聖ピオ十世会スカンジナビア アルボレリウス枢機卿の2025年8月15日付の声明に対する公開書簡
アンダース・アルボレリウス枢機卿
https://www.piusx.org.pl/scandinavia/docs/open-letter-to-card-arborelius
枢機卿猊下、
童貞聖マリアの被昇天の祝日に、猊下が公表された当聖ピオ十世司祭兄弟会に関する二つの声明を私たちは拝見しました。
霊魂の救いへの熱意に駆り立てられ、聖にして母なる教会とその制度に対する子としての敬愛の精神に基づき、私たちは公開書簡の形で自らの考えと意向を表明したいと存じます。これにより、私たちの活動の本質に対する理解が育まれ、スウェーデンのカトリック信者の多くの利益となることを願っております。
教会当局による聖ピオ十世会の司牧活動に関する立場
猊下の「説明」第6項は、聖ピオ十世会の司祭が執り行う秘跡は「valida sed illicita」―有効ではあるが不合法(すなわち容認できない)である、と述べています。私たちは、この「説明」に感謝申し上げます。このことは、全ての信者の利益のために、当聖ピオ十世会の秘跡がすべて有効であると、猊下が私たちに同意しておられることを示しているからです。
当会の司祭によって執行された秘跡の合法性【liceity】(許容性)に関して、2015年9月1日、「これらの信者の善に応える必要性を動機として」、教皇フランシスコは、当司祭兄弟会の全司祭に対して有効かつ合法的に告解を聴く権限を授与されました。当初は1年間(いつくしみの特別聖年)の限定措置でしたが、2016年11月20日付の使徒的書簡「ミゼリコルディア・エト・ミゼラ」(Misericordia et misera)において、当会の教会に参列する信者の「司牧的利益」のため、さらに延長されました。この権限は、現在に至るまで聖座により撤回されてはおりません。
教会と教皇は、好ましくないことや許容されないことをしようとしている信者を安心させることを、決して「信者の善」や「司牧的利益」とは考えていないのは確実です。しかし、告解は通常、ミサの直前に聴かれるものであるため、告解をするために当会の司祭のところに来る信者の大部分が、その後直ちに当会の司祭の一人が挙行するミサに参列する意向を持っているのは当然のことです。
さらに、2017年3月27日付で署名され同年4月4日に公表された教皇庁「エクレジア・デイ」委員会の書簡において、地方の教区長に対して、聖ピオ十世会の司牧活動に従う信者の結婚式を挙行する権限を授与するできることを承認するという教皇の決定が公布されました。この書簡は、この決定の目的が「信者の良心を安心させること」であり、また、そのような結婚式に続いて挙行されるミサは、聖ピオ十世会の司祭によって挙行される「ことができる」、あるいは挙行される「べきである」と明示して述べております。さて、教会と教皇は、容認されないことや好ましくないことを行う者の良心を安心させることはありません。
したがって、聖ピオ十世会の司牧活動に従うことが容認できない、あるいは好ましくないと聖座が考えているわけではないことは明らかです。
猊下の「説明」第2項は、聖ピオ十世会は聖座との交わりの中で生活・活動してはいない、と述べています。この主張は明らかに偽りであり、重大な誹謗中傷に相当するものです。聖ピオ十世会の会員は、洗礼、カトリック信仰、教皇の権威への服従によってカトリック信者です。ただし、この服従は《際限のない従順》を意味するものではありません。
猊下が「聖座との交わりの中で生活・活動してはいない」という表現を用いられることは、私たちが離教状態にあるという非難に相当するものです。この非難は偽りです。しかし、この表現は、少なくとも「離教」という教会法上の地位に関する明確かつ正確な主張をしています。すなわち、離教状態にある者は、教会から分離されています。しかし、まさに同じ文章において、私たちの教会法上の地位は《不明確》であるとも言われております。私たちが、離教状態にあると同時に、「不明確な」教会法上の地位にあるとは、いったいどのようすれば可能なのでしょうか。
教皇ベネディクト十六世と教皇フランシスコの声明、特に当司祭兄弟会に関する問題を教会内部の問題として扱う姿勢は、両教皇が私たちをカトリック信者であり教会の一部であるとみなしておられたことを明確に示しています。その例として、2009年から2012年にかけてのバチカンと聖ピオ十世会の教理上の対話、そして2015年、2016年、2017年に教皇フランシスコが授与された特権が挙げられます。
特に教皇ベネディクト十六世によって明確に強調されてきたように、聖座と聖ピオ十世会の間の「問題」は、《規律上の性質ではなく教理上の性質》のものです。言い換えれば、当兄弟会が公式な教会法上の地位を認められない理由は、私たちの側が、教皇を認めたり教会全体の交わりの中で生きたりすることを拒んだことでもなく、許可なくまたは悪意によりあるいはそうした性質で行動し続けたりすることでもありません。
教皇ベネディクト十六世は2009年3月10日付の《司教への書簡》で、次のように述べておられます。「現在対処すべき問題は本質的に教理上の性質のものであり、主に第二バチカン公会議と公会議後の教皇たちの教導権の受け入れに関わるものです」。2015年9月1日付書簡において、教皇フランシスコは、聖ピオ十世会について次のように述べておられます。「さまざまな方面から、数名の兄弟である司教たちが、彼らの良き信仰と秘跡的実践について私に伝えてきました」。
非常に尊敬を受けている教会の司教の皆さまが聖ピオ十世会への支持を表明しておられ、当聖ピオ十世会が教会の聖伝の教えに忠実であることを擁護され、教会当局による当会の承認を提唱してこられました。
アタナシウス・シュナイダー司教は、聖ピオ十世会が離教状態にあると信じるに至るのは「教会の現実に対する非常に狭くて過度の法律尊重主義的な見解」だけによるものであり、そう主張する者たちは「カトリック信仰の完全性および聖伝の典礼が重要であるという第一の重要性よりも、教会法の条文を優先させている」と述べられたと報道されています。さらに同司教は、聖ピオ十世会は、ミサ中に教皇のために祈り、教皇のためにその他の公的な祈りを捧げることで「教皇との教会法上の交わり」を継続的に示しており、教会法上の承認の欠如はカトリック信者が聖ピオ十世会の聖職者から秘跡を受ける障壁ではない、と述べておられます。
特に申し上げたいのは、スイスのクール教区元司教だったヴィトゥス・フオンダー司教のことです。同司教は、当時の教理省長官だったゲルハルト・ルートヴィヒ・ミュラー枢機卿から聖ピオ十世会との対話開始を命じられ、この任務を通じて聖ピオ十世会の会員と定期的に接触することになり、メディアが描いた話を超えて、当会の内部から理解を深めることができました。その旅路は、教皇フランシスコの明示的な許可と祝福を得て、引退してスイス・ヴァングスの当会修道院で生活する決断をされるに至りました。一連の動画講演で、同司教は当会創立者マルセル・ルフェーブル大司教への深い敬意を表明されました。さらには、教皇フランシスコ自らが聖ピオ十世会は離教状態にないと自分に言われた、と述べておられます。フオンダー司教は2024年の復活の水曜日に逝去され、エコンのルフェーブル大司教の傍らに埋葬されました。
「説明」第3項において、聖ピオ十世会が聖座および教皇と《完全な交わり》にないという主張がしばしば聞かれます。この文脈における「完全な交わり」という表現の使用は新奇なものであり、「完全な」交わりと「不完全な」交わりの区別は第二バチカン公会議による発明品です。
教会の聖伝の教理は非常に単純です。カトリック信者は、洗礼、カトリック信仰、位階階級への服従という三つの古典的条件を満たすことで教会に属します。聖ピオ十世会は教皇の権威を認めており、司祭たちは毎回のミサで教皇のために祈っています。《真の従順》とは、教皇としての権威を受け入れ、教皇のために祈り、教皇の人格を尊重しつつも、教皇が教会に与えようと望むあらゆる誤った方向付けに対して積極的に抵抗することにあります。これが聖ピオ十世会の姿勢であり、したがって、私たちは実際、教皇への服従状態にあるのです。
秘跡の記録の義務
「説明」第5項において、同項は、当会の司祭が執り行う秘跡(有効であると認められているもの―上記参照)を教区の秘跡台帳に登録できず、これにより信者が洗礼証明書や堅振証明書を受ける可能性に影響を及ぼす、と述べています。
カトリック秘跡神学と教会法は、特定の秘跡、特に洗礼、堅振、叙階のように、冒涜を犯さずには一度しか受けられない秘跡を受けたことを記録する明確な義務を課しています。
教会法(535条2項)は、堅振、婚姻、叙階受階等の記録は洗礼証明書に常に記載されると規定しています。
猊下が、有効な堅振の記録が秘跡台帳に記入され且つ洗礼証明書にも記載されるということを禁止するご意向を実際にお持ちだとは到底考えられません。なぜなら、そうすることは信者が堅振の秘跡を受けたか否かについて混乱と不確実性を招くのが避けられず、それゆえに、堅振の秘跡の授与が冒涜的に繰り返される危険を生じさせるからです。そのような方針は、明らかに教会法の規定に反することになり、また、カトリック信仰を告白し、それに完全に従って生きること以外の望みを持たないカトリック信者に対して、生活を困難にさせ、恐怖と不確実性を引き起こすという、権力の濫用に相当するからです。
カトリック・ストックホルム教区が、この件に関して教会の神学と教会法を無視することを実際に選択した場合には、もちろん、関係する信者に対しては、堅振証明書を聖ピオ十世会から直接、いつでも取得できることを保証いたします。
深刻な霊的緊急必要事態
聖ピオ十世司祭兄弟会は、教会当局の承認のない当会の司牧活動の実施について、現在の教会危機によって引き起こされた《深刻な霊的緊急事態》が存在することにより、正当化されると考えております。
霊魂たちの救いと聖化のためには、真の、混じりもののないカトリック信仰と、カトリック教会の秘跡が必要です。これらは、聖伝のミサ典書、儀式書、司教儀式書による尊厳に満ち、畏敬の念を抱かせ、心を挙げさせる儀式において執り行われ、教会の最も愛され崇敬された多くの聖人たちを何世紀にもわたって導いてきたように、本当に心と精神を超自然の領域と天主のことへ導くものです。
教会のすべての成員は、救いに必要な教理と秘跡を教会から受ける権利を有しております。その中には、信仰を危険にさらす誤謬に対して警告を受ける権利、ならびに完全なカトリック信仰を教えられる権利があります。
今日の教会では、以前には教会の教導権によって断罪された多くの誤謬が、事実上制限なしに広まることを許されており、膨大な数の現代の神学者、さらには司教や枢機卿までもが、カトリック教会の教義に対して公然と否定したり疑問を呈したりしています。典礼改革は、神聖なものへの敬意の喪失へと至りました。新たな形式は霊魂を天主へと挙げることがほとんどできず、むしろ神聖と考えられ敬意と畏敬をもって近づくべきものを、世俗的で日常的なレベルにまで引き下げてしまいました。ご聖体を立ったまま手で受ける慣行は、多くの冒涜を引き起こすだけでなく、多くのカトリック信者がご聖体におけるキリストの現存の信仰を喪失することにも、少なくとも部分的には責任があります。
1972年の教会の状況について、教皇パウロ六世は、説教の中で「どこかの裂け目からサタンの煙が天主の神殿に入り込みました」と述べられました。2003年の使徒的勧告「欧州における教会」で、教皇ヨハネ・パウロ二世は、実質的な不可知論、宗教的無関心、キリスト教的遺産の忘却で特徴づけられる広範な信仰の衰退を嘆いて、これを「必要なものはすべて持ち、天主が存在しないかのように生きる人々による静かな背教」と表現されました。ベネディクト十六世は、公に「世俗化の過程」を非難し、それが「キリスト教信仰の意味および教会への帰属意識の深刻な危機を生み出しました」と述べられました。
私たちの見解では、現代のエキュメニズムと信教の自由を説くことは、その有害な結果で特に広範な影響を及ぼしてきました。真のエキュメニズムは、霊魂たちをイエズス・キリストによって創立された真の教会に入るよう導くことを目的としますが、第二バチカン公会議によって推進された現代の偽りのエキュメニズムは、純粋に人間的な和解を達成することに関心を持っており、霊魂たちをカトリック教会にだけ見いだされる救いの手段へと導くことで人間を天主と和解させる必要性を無視しております。第二バチカン公会議が教えた信教の自由は、私たちの主イエズス・キリストの王としての権利を否定するものです。
多くの基本的なカトリック信仰の真理が、残念ながら教会の大部分において無視されたり否定されたりしております。例えば、天主の啓示の不可謬性、成聖の恩寵の重要性、地獄の実在、悪魔の力、霊的闘いの必要性、そして私たちの主イエズス・キリストの社会的王権などです。
通常の位階階級(司牧者、司教など)がその義務を果たさない場合、信者は緊急事態に置かれており、あらゆるカトリック司祭により頼むことができます。この緊急事態のゆえに、この司祭は信者に奉仕するために、《教会から直接》補いの裁治権と呼ばれるものを受けます。私たちが常に主張してきたのは、現在の危機においては、補いの裁治権が聖伝の司祭に対して、本来ならば彼らに依存しないはずのカトリック信者に洗礼を授け、告解を聴き、結婚を執り行うなどの権限を与えるということです。
一部の誤謬が断罪され、カトリックの真理(の一部)が説かれ、聖伝の典礼が《特定の場所で》、しばしば不安定な形で、「個人的な好み」を持つ信者や、よく言われるようにたまたま「旧式典礼(vetus ordo)に愛着を持つ」信者のために許されているという事実は、深刻な霊的緊急事態が依然として存在するという事実を変えるものではないのは明らかです。
典礼的かつ教理的な教会の聖伝を守ることは、カトリック信仰の完全性、すなわち《教会の共通善》を守ることに他なりません。この事実そのものにより、基本的な信仰の真理に挑戦し、それにより、教会の共通善を脅かすという現代の誤謬との闘いが、必然的に必要となるのです。このカトリック信仰という共通善が、当局者たちによって単なる個人的愛着の対象とみなされる場合には、緊急事態が存在するのです。
教会の最高の法は霊魂の救いです。教会の法は、他のいかなる公正な法と同様、例外的な状況においては例外を認めます。民法は窓を割ることを禁じていますが、燃え盛る建物から幼児を救うために窓を割るのは間違ってはいません。同様に、飢えた群れに食べ物を与える手助けをすることは、たとえそれが通常であれば教会の当局者の承認が必要であるにもかかわらずその承認を得られず行わなれる場合であっても、間違ってはいないのです。この観点から、猊下が「説明」第6項で述べられた、当会の司祭による秘跡は未承認であるため、信者は決してこれを受けず避けるべきとの見解には同意できません。状況そのものが、責任ある当局者から得られていない承認を与えるのであり、それゆえ、これらの秘跡の挙行は有効かつ合法なのです。
聖ピオ十世会は、修道院、教会、聖堂、修練院、神学校を通じて、世界中の何千人ものカトリック信者に、前述の救いの手段にあずかることを提供しておりますし、私たちは、スウェーデンやその他のスカンジナビア諸国においても、聖化に飢え渇く霊魂たちのために同様のことを行おうと努めております。特に、カトリック司祭職や修道生活にふさわしい召命を見いだし、天主に奉献された人生への道を歩む彼らを支援することに熱意を注いでおります。
当会の司祭は、聖なるミサの典文の冒頭において、常に教皇と現地の司教のために祈りを捧げております。私たちが行っておりますことは、分裂や反逆の精神によるものではなく、ただ天主の栄光、全能の天主ご自身が母なる教会に授けられたカトリック信仰と秘跡という計り知れない宝の保存、そして霊魂たちの救いと聖化を唯一の目的として行われております。私たちが切に願うのは、猊下および他の責任ある牧者の皆さまが、霊魂の世話という聖なる義務を果たすお手伝いをすることだけです。
敬意をこめて、王たるキリストと無原罪のマリアにおける猊下のしもべ、
ポーランド・スカンジナビア管区長
カール・シュテーリン神父(聖ピオ十世会)
スカンジナビア使徒職担当司祭
ホーカン・リンドストローム神父(聖ピオ十世会)
2025年8月22日、童貞聖マリアの汚れなき御心の祝日に