての存在を持っていました。サルト家では、非常に信心深くて、そして聖ピオ十世は特にその母親(Margherita Sanson)から信仰を学びました。天主への愛、あるいは、隣人に対する愛徳、また犠牲の精神、これは母から伝えられたものでした。特に10人兄弟の子供のうちの長男として、一番のお兄さんとして、多くの犠牲を捧げることを子供のうちから学んでいました。貧しいにもかかわらず、10人の子供を産んだこのサルト家も、犠牲の精神に、天主の教会への愛に、また天主の掟に対する忠誠に非常に優れていた家族で、と言わなければなりません。ジュゼッペは家族と一緒にリエーゼにあったチェンドロレのマドンナの聖地(santuario della Beata Vergine delle Cendrole)によく巡礼に行きました。ここでは今でも巡礼地として、聖ピオ十世が幼いときから頻繁に訪れた巡礼地として有名です。家庭では母親から信仰を学び、そして天の御母マリア様から、特別なイエズス・キリストへの愛と、超自然の召命の召し出しを、司祭の召命のお恵みを頂きました。
ジュゼッペ・サルトの家族は、非常に貧しかったと申しましたけれども、彼はたとえば、毎朝6キロの道のりを歩いて学校まで通わなければなりませんでした。帰ってくるのも6キロでした。しかも家に負担をかけないために、靴は履かずに裸足で、靴を長持ちさせるために裸足で毎朝学校に通ったと伝えられています。
また、お昼のお弁当も非常に貧しくて、同級生からいつもからかわれていた。しかし、ジュゼッペはなんの文句も言わずに、先生にもそれを告げ口もせずに、それを黙ってニコニコとしてお捧げしていたとのことです。
ジュゼッペが非常に優秀な頭の良い子であるということに気付いたので、彼は司祭になるように、神学校に行くようにと勧められました。そこで、やはりリエーゼ出身のジャコモ・モニコ枢機卿(Giacomo Monico 1776–1851)、ヴェネツィアの枢機卿によって助けられて、神学校に行くようになりました。
そのとき、17歳のとき、サルト、聖ピオ十世のお父さんが亡くなります。1852年のことでジュゼッペにとっては17歳のことでした。家族の大黒柱が亡くなり、9人の子供をどのようにして育て上げるか、このすべてはお母さんの手にかかっていた。ジュゼッペはこのまま勉強を続けていくことができるだろうか、それとも勉強をやめて、働いて家族を養わなければならないだろうか。そのとき、非常に寛大で親切な主任司祭が、このサルト家を助けて、ジュゼッペが神学校で勉強を続けていくことができるように助けてくれました。ドン・ティト・フザリーニ神父 (Don Tito Fusarini, 1812 - 1877)です。
では、ジュゼッペ・サルトの司祭生活はどうだったでしょうか。1858年、司祭として叙階されたジュゼッペは、非常に親切で、そして特に貧しい人々、貧しい家族、病気の人に対して特別の寛大さと愛徳と優しさに満ちた司祭でした。またいつも朗らかで、非常に明るい性格で、その微笑みは皆にすぐに伝染する、伝わる喜びを持っていました。これはジュゼッペ・サルトが、いつも主に信頼して、主を信じて、そしてイエズス・キリストに対する愛、またいつもイエズス様との一致の結果、自然に滲み出てきた喜びと幸せの結果でした。1873年には、コレラが多くの家族を死に至らしめていましたが、そのときには我を忘れたかのように、日夜その病気の人々を訪問し、終油の秘蹟を施し、告解を聞き、そして霊的に助け励まし、慰め、天国への旅路を助けていました。
ジュゼッペ・サルト神父にとって一番大切だったのは、信仰を伝えて、そして特に美しいミサ典礼によって信仰を伝え、イエズス様に対する御聖体に対する愛を増し、人々を聖化することでした。
では、サルト司教として、あるいは教皇として、どのような生活を、何を求めていたでしょうか? ジュゼッペ・サルト司教は、まずマントヴァ(Mantova)の司教として、次にはヴェネツィアの総大司教として、次に枢機卿として何を一番求めていたかというと、聖なる司祭をつくるということでした。司祭の聖化でした。聖なる司祭がいなければ、教会を聖とすることはできない、人々を聖なるものとすることができない、ということでした。
ですから、カトリック教会への愛のために、聖なる司祭を、多くの聖なる司祭を教会に与えたい、それが司教としての願いでした。すべての働きでした。ですから、司教館に住むというよりは、神学校にいつも住んで、神学生の指導をしたり、あるいは、神学校の教授が聖なる教授であって、聖なる司祭であって最高の司祭が、神学校の養成にあたるように心を配っていました。サルト司教あるいは大司教、枢機卿の最も心を砕いたことは、司祭の養成でした。教会にイエズス・キリストを与える、司祭を与える。イエズス・キリストを愛し、イエズス・キリストに学ぶ、イエズス・キリストのような司祭をカトリック教会に与える。これが司教としてのサルト、ジュゼッペ・サルトの唯一の望みでした。教皇としてこれを続けていきます。
レオ十三世は亡くなり、そしてコンクラーベが開かれたとき、またすぐ戻ってくると、ヴェネツィアの教区民に約束したまま、結局ヴェネツィアには一度も戻らぬ人となりました。コンクラーベで教皇として選ばれて、その教皇職を受けるのは非常にその当時困難であって、大きな十字架であると知っていましたが、自分にとっての受難のカリス、苦しみのカリスであると知っていましたが、それが主の御旨だとわかったとき、それを、涙をもって、十字架として、このカリスを飲み干す決心をして教皇職を受けました。
そのとき何を決心したかというと「すべてをキリストにおいて復興させる」
自分は誰それのものではなくて、イエズス・キリストのものである。イエズス・キリストだけが私のすべてだ。それが教皇としてのサルト、ジュゼッペ・サルトの決意でした。
なぜ、そのとき教皇となるのが非常に大きな苦しみだったのでしょうか。
何故かというと、フランス革命の原理が、ヨーロッパ中に、そして世界中に広がっていたからです。そして、それが人々の考えを支配していたからです。
それはどのような考えかというと、罪からの自由ではない別の自由、つまり、天主やあるいは天主の掟からの自由、あるいは、天主の御前における、天国に行くためには、金持ちも貧しい者も、王も奴隷も、男も女も、同じ掟を守らなければ、同じ信仰を持たなければならない、同じように天主イエズス・キリストを愛さなければならないという平等ではなく、この社会の天主の秩序のない、男も女もない、親も子供もない、何の秩序もない、平等、あるいは天主の御父なる、天主のもとにおける兄弟姉妹の愛ではない、天主のいない博愛、天主御父のいない兄弟愛というフリーメイソンの思想が支配していたからでした。
これを、このような思想をヨーロッパ中に拡散させようとしていた秘密結社があります。それはフリーメイソンで、特にイタリアではアルタベンディータ(Alta Vendita)という秘密結社がありました。彼らは何をもくろんでいたかというと、ついにはカトリック教会を破壊する、内部から崩壊させる、ヴォルテール、あるいはフランス革命がやろうとしていたことにかこつけて、この地上からキリスト教という概念さえも抹殺させようとしていました。それに教皇は立ち向かっていかなければなりませんでした。キリスト教会を、キリストの教会を、イエズス・キリストの立てた教会を守っていかなければなりませんでした。
敵は外部だけではありませんでした。教会の内部にも染み込んで浸透していました。それは異端説でした。イエズス・キリストが真の天主、真の人であるということを否む異端説がありました。ピオ九世はすでにそのことを指摘して『クァンタ・クラ(Quanta cura)』あるいは誤謬表(シラブス Syllabus)と言われたものでそれらを排斥していましたが、それが近代主義という異端をもって、すべての異端の肥溜めと、どぶ水の溜まり場(たまりば)と言われる近代主義になってしまいました。それが教会の内部を浸透しつつあり、人々の信仰を侵していました。フリーメイソンに侵された社会の上層部は、特にフランス共和国においてカトリック教会を破壊しようと試みました。それが1905年にまず勃発しました。一方的に、フランスとバチカンとの間に、聖座との間に結ばれた政教条約(コンコルダート)をフランスが放棄しました。破棄して、そして教会の財産を没収すると宣言しました。そして教会の修道会あるいは修道院それらを、フランスの法律によって、たとえばスポーツクラブとか、あるいはその他、市民の団体と同じように扱う、フランス共和国がそれを支配する、コントロールする、もしもそうでなければ、財産を没収するし、その他、多くの制裁を行うと言っていました。フランス共和国はそのとき、それを恐れて没収されないために、司教たちはその通りに従うだろうと思っていましたが、そのときに声を上げたのが聖ピオ十世教皇でした。そのときにフランス共和国のもとで働いていた司教たちに、そして司祭たちにまで言ったんです。
「私たちは、フランスが生み出した偉大な聖ジャン・マリー・ヴィアンネ、アルスの聖なる司祭、聖なる主任司祭を見よう」と。「私たちは、たとえ貧しくなっても、たとえ教会が奪われても、たとえ財産が没収されても、イエズス・キリストに従って、フリーメイソンの脅迫には従わないようにせよ」と。「私たちは、自由にイエズス・キリストを宣教する方が、たとえ貧しくてもその方が良い」と。
その聖ピオ十世の号令によって、教会の財産が没収はされましたが、しかし教会は自由を保ち、そして共和国はそれに対して非常に驚きました。まさかそのような反応をするとは思ってもおらず、そしてそれ以上のことは何もすることができませんでした。
聖ピオ十世教皇様は、教会の内部に対しては何をしたかというと、正しい信仰を、イエズス・キリストに対する信仰を伝えるために『パッシェンディ(Pascendi Dominici Gregis)』近代主義に対する排斥の回勅を書いて、そして近代主義を教会からなくすように努めました。
それから、聖なる司祭を与えるために『ヘレント・アニモ(Haerent animo)』という回勅を自らの手で書いて、司祭がイエズス・キリストについてよく知らなければならない、神学の勉強を続けなければならない、あるいは祈りの生活をしなければならない、黙想の生活をしなければならない、どのような司祭でなければならないかということを、父として書きました。教会に聖なる司祭を与えなければならない、聖なる司祭とならなければならない。
それから信徒たちについては『ローマ公教要理詳説』という、聖ピオ十世の公教要理と言われる本を出版しました。子供たちがこの公教要理を学んで、イエズス・キリストに対する知識を深めるように。
「あなたはカトリック信者ですか?」
——はい。私は天主の御恵みによってカトリック信者です。
という問答から始まる公教要理です。
そればかりではありません。知識だけでは足りないと知っていました。もちろん、正しい信仰は大切ですけれども、それだけでは足りません。何故かというと、私たちは、社会は多くの罪への誘惑に、悪への傾きに染まっているからです。私たちにとって何が必要かというと、天主の聖寵であって、イエズス・キリストの御助けです。
そこで、聖ピオ十世は、多くの人々が御聖体拝領をしていないということを何とかして直し、子供も御聖体拝領をすることができるように、そして毎日でも御聖体拝領をすることができるようにと、御聖体拝領を勧める回勅を書きました。それによって、私たちがイエズス・キリストを礼拝して、イエズス・キリストを拝領して、悪に対して抵抗力をつけて、天国への道を確実にするためでした。典礼を美しくするためにグレゴリオ聖歌を復興させたのも聖ピオ十世です。
こうして1914年には、教会に対する愛に燃えつつ、そして、それにもかかわらず世界が第一次世界大戦に突入するのを見て、その苦しみのあまり、聖ピオ十世は霊魂を天主にお返しいたしました。すべてはイエズス・キリストへの愛のため、教会への愛のため、聖なる司祭を与えるためへの奉仕の一生でした。
では、私たちにとってどのような意義があるでしょうか。
聖ピオ十世は、私たちにまず信仰が、イエズス・キリストに対する正しい信仰が、その信仰を伝えることが必要であると教えています。真の天主にして真の人であるイエズス・キリストへの信仰です。イエズス・キリストについてよく知り、公教要理をよく知り、イエズス・キリストに対して祈り、黙想し、信仰生活をするということです。
今この世界が物質の世界で、物質だけだ、おもしろおかしく、エンターテインメントだゲームだ、その他お遊びだ、おもしろおかしく快楽を求めていれば良いんだ、すべてはお金だという風潮になびいているかもしれませんが、聖ピオ十世は「いや違う、信仰だ。私たちはこの地上に、天国に行くために生きている。その天国への道を教えてくださるのが、道・真理・命であるイエズス・キリスト。イエズス・キリストに対する信仰が必要だ」ということです。また、聖ピオ十世教皇様は、私たちにそのイエズス・キリストと信仰を与えてくださる聖なる司祭が必要だと教えています。
最後に、私たちは聖ピオ十世の取次によって、聖なる司祭が多く与えられるようにお祈りしましょう。私たちの霊魂を導き、私たちの救霊を愛し、そのために命を懸けて霊魂の世話をする良き牧者イエズス・キリストにならう牧者、聖なる司祭ヴィアンネ神父様にならう司祭、御聖体を愛する司祭、マリア様を愛する司祭、またそのような司祭が、日本から生まれますように。多くの若い青年たちが、聖ピオ十世教皇様の模範にならって、聖なる司祭となりたいという熱意に燃えることができるようにお祈りいたしましょう。マリア様に御取次を願いましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。