ルフェーブル大司教様が最期に勧めてくれた よい四旬節の過ごし方
「祈りの聖母」(部分)by Sassoferrato
2026年2月18日 灰の水曜日
トマス 小野田圭志神父説教 日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)
聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は2026年2月18日、灰の水曜日です。
四旬節とは、復活祭の準備の期間です。私たちの主イエズス・キリストの御復活に与るためには、その前に主の御受難・贖い・犠牲にも与らなければなりません。
では、どのようにしたら四旬節をよく過ごすことができるでしょうか?
今日は、ルフェーブル大司教様がお亡くなりになる前になさった最後のお説教(フランスのニースにて1991年2月17日四旬節第一主日)で、私たちに勧めてくださった、四旬節をよく過ごすための二つのアドバイスをご紹介したいと思います。
ルフェーブル大司教様も私たちに思い出させてくれる通り、四旬節とは「償いの時」です。ですから、食べたり飲んだりして満足させることを控えなければなりません。それは、私たちがよりよく霊的なことに結びつき、天主に愛着するためです。ですから、時々この世の事柄から離れるのはとても良いことです。この地上の物事から心を離して、永遠のことに心を上げるのです。
天主が私たちを創造されたのは、特別の目的があります。それは、私たちが永遠の天国に行くためです。ルフェーブル大司教様は、特に天主の掟を実践することによって、よりよく天主に嘉されることができると教えてくれています。
ところで、天主の掟とは何でしょうか?
私たちが、この地上での短い時を過ごした後、天主の掟(天主の法)によって、私たちは究極の目的である天主へと向かうことができます。ですから、天主の掟とは、私たちが天国へ行くために主が記された道しるべ・道のりに他なりません。
天主の掟とは、つまり、全てに超えて天主を愛し、天主のために隣人を愛することです。そして、天主の十戒は、次の二つにまとめることができます。
「天主を愛し、隣人を愛する」
もしも、私たちが毎日、天主を愛し、隣人を愛するなら、天国への道を確実に歩んでいるということになります。
では、ルフェーブル大司教様によると、私たちはどのようにすれば天主と隣人への愛を最も良く表すことができるのでしょうか?
順に見ていきましょう。
【1:天主への愛】
まず初めに、私たちは、どうしたら天主への愛を表すことができるでしょうか?
ルフェーブル大司教様は核心を突きます。最も深く本質的な愛の表現とは「祈り」によって表されます。祈りとは、私たちの心を天主へと上げることです。
「祈りとは、心を天主に上げて、天主を崇め、感謝をささげ、必要なものを願い求めることです。」(聖ピオ十世の公教要理詳解)
もしも、私たちが心を天主へと上げるなら、いつも絶え間なく、そしてますます心を天主へと上げるならば、私たちは、よりよく霊的なことに結びつくことができるようになります。ですから、ルフェーブル大司教様は、私たちが四旬節の間によく祈るようにと、より一層祈ることを勧めておられます。
ルフェーブル大司教様は、三つの種類の祈りを例に説明されます。
(1)口祷:心を集中させ、信仰の精神をもって声に出し、唱える祈りです。こうやって声に出して、私たちは主への愛を表します。ミサ聖祭、ロザリオ、朝と夕の祈りなど、多くの熱心な信者が生涯の間に行う祈りです。そして天国に行っても、聖人たちはこの祈りを続けながら、天主への礼拝と賛美、そして感謝を捧げます。
(2)念祷・黙想:声に出さず心の中で捧げながら、心を天主へと上げる祈りです。たとえば、天主の偉大さや憐れみ、天主の永遠など、いろいろなテーマについて、声を出さずに考えながら祈ります。
たとえば、御聖体訪問を行い、十字架像を見つめながら、一日の間のしばらくの時間、心を天に向けながら天主のことを考えます。天主が、どのように私たちにご自分の愛を示されたのかなどを考え、日頃の煩いから心を離して、しばし心を上に、天の方に上げるのです。聖人たちや霊的指導者たちは、この念祷をするようにと強く勧めています。
(3)最後に、ルフェーブル大司教様が、最も大切で最も本質的な祈りとして挙げるのが「心の祈り」です。
これは、私たちが天主に対する愛を内的に表すことです。つまり、天主について特定の主題を考えるわけではなく、また、天主がなさった私たちへの特定の愛の表現を黙想するのでもなく、ただ単に、天主に愛の念を起こすことにあります。それはちょうど、幼子が大好きなお母さんやお父さんに抱かれ、お母さんとお父さんを愛して幸せであるように、私たちも心から湧き上がる深い愛で主をお愛しするのです。
この「心の祈り」は、天主に最も嘉される祈りです。何故かというと、私たちの心も精神も意志も時間も、私たちの全てを天主のために、天主がご自由にお使いになるようにとお捧げする祈りであり、そのような心の持ち方でもあるからです。そしてこれが、罪を避けるための最大にして最善のやり方でもあります。何故かというと「心の祈り」で常に、いつも絶えず全てを天主にお捧げする人は、罪を犯し天主から離れることを恐れるからです。
心から愛する天主に、私たちはどうして不従順であることが出来るでしょうか?
罪を犯して、主から離れることがあり得るでしょうか?
この三つのお祈りを挙げた後に、ルフェーブル大司教様は、四旬節の間、祈りをすることで、この世の物事から心を引き離し、天主にますます一致することができると勧めています。祈りによって、天主を愛するという十戒の最初の三つの掟を守ることができると。
【2:隣人への愛】
では第二に、隣人への愛はどのようにしたらよく実践することができるでしょうか?
私たちは、隣人(兄弟姉妹、家族、友人、同僚)に対して親切に奉仕することができます。
ルフェーブル大司教様は、お説教の中で聖ヤコボの書簡を引用します。
「舌は押さえきれない悪であって、死の毒に満ちている。それによって私たちは、主なる父を賛美し、またそれによって、天主にかたどってつくられた人間を呪う。」
つまり、ルフェーブル大司教様によれば、四旬節の間、私たちは自分の話す言葉に気を付けなければならないということです。
私たちは、早急な断罪、批判、悪口、讒言、他人の中を悪くさせるような、仲を引き裂くような告げ口、人々を一致させる代わりに分裂させるような耳打ち(コソコソ話)などを避けましょう。人を批判して仲を裂くのはとても簡単にできます。しかし、私たちはその代わりに愛徳の言葉を話すことにいたしましょう。
【遷善の決心】
では、最後に遷善の決心を立てましょう。
ルフェーブル大司教様は、この二つのことを実践できるように、私たちの主、聖母、聖ヨゼフを見習うことをご提案されました。
特に、私たちの主イエズス・キリストは、33年の地上での御生活のうち、30年をナザレトで、家族と愛徳の生活をしてお過ごしになりました。これは、私たちに模範を残すためであると、ルフェーブル大司教様は強調なさいます。
主は、厳しい断食や苦行といった難しいことを、私たちに一切お求めになりません。そうではなくて、主は、ご自分がナザレトでなさったのと同じようなことを、つまり、愛徳の実践だけを私たちにお求めになります。ですから、私たちは特にイエズス様の愛徳の模範に倣いましょう。
最後に、マリア様と聖ヨゼフにお祈りいたしましょう。
私たちが、秘跡を通して聖寵を頂きながら、この地上で愛徳を実践し、ついには天国での至福に与ることができますように。
この四旬節は、特にこの愛徳を実践いたしましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
Mgr Lefebvre, le dernier sermon de sa vie