聖ピオ十世教皇が指摘した「人類社会が苦しんでいる深く深刻な病」とは?
2022年9月4日 聖霊降臨後第13主日
トマス 小野田圭志神父説教 聖なる日本の殉教者聖堂
使徒パウロのテサロニケ人への書簡の朗読。(テサロニケ前書 2ノ2-8)
兄弟たちよ、あなたたちも知っているとおり、私たちは、さきにフィリッピで苦しみと侮辱とを受けたが、多くの苦闘のうちに、天主の福音をおそれなく告げる勇気を、天主から与えられた。実に私たちの宣教は、誤りや、汚れや、偽りから出るのではない。私たちは、天主にみとめられて福音をゆだねられたものであって、人間におもねるのではなく、心を試す天主によろこばれようとして語っている。知ってのとおり、私たちはへつらいの一言もいわず、天主が証されるように、物をむさぼる口実をもうけもしなかった。私たちは、あなたたちからも他の人からも、人間からは栄誉を求めなかった。また、キリストの使徒としてあなたたちに負担をかけることもできたが、あなたたちの中で、私たちは子どものようになった。乳母が子どもを育てやしなうように、私たちはあなたたちを愛し、天主の福音だけではなく、よろこんでいのちまでも与えたいと思うほどになった。それほどあなたたちを愛した。
ヨハネによる聖福音の続誦。
ヨハネ21ノ15-17
そのとき、イエズスは、シモン・ペトロに「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たちより以上に私を愛しているか?」とおおせられた。ペトロが、「主よ、そうです。あなたがご存じのとおり、私はあなたを愛しています!」と答えると、イエズスは、「私の小羊を牧せよ!」とおおせられた。また、ふたたび彼に「ヨハネの子シモン、私を愛しているか?」とおおせられた。「主よ、そうです。あなたがご存じのとおり、私はあなたを愛しています!」とペトロがこたえると、「私の小羊を牧せよ」とおおせられた。三たび、「ヨハネの子シモン、私を愛しているか?」とおおせられた。三たび「私を愛しでいるか?」といわれたのを聞いてペトロは悲しみ、「主よ、あなたは全てをご存じです。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです!」といった。イエズスは彼に「私の羊を牧せよ」とおおせられた。
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は2022年9月4日、聖霊降臨後第十三主日です。
昨日、9月3日は、教皇聖ピオ十世の祝日でした。私たち聖ピオ十世会の守護の聖人を祝い、今日は東京では教皇聖ピオ十世の荘厳祭を行っています。今日は聖ピオ十世について黙想しましょう。
(1)聖ピオ十世は、教皇となって発表した最初の回勅「エ・スプレーミ・アポストラートゥス」(1903年10月4日)で、自分の行動原理を宣言します。聖ピオ十世は、当時の「人類社会が苦しんでいる深く深刻な病」の状況を次のように分析します。現代世界こそ、これが恐ろしいほど当てはまるのではないでしょうか。
「私は現代の人類の不吉な条件を考えて一種の恐怖に囚われていた。かつて無かったほど、今この時代に、人類社会が苦しんでいる深く深刻な病を誰が無視することが出来るだろうか。この病気は日に日に深刻に重大になっており、神髄まで犯しつつ、人類の廃墟へと引きずっている。この病いとは、…天主を打ち捨てること、背教である。…人類を確実にその崩壊まで導くものである。「見よ、あなたを離れるものは滅びる。(詩篇73:27)」…
(2)それにたいして、聖ピオ十世は、解決策を提示します。
「私は、教皇職の行使における私の唯一の目的がすべてをキリストの下に集める(エフェゾ1:10)ことであること、それはキリストが全てであり、全てのうちにまします(コロサイ3:11)ためであることを宣言する。…天主の利益こそが私の利益であり、その利益のために私の力と命を捧げ尽くす、これが私の確固不動の決意である。…「キリストの下に全てを集める」“Instaurare omnia in Christo.”
「すべての町と村とにおいて、主の掟が入念に遵守され、聖なるものが尊敬され、頻繁に秘跡を受けるようになると、一言で言うと、キリスト教的生活があるべき姿に戻されるその日には、キリストの下に全てを集めるということが実現する。それは永遠の善を勝ち取ることが出来るということだけでなく、非常に幸福にも同時にこの世の福利と公の繁栄とも得られるだろう。」
(3)では「キリストの下に全てを集める」という高い目的に達成するためにどのような手段を使うのでしょうか?それは聖なる司祭の養成です。教会に聖なる司祭を与えること、霊魂たちにイエズス・キリストを与える聖なる司祭を養成することです。
「キリストの充満の年齢の測りに従って、完全な人間の状態へと向かわなければならないが、この義務は主要には、司祭の役務を行使する者たちに属するものである。それはただ単に彼ら(司祭たち)がイエズス・キリストの権能に参与するからだけではなく、イエズス・キリストの御業を真似て、それによって自分の内にキリストの御姿を再生しなければならないからである。」
そこで、聖ピオ十世は、全世界の司教たちに、こう言います。
「聖職者たちを聖性へと養成するためにあなたたちがどれほど大きな心遣いをしなければならないだろうか! これを犠牲にするために譲歩することの出来るものは一つもない。従って、あなたたちの熱心の最善のかつ主要な部分はあなたたちの神学校へと向かわなければならない。それは神学校において教えの内容の完璧さと同時に道徳上の聖性が花咲くのを見るほど、神学校には秩序が導入され、学校運営が確保されるためである。神学校をあなたたちの心の最も甘美なところとせよ。この制度の繁栄を保証するためにトリエント公会議がそのいとも高い知恵において規定した全てのことを少しも蔑ろにすることがないようにせよ。青少年の候補者たちに聖なる叙階の秘跡を授けるときには、聖パウロがティモテオへ書いていたことを忘れないように。「軽率に人に按手するな」(1ティモテオ5:22)。…ただ天主の観点、教会と霊魂の永遠の幸せの観点から考えよ。」
(4)聖ピオ十世は、教皇になった時に、口だけで理論を述べたのではありませんでした。実際、司教として、何を行ったのか、例を見てましょう。
【マントヴァの司教として】
ヨゼフ・サルトは、1884年に、マントヴァ Mantovaの司教となりました。当時マントヴァ司教区は、秘密結社によって、不信仰と反聖職者主義の悪い影響を大きく受けていた「難しい」司教区でした。政府の妨害があって司教座は頻繁に空位でした。マントヴァ司教区には、約27万人の司教区民が在籍しており、308人の司祭がおり、153の小教区の教会がありました。司教になると、教会を一つ一つ訪問して、説教し、秘跡を授けて周ります。司祭たちには、模範的な生活をするように勧告し、教理を教えること、信仰の真理を説教すること、特に青少年たちに公教要理をおしえること、を繰り返し命じました。
しかし、一番の関心は神学校でした。当時マントヴァの神学校には、160人の神学生たちが在籍していました。神学校の規律と秩序の大切さを強調し、特に良い教授陣を選んで神学校に配属しました。神学生たちが司祭としてどのような生活を送らなければならないかを神学校で深く学ばせるのがサルト司教の目的でした。
サルト司教は、どんなに忙しくても、少なくとも一週間に一度は神学校に足を運びました。もしも別の義務がないならば、毎日のように通いました。時には、神学校の講義を聞いたり、不在の教授の代わりに授業を受け持つこともありました。神学校の訪問は、さまざまな神学生の才能を観察し、本当の召命があるか否かを識別するためでもありました。神学校の校長には、もっとも学識のある敬虔な司祭、とりわけ智恵と理解のある司祭を選びました。この神学校校長について、もしも彼が生涯神学校で仕事をするなら、司教区にとっては大きな祝福だろう、と言いました。
【ヴェネツィアの総大司教・枢機卿として】
1893年には、ヴェネツィア総大司教・枢機卿に上げられました。神学校のことについてこう書いています。「神学校は、私にとって目の瞳のようだ。私は自分の家であるかのように考えている。極めて頻繁に、時には突然のように、訪問する。規律と学習内容と食事について目を見張り、信心、学業、衛生状態など全てにおいて、足りないことがないように気を配っている。」
また、10人の貧しい神学生たちのために、自分の限られた収入から、一人当たり毎年100ドル相当を神学生たちの学費として寄付していました。このことは、これらの神学生たちと神学校校長しか知りませんでした。
【教皇として】
1908年8月4日には、教皇として、回勅「エレント・アニモ」を書き、司祭が聖徳を目指すように鼓舞しました。聖なる司祭たちを通して、全世界の霊魂たちを聖化すること、霊魂たちにキリストをあたえること、全てをキリストにおいて復興させることが、聖ピオ十世の目標でした。
(5)遷善の決心
もしも聖ピオ十世教皇が、今、21世紀の現代世界に、目を向けたとすると、何をおっしゃるでしょうか?コロナという疫病のことを心配するのでしょうか?いえ、「人類を確実にその崩壊まで導く背教」というもっとも恐ろしい病のことを指摘し続けることでしょう。何故なら、永遠の霊魂の救いというよりは自然環境保護が、罪の償いのためのミサ聖祭や霊的な恵みを与える秘跡というよりは、肉体の健康のほうがもっと大切にされているからです。中絶について、同性愛について、キリストの教えをはっきりと伝えるべき司祭が、その声を上げていないからです。
では、解決策は何でしょうか?「全てをキリストにおいて復興させる」ことです。
では、そのためには、何が必要でしょうか?聖なるカトリック司祭たちが必要です。
第二の聖パウロ、アルスの聖司祭、聖ドン・ボスコ、聖アルフォンソ・デ・リグオリ、聖フランシスコ・ザベリオたちが必要です。キリストの教えをそのまま伝える司祭が必要です。「天主の福音をおそれなく告げる」、これこそが本当の愛徳だからです。聖パウロはこう言います。「私たちはあなたたちを愛し、天主の福音だけではなく、よろこんでいのちまでも与えたいと思うほどになった。それほどあなたたちを愛した」と。
天主の御助けによって、聖ピオ十世会は、この守護の聖人である聖なる教皇の模範にならおうとしています。聖ピオ十世会の創立の目的は、正に、カトリック司祭職です。カトリック司祭職に属する全てのこと、司祭職に関わる全てのことです。特に、司祭の存在理由であるミサ聖祭に最大の信心が向けられています。司祭の聖化とミサ聖祭の恵みによって、全てをキリストにおいて復興させるのです。
愛する兄弟姉妹の皆様、今日、聖ピオ十世教皇に祈りましょう。
私たちに多くの聖なる司祭たちの召命を送ってくださるように祈りましょう。
汚れなき御心に祈りましょう。聖母の御取次で、全てをキリストのもとに復興させるために私たちが貢献することができますように。