「聖ピオ十世教皇の祝日を準備して祝う」 「全てをキリストにおいて復興させる」とは?
2025年9月3日 教皇証聖者聖ピオ十世の祝日
トマス 小野田圭志神父説教 北海道(根室)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は、聖ピオ十世教皇の祝日です。今日この聖ピオ十世教皇様のミサを、日本の最も東、根室、ここ根室で捧げることができて、非常に感謝しています。聖ピオ十世教皇様は、日本を特別に愛しておられました。日本の聖化のために、日本の回心のために、イエズス会を送って、上智大学をつくるようにと言いました。その聖ピオ十世のこのミサが、太陽が最も早く上がるこの根室で捧げることができて、心から感謝します。
聖ピオ十世様が教皇位に登位されて、登られて、その最初の言葉は、「すべてをキリストにおいて復興させる」ということでした。すべてをということは、私たちの良心、私たちの心、私たちの知性、私たちの意志、私たちの、私の個人的な生活のみならず、家庭生活、社会生活、国家、芸術、文化、音楽、法律、裁判所、学校すべて、私たちの人間の生活のすべてをキリストにおいて復興させる、ということです。
何故ならば、イエズス・キリストこそが真理であり、道であり、命であって、イエズス・キリストに従うことが、まさに私たちの本当の幸せ、この地上での幸せと、永遠の幸せの唯一の道であるからです。私たちの本当の幸せのために、全世界の人々の幸せのために、すべてをキリストにおいて復興させなければならないと。これをモットーに教皇の仕事をされました。
そして列聖されて、そして二十世紀を飾る、私たちの道を照らす方となりました。聖ピオ十世教皇様が、すべてをキリストにおいて復興させるとおっしゃったときに、それには二つのことが込められています。それは、イエズス・キリストこそ生ける天主の御子、真の救い主、真の天主、真の人となった真の天主だと宣言することです。そうでなければ、すべてをキリストにおいて復興させるなどと言うこともできません。真の天主であるから、真の救い主であるから、真の私たちにとって唯一の道であるからこそ、キリストにおいて復興させなければなりません。
ちょうど「他の人々は私のことを何と言うのか」と問うて「ある人は預言者、ある人はエリア、ある人は洗者ヨハネ」と弟子らが答えたとき、イエズス様が「おまえは私のことをなんと言うのか」とシモン・ペトロに問うと「あなたはキリスト、生ける天主の御子です」と答えました。そのときイエズス様は、「おまえはペトロだ。私はこの岩の上に私の教会を立てよう。そして地獄の門もこれに打ち勝つことはできない。世の終わりまで、私はおまえたちと共にいる。」と話されました。
まさにイエズス・キリストの信仰において、聖ピオ十世はこの教皇職を実現させようとしたのでした。兄弟たちの信仰を固めようと、キリストにおける信仰を固めようとしました。
もう一つの、このモットーに込められたもう一つの意味は、イエズス・キリストをすべてに超えて愛するということです。
復活された後に、イエズス様はペトロに聞きます。三度聞きます。
「おまえは私のことを他の人よりも愛するか」
「主よ、あなたはよくご存知です。私はあなたを愛しています」
「私の羊を牧せよ」
これを三度聞かれます。
それと同じく、「すべてをキリストにおいて復興させる」と言ったときに、すべてがイエズス・キリストをお愛しするように、信じるのみならずお愛しして、そしてイエズス・キリストに従うように、とそれを訴えたのでした。それはもちろん、ご自分がすべてに超えてイエズス・キリストを愛していたからです。教皇の務めはまさに、イエズス・キリストをすべてに超えて愛することです。そこにこそ、そこからこそ、すべての羊、信徒そして司祭司教、イエズス・キリストに属するすべての霊魂たちの司牧が、委ねられるわけです。
では最後に、私たちは、今日このミサからいったいどんな遷善の決心を立てたらよいでしょうか。
聖ピオ十世教皇様はちょうど花咲岬の灯台のように、全世界を照らす、嵐の中の道を照らす灯台の光であるかのようです。聖ピオ十世教皇様の教え、そしてその模範に私たちが従って、そしてそれに従うような教皇様が与えられますようにお祈りいたしましょう。
そして特に、聖ピオ十世教皇様を私たちの守護の聖人とする聖ピオ十世会が、特に聖ピオ十世教皇様から守られて導かれて、そして多くの霊魂をイエズス・キリストへの信仰へ、正しい信仰へと導き、そしてイエズス・キリストをますますお愛しするように、イエズス・キリストがますます崇敬され、たたえられて、礼拝され、そして愛され、そして多くの霊魂が、イエズス・キリストとともに永遠の命に、永遠の命に導かれますようにお祈りいたしましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。