「善き出来事のマリア様」について

ソース: FSSPX Japan

2020年2月8日(土)証聖者マタの聖ヨハネのミサ  聖母の汚れなき御心聖堂

トマス小野田圭志神父  説教   

「善き出来事のマリア様」について

 

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日マタの聖ヨハネの祝日ですけれども、ぜひ「善き出来事のマリア様」についての話をするのを許して下さい。

善き出来事のマリア様は、20世紀の私たちの為に、特別にいけにえの霊魂を求めました。そしてその選ばれた清い霊魂が、マザー・マリアナ・デ・ヘスス・トレス (Mother Mariana de Jesús Torres y Berriochoa)という方でした。非常に寛大で、非常に愛された霊魂でした。そしてこの彼女の、地獄をも体験するような、そして病と、苦しみと、いけにえと、祈りの、礼拝の人生を通して、20世紀の私たちの為に、特別の恵みを準備して下さいました。

エクアドルという国は、私たちにもほとんど知られていない国ですけれども、多くの聖なる寛大な、イエズス様の愛に燃える霊魂たちをたくさん生み出した国だ、という事を、特に20世紀の為に、私たちの為に準備されていた国だ、という事をひしひしと私は体験しました。

そこでぜひ皆さんに、「そのような霊魂がいた」という事、そして「私たちの為に、今、この現代の私たちの霊魂が救われる為に、特別な天主の御計らいがあった」という事をよくご存知になって下さい。

⑴今日、そのマザー・マリアナが受けたメッセージというものを、少しだけご紹介させて下さい。

⑵そして、エクアドルには他にもどのような事があったのか、という事を簡単に話させて下さい。

⑶最後に、では私たちは今、そのような霊魂たちからの特別の犠牲と、特別の苦しみの為に、私たちが今何を受けたのか、そして私たちは何をすべきなのか、という事を黙想致しましょう。


⑴マザー・マリアナ・デ・ヘスス・トレスという修道女は、修道院長となって、また幼少の頃から特別に、マリア様からのメッセージなどを受けました。今回私のぜひ紹介させて頂きたいと思うのは、この人生の終わりに、亡くなる1年くらい前の1634年の3月に受けたメッセージです。

マザー・マリアナは、いつも朝早く早朝から、例えば朝の3時とかから起きて、御聖体礼拝、黙想などをしていました。
三位一体の神秘。聖父・聖子・聖霊、三位一体が区別されていて、しかし唯一の天主である事。
あるいは、この三位一体の聖子が、三位一体の第二のペルソナ聖子が、御聖体の内に真に在す事。
あるいは、その御聖体の内に真に在す全能永遠の天主が、私たちをどれほど愛されているか。
また、三位一体が、マリア様の事をどれほど愛されているか。罪の汚れ無く、聖アンナの胎内に宿された事。
あるいは、イエズス・キリスト共に、マリア様が人類の罪の償いの為の共償者となった事。
等よく黙想されていました。そしてその神秘の中に深く入っていました。

すると、天の元后マリア様が、マザー・マリアナに御現れになります。特にマリア様にマザー・マリアナは、「善き死を遂げる事ができるように」とお願いしていました。

すると、ちょうどこの祭壇のように、綺麗に飾られた御聖堂が、この教会のランプで照らされていたランプが、その御聖堂のランプが、突然消えてしまいます。そして真っ暗になります。何とかローソクの火を点けようとするのですけれども、マザー・マリアナの体は動きません。

すると突然、超自然の光が祭壇に輝いて、そして昼間のように明るくなります。マリア様が御現れになって、そしてお言葉をこう下さいます。

「私の御心の愛された娘よ。私は、善き出来事のマリア、あなたの母、あなたの守護者です、そして私の御子イエズスを私の左手に、そして右の手に司祭杖を持ち、私はあなたに、善い知らせを告げる為にやって来ました。その善い知らせとは、10ヶ月と数日後、あなたはこの世の地上の光に目を閉じ、永遠の光を見る為に目を開く、その日がやって来るるでしょう。」

「あぁ、死すべき全ての人々が、もしも『天国がどのようなものである』という事を知っていたなら!もしも『天主を所有する』という事の幸せがどれほど素晴らしいものかを知っていたなら!この人生をどれほど変わって生きていた事でしょうか!そして永遠を得る為に、天主を得る為に、どのような犠牲も省略したりする事はなかったでしょう!」

「今、祭壇の前に燃えている至聖所のランプが消えたのには、いつくかの意味があります。」

「第一の意味は、19世紀の終わりと20世紀のほとんどには、この時期になると、多くの異端がすでに自由共和国となったこの地に広がり、そしてそこを支配していた信仰の貴重な光が消え失せるでしょう。これは、道徳が全く腐敗した為です。この時には、肉体的にも、精神的にも、公にも、個人的な生活においても、多くの困難があるでしょう。」

「教会とこの地上の国を、異端の奴隷状態から解放する為に、私の愛する御子の特別な憐みの愛によって復興のために選ばれた霊魂があります。この霊魂は、復興させる為に、非常に強い意志と、持続心と、勇気と、天主に対する信頼を持たなければならないでしょう。そして義人のこの信仰と、天主に対する信頼を試す為に、見かけ上全ては失われて、全ては麻痺してしまうように思われる時がやって来るでしょう。しかしその時にこそ、完全な復興の、幸せな始まりの時です。」

「ランプが消えた第2の意味は、この私の愛する共同体が数においても非常に少なくなり、言う事のできない苦々しい、苦しみの海の中に投げ込まれるであるだろうからです。間違った、偽りの愛徳の名前によって、不正義が行なわれるでしょう。私のこの閉ざされた庭においてでさえ、忠実な娘たちにおいてでさえ、私の隠された霊魂たちにおいてでさえ、霊魂たちを座礁させるでしょう。」等々。

「このランプが消えた第3の理由は、この時には、19世紀と20世紀のほとんどには、不潔の精神で大気が汚染されるからです。そして汚らしい海のように、不潔が街中を汚染するでしょう。広場も、道も、公の所にも、驚くべき自由放埒によって汚染されるでしょう。そしてこの世には、童貞を保つような霊魂たちがほぼいなくなってしまうでしょう。」

「嫉妬深い疫病のような悪魔が、自分の悪意のある傲慢を以て、修道院の閉ざされた庭にも入って来るでしょう。この悪魔の鉤のような爪に、自分をあえて晒すかわいそうな霊魂たちは何と不幸な事であるでしょうか。そしてその他の霊魂たちは、この世に戻り、霊魂たちの滅びの為の、悪魔の道具となってしまうでしょう。」

「祭壇のランプが消えた第4の理由は、フリー・メイソンのセクトが、この社会の色々な階級を乗っ取ってしまい、そして非常にずる賢いやり方で家庭の中に入り、そして子供の子供らしさ、子供の純粋無垢を破壊してしまうでしょう。その子供たちの心の、デリケートなその心が失われてしまうでしょう。この恐るべき時には、子供たちの無邪気さがほとんど見つける事ができなくなるでしょう。その為に司祭召命は、ますます失われてしまうでしょう。」

「しかしその時には、ある修道会たちの規律、その会則遵守は、光り輝く事でしょう。その時に、祭壇に仕える聖なる聖職者たちは、隠れながらも、しかし美しい霊魂を以て、そして私の御子と私によって特別に愛される花のように、英雄的な聖徳を持って、不敬虔に対して戦いながら、彼らは祭壇に仕えるでしょう。彼らに対して不敬虔は、残酷な戦いを挑むでしょう。そして彼らを断罪し、讒言をし、そして彼らの悪口を言う事でしょう。そして彼らがその聖務を行なう事を妨害するでしょう。」

「しかしこのような聖職者たちは、柱のように、微動だにとも不動で、そして謙遜の精神を以て、犠牲の精神を以て、自分に与えられた、聖子(おんこ)イエズス・キリストの無限の御功徳によって与えられた、自分の聖務をやり遂げる事でしょう。彼らは私の御子の最も聖なる、そして優しい聖心のデリケートな、愛された者となるでしょう。」

「ところで、在俗の司祭たちには、多くの欠如が見出されます。彼らは自分の聖務をなおざりにするだろうからです。天主の羅針盤を失った彼らは、天主から与えられた道から外れてしまう事でしょう。そして彼らは金に愛着し、そしてそれを得ようとあまりにも多くの努力をする事でしょう。その時教会は、父のような愛・優しさ・強さ・健全な判断力・賢明さをもって聖職者たちを指導する、高位聖職者かつ父親の欠如の為に、多くのひどい暗闇を苦しむ事でしょう。多くの司祭たちはその精神を失い、そして彼らの霊魂は大きな危険に晒される事でしょう。」

「倦まず弛まず祈りなさい。あなたたちの心の秘密の隠れ家で苦い涙を流して、天主聖父に、イエズス・キリストの御聖体の聖心への愛によって、寛大にも流された聖子のいと尊き御血の功徳によって、聖子の御受難と御死去の深い悲しみと苦しみによって、祈りなさい。天主の為に働く聖職者たちを憐れんで下さるように、そしてできるだけ早くこの暗闇が終わる事ができるように、この災害の時が終わる事ができるように、教会に司祭職の精神を復興させるべき、かの高位聖職者を、一人の聖職者を送って下さるように祈りなさい。」

「私の御子と私は、私の息子であるこの高位聖職者を、特別の愛で愛しています。彼には、滅多にない特別の謙遜の心と、従順と、天主の息吹に対する従順と、そして教会の権利を守る為の力強さを与える事でしょう。そして彼には特別の優しい同情の心がある事でしょう。それは第二のキリストとして、彼が不幸な人々を軽蔑する事なく、光と導きを与える事ができる為です。そして司祭たちに、その義務を果たす事ができる勧告を与える事ができる為です。天主の優しさを以て彼が、天主の奉仕の為に、主のくびきを彼らに重くのしかからせることなく修道生活において聖別された霊魂たちを導くためです。主は"私のくびきは快く私の荷は軽い"言われました。私は、彼の手に天主の天秤を置き、そして天主が栄光を受けるように取り図らう事でしょう。」

「しかし、司祭の身分また修道者の身分において天主に捧げられた全ての霊魂たちの生ぬるさの為に、この高位聖職者が私たちに与えられるのは遅れるでしょう。この生ぬるさの為に、サタンは天主なる聖子の聖心(みこころ)に奉献された共和国の晴れた空を暗くするくらい雲のように、信仰のない多くの外国人たちを使って、この地の多くの地域を自分たちのものとして支配する事でしょう。

これらの信仰の無い人々によって、全ての悪徳が導入されるでしょう。その結果、ありとあらゆる天罰が下されるでしょう。疫病、飢餓、あるいは内的な国内の、あるいは他の国々との戦い、戦争、あるいは背教などによって、数多くの霊魂たちは失われてしまう事でしょう。そしてこのイエズス・キリストにとってとても大切な、私にとっても大切な、多くの霊魂は失われてしまう事でしょう。」

「この暗闇を取り除く為に、そして教会が、自由のはっきりとした陽の光を楽しむ事を妨げているこの暗闇を取り除く為に、将来、市民あるいは外国人、あるいは修道者、あるいは世俗の司祭たちの多くの血が流されるべき、恐るべき戦争が起こる事でしょう。その夜は最も恐るべき日、人間の目にとって、悪が大勝利を収めたと思える日がやって来るでしょう。」

「しかしその時、私の時が到達します。私は全く驚くべきやり方で、傲慢な、そして呪われたサタンを破壊します。そして彼を私の足の元に置き、彼を永遠の地獄の底に葬り尽くします。そして教会と国は最後に、この恐るべき暴君から解放される事でしょう。」

「教会のランプの火が消えた第5の理由は、それは、この世の富を持っている人たちが無関心だからです。教会が迫害されていても、聖徳が圧迫を受けていても、悪が勝利をしていても、信心深く自分たちの富を、この悪の破壊の為に使おうとせず、信仰の復興の為に使おうとしないからです。その無関心の為に、多くの国々は、天主の名前が少しずつこの地上から消えていくのを許してしまう事でしょう。そして彼らは悪徳と情念に自分の身を委ねてしまう事でしょう。」

「あぁ、私の愛する娘よ、もしもあなたがこの恐るべき時に生きなければならないとしたとしたら、あなたは悲しみの為に、すぐに死んでしまう事でしょう。しかし、私たちの遺産であるこれらの地に対して私の御子と私が持つ愛によって、今、このあなたのいけにえ、そしてあなたの祈りを、来たるべき時の苦しみを短くする為に使います。」

こういう事を言うと、マリア様の御訪問は終わりました。しかしこの言葉を聞いたマドレ・マリアナは、この将来起こるべき、教会と世界に対するものすごい苦しみを見て、あたかもの死んだかのようになってしまって、三日間、そのまま気を失ってしまいます。

これはマザー・マリアナが受けたビジョンの一つですが、しかしそのような霊魂たちが、既に21世紀に今、現在生きている私たちの苦しみがより短くなるように、これ以上私たちが苦しまないようにと、多くのいけにえと、犠牲と、苦しみと、断食と、祈りを捧げて下さっていた、その一生を捧げていた、そういう霊魂たちがたくさんいる、という事をぜひ知って下さい。

マドレ・マリアナ

⑵ エクアドルにはまだその他にも、多くの寛大な霊魂らがいました。例えばガルシア・モレノです。

彼は、フランスに留学していた時に、フランスでイエズス様の聖心の信心の事を深く知りました。「フランスの王が、せっかくイエズス様の聖心からフランス王国を奉献するように頼まれたにも関わらず、それをしなかった」という事を聞いて、イエズスの聖心について学びました。

彼が大統領になった時には、エクアドルという共和国を、イエズス様の聖心に、国会を通して、法律を以て、奉献しました。その為に、彼は、ついには暗殺さえもされました。しかし何と寛大に、イエズス様の聖心を慰めたいと思った事でしょうか。

ガルシア・モレノ暗殺

あるいは、エクアドルには有名な、マリア様の汚れなき御心、悲しみのマリア様(La Dolorosa de Quito)の御影があります。皆さんもきっとご覧になった事があると思います。

1906年4月20日に、イエズス会の学校である聖ガブリエル高校の食堂に飾ってあった、悲しみのマリア様の目が、瞼が、15分ほど、開いたり閉じたり、その天の方を向いて、エクアドルの為にお祈りをしているかのように動きました。奇跡があったのです。マリア様が目を開いたり閉じたりしただけだったのですが、大きな影響がありました。

すぐに教会の公式の調査があって、さらには医学的にも精神科の病院で「誰も狂ったのではなくて、本当にそういう事実があった」という事が、教会法的に確立されました。1906年6月3日(主日)、一万人以上がこの聖母の御影をもって聖母行列します。それを35,000人が見守っていました。

その時に、実はエクアドルには、反カトリックの政治家、フリーメーソンのアルファロ(Eloy Alfaro)という男がカトリック教会の迫害を引き起こしていました。リベラルのアルファロは、リベラルの政府に反対して革命を起こします。リベラル対リベラルの戦いでした。武力で大統領の地位を奪ったアルファロは、カトリック教育に反対する政策(公立の学校でのカトリック教理の勉強を廃止する)を発表し、イエズス会をエクアドルから追放しようとさえします。しかし、聖母の奇跡によって、信仰をよみがえらせたエクアドル市民たちは、アルファロに公然と反対します。

マリア様は、ご自分の目を開いたり閉じたりする事で、エクアドルをカトリックである事として守りました。

アルファロは1911年の選挙で負けて、パナマに逃げて行きます。新しい大統領エミリオ・エストラーダが大統領職について4か月後に死亡すると、1912年1月に新しい大統領選挙のためにエクアドルに戻ります。しかし捉えられて投獄され、リンチを受け、殺されてしまいます。

聖母の奇跡の25周年、あるいは50周年には、エクアドルではものすごい大きな記念行事が開かれました。「マリア様がその目を開いたり閉じたりして、ウインクして、守って下さった」と。

1931年の奇跡の銀祝には、この奇跡が国を挙げて祝われました。エクアドル最初の聖母大会が開かれ、この御影はエクアドルの各地に持ち運ばれました。

1956年の奇跡の金祝には、教会法による聖母の戴冠式が行われました。ピオ十二世教皇は、書簡を送り、教皇の名と権威によって、エクアドルのカトリック教育の元后として、聖母に黄金の冠を被せることを命じました。聖母の戴冠式の機会に、40名の外交的代表者たちの前で、エクアドルの新大統領はエンリケは選挙の勝利を天主と聖母に感謝しました。

ドロロサ

⑶では、私たちは一体今日、今回どのような事を考えたら良いでしょうか?

まず、「私たちが今ここで、聖伝のミサをする事ができる」、あるいは「教会の復興の為に今、何かをする事ができる」という事に感謝致しましょう。

今の日本の教会をご覧になって下さい。

残念ながら、イエズス様の三位一体の神秘、イエズス様が御聖体の内に真に在し給うというその玄義、信仰の真理、あるいはマリア様が無原罪の御孕りであられるという事、あるいはマリア様のその終生童貞であるという事、天主の御母であるという事、あるいはマリア様がイエズス様と共に共償者として、第2のエヴァとして私たちの為に、私たちの霊的な母として共に苦しまれて、私たちの為に特別の救霊の役割を果たされたという事、あるいは聖霊の浄配であるという事、あるいはそのマリア様のその天と地の元后であるという、素晴らしいものすごい役割とその力、三位一体の天主こそが唯一の天主であって、全人類の歴史を支配しておられて、私たちを無から創造して、永遠の命の為に、永遠の昔から私たちを愛されておられるという事、これらの事を、今、教会で一体誰が教えて下さるでしょうか。

カトリックの最も基本的な信仰の話が話されていません。一体関心があるのは何かというと、全く別の事です。憲法9条とか、インカルチュレーションとかです。

霊魂の救霊、祈り、犠牲について話す、という事はどこで聞かれるでしょうか?

キトでは、400年前にマリア様が祈りと犠牲についての事を、特別な愛を受けた霊魂に話されました。ところで日本はキトよりも恵まれています。この21世紀に生きる私たちの為に、マリア様は特別に日本を選ばれて、日本の私たちに語りかけておられます。

特に秋田に来られて、マリア様はこう仰いました、「今、御子と共に、御父の御怒りを宥める霊魂を求めております。御父の怒りの手を何とか抑えようとしています。犠牲の霊魂が必要です。祈りと犠牲を捧げて下さい。」

秋田ではマリア様は涙をこめて訴えます、「先程も申しましたように、御父はこの地上を、ノアの洪水よりも更に恐ろしい罰で罰しようとしています、この世の罪の為に。もしもこれ以上人類が罪を犯し続けるならば、罪の赦しが無くなってしまうでしょう。」

「教会の祭壇は荒らされるでしょう。枢機卿と枢機卿は対立し合うでしょう。司教と司教は対立するでしょう。私に聖別された霊魂は失われるでしょう。私を敬う司祭たちは軽蔑されるでしょう。」

御聖体は、ますますなおざりにされています。御聖体を跪いて礼拝する事は、日本では禁止されています。

このマリア様がそのように私たちに警告されて、約50年経ちます。

しかし、マリア様の話は全く無視されています。誰もそれに応えようとしません。

エクアドルでは、マリア様が目を開いた閉じたというだけで、司教様たちは感謝の行事を、25周年、50周年と盛大に祝いました。

しかし、マリア様は日本で涙を101回流されたにも関わらず、何の反応もありません。無視されています。

秋田涙

あと数年でもう既に50年経とうとしますが、誰も関心を払いません。

天使は言います、「マリア様の御心に日本は捧げられているけれども、誰もそれに関心を払わないので、マリア様は非常に悲しんでおられる。」

では、私たちは一体どうしたら良いのでしょうか?この「400年前にマドレ・マリアナが一生懸命、死の、地獄のような苦しみを受けて、そして祈りを捧げたから、もう私たちは関係ない。私たちの為にやってくれたから、いいんだ」で良いのでしょうか?

マリア様が天から私たちの元、日本にやって来て、こう言われています。
「さぁ、これから大変な時が来る。罪が今地上に溢れている。このままでは天主御父が、本当は嫌なのだけれども、目を覚まさせる為に、罰をせざるを得ない。何とかそれを防ぎたいのだけれども、犠牲の霊魂が必要だ。」

私たちは一体どのようにしたら良いでしょうか?

ぜひ今日はこのミサを、マリア様の御心を慰める為に、罪の償いの為にも御捧げ下さい。

そしてもしもできれば、今年の5月に、マリア様の秋田の元に私たちは馳せ寄って、巡礼をしましょう。

もちろんお金も時間も犠牲も捧げなければなりませんが、ぜひマリア様が、私たちと日本を憐れんで下さるように、多くの司祭、修道者が、イエズス様をますます愛する道に立ち戻りますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。