ロザリオに隠されている秘密の玄義とは何でしょうか?

ソース: FSSPX Japan

2025年10月12日 聖霊降臨後第18主日

トマス 小野田圭志神父説教

日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)  聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

十月は、私たちの大好きなロザリオの月です。

先週の火曜日は、ロザリオの聖母の祝日を祝いましたし、明日は、マリア様がファチマで最後の御出現をなさった日です。ですから、一緒にロザリオの祈りについて黙想しましょう。

なぜ、歴代の教皇様たちは、たくさんの回勅を通して、私たちに「ロザリオを唱えるように」と何度も教え、熱心に勧め続けてきたのでしょうか?

いったいなぜ、近年、マリア様がファチマやルルドで御出現された時、必ずその御手にロザリオを持ち「ロザリオを唱えなさい」と「ロザリオを毎日お祈りしなさい」と私たちにおっしゃったのでしょうか?

その理由は、ロザリオの中に、私たちが信ずべきキリスト教の核心、つまり、主イエズス・キリストとマリア様の偉大な神秘が、そしてマリア様の母としての役割が深く滲みこんでいるからです。それを今日一緒に黙想いたしましょう。

いったい、ロザリオに隠されている秘密の玄義とは何でしょうか?

それを今日説明します。

1995年、ポーランドのチェエンストホーヴァ、ここはマリア様の巡礼地であり、奇跡の御影(ごえい)があって有名なところですが、そこで、聖母神学で有名な神学者たちが一堂に会して、マリア様に関する聖母神学会議が開かれました。

そして、数日間の発表と討論の末、その学会の最終回には、マリア様に関する三つの真理を信仰のドグマとして決定すべきであり、かつ決定できると決議しました。その三つの真理とは、いつもカトリック教会が教えてきた、聖母に関する聖伝のおしえです。つまり、カトリック教会が常に教え続けてきたこの教えは、ついにドグマとして発表することができるということです。それは何かというと、

1, 聖母の「共贖(きょうしょく)」

マリア様が、イエズス・キリストと一緒に、共同で罪の贖いの業を成し遂げられたことを指します。

2, 聖母の聖寵(せいちょう)の普遍的な仲介

マリア様が聖寵の仲介者であり、全ての聖寵(おめぐみ)を私たちのためにとりつぎ、仲介をされ、私たちに分配してくださることを指します。

3, 聖母の霊的母性

これこそが核心とも言えるべきことですが、マリア様が、私たちの霊的なお母様であることを指します。

そしてこの三つの真理は、ロザリオの玄義の中に全て含まれ、はっきりと明らかにされています。

では、これらのことは、どのようにロザリオの中で教えられているのでしょうか?

簡単に一緒に見てみましょう。

【1:喜びの玄義によって天主の御母となり、共贖と霊的母性が始まる】

【天主の御母】

第一のポイントは「喜びの玄義」です。喜びの玄義では、マリア様が天主の御母になられたというのみならず、マリア様が共贖と霊的母性の役割を始められたことを黙想します。

教会は、431年のエフェゾ公会議で「マリア様が天主の御母である」ことを、不可謬権を使って宣言しました。しかしその以前から、教会は、天使祝詞において「天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために今も臨終の時も祈り給え」という言葉を付け加えて祈ってきました。

マリア様が「天主の御母(テオトコス)」であることは、ドグマになる前から、常に教会が教え、信じられてきたことです。それは何故でしょうか?

喜びの玄義ではっきりとそれがわかります。

喜びの第一玄義では、大天使聖ガブリエルがマリア様にお告げをし、お生まれになる子どもが天主の御子であることを伝えます。大天使の言葉を引用すると、

「それは偉大な方で、いと高きものの子といわれます。」(ルカ132

「天主」という名前を使わずに「いと高き者」と表現されており、また次のようにも言われています。

「生まれるみ子は聖なるお方で、天主の子といわれます。」(ルカ135

喜びの第二玄義で、マリア様は聖エリザベトを訪問しますが、福音によると、聖エリザベトは聖霊にみたされて「主の御母が私を訪問してくださったのですか!」と叫ぶのです。聖エリザベトは、マリア様の御胎内におられる方が「天主の御子」であるとすぐにわかり、そしてマリア様が「天主の御母」であると理解しました。

喜びの第三玄義では、イエズス様が御降誕されたことを黙想しますが、マリア様は、御子イエズス・キリストを「救い主」(ルカ211-12)として、羊飼いや東の国の博士たちに提示します。天使たちが「救い主が生まれた」と歌ったのを聞いた、天軍の天使たちの大群を見たという羊飼い、そして、救い主を告げる星の光を見て、それに導かれてベトレヘムへやって来たという東の国の博士たち、その全てをマリア様は歓迎され「救い主はここですよ」と、彼らに救い主を示します。

マリア様は、ご自分が救い主の御母であり、天主の御母であることを暗示しておられました。

喜びの第四玄義において、御浄めの式に与りに来られたマリア様とイエズス様を見て、老シメオンは、この幼子が真に天主の御子であり、約束された救い主であることを、聖霊のはたらきによってすぐ認識しました。

「私の目は、もう主の救いを見ました。その救いは、あなたが万民のためにそなえられたもの、異邦人をてらす光、み民イスラエルのほまれであります。もう私は死んでもかまいません。主よ、逝かせてください」と。

それと同時に、シメオンはマリア様が天主の御母であることも悟り、マリア様の果たされる特別な役割を認めて預言をしました。「あなたの心も、剣で刺し貫かれるでしょう」と。つまり、シメオンは「あなたもこの子と一緒に苦しむでしょう、共に贖いの業をするでしょう」とマリア様に告げたのです。

喜びの第五玄義で、イエズス様は神殿に残られ、マリア様は三日間、イエズス様を一生懸命に探されます。それは、どれほどの苦悩だったでしょうか。

でも、イエズス様はおっしゃるのです。

「私が、父の家にいるはずであるということを知らなかったのですか」と。

イエズス様は、御自分が天主御父の御子であるとはっきり宣言されます。

こうして、これら五つの喜びの玄義を見ていくと、マリア様が天主の御母であることを、私たちに深く悟らせ、味わわせてくれるのです。

ちなみに、エフェゾ公会議から1100年後の1531年、マリア様は、グァダルーペでインディアンのフアン・ディエゴに御出現され、ご自分が「終生童貞であり、同時に真の天主の御母である」と仰せられ、現在を生きる私たちにも、繰り返しこの真理を教え続けてくださっています。

【共贖】

「イエズス・キリストは天主であり、そのイエズス・キリストをお生みになられたマリア様は、天主の御母である」ということから、教会の教導権は、マリア様についてさらなる真理を教えています。

教父たちは、常に口を揃えて「聖母マリアは、天主の御母であるからこそ、新しいエワである」ことを教えてきました。

聖パウロは書簡の中で、イエズス様のことを「新しいアダム、第二のアダム」と言いますが、この第二のアダムには、どうしても伴侶である第二のエワがいなくてはなりません。この新しいエワ(第二のエワ)は、第二のアダムであるイエズス・キリストと共に、私たちの霊魂を贖うため、一緒に贖いの御業をされるのです。

それは、すでにシメオンによって預言された通りです。「あなたの心は、剣で刺し貫かれるでしょう」と。

よって、イエズス・キリストと一致されたマリア様は第二のエワであり、そして、マリア様が、喜びの玄義において、すでに共贖の役割を持ち始めたということは明らかです。

【霊的母】

それだけではありません。

さらに聖ピオ十世教皇様は、回勅の「アド・ディエム・イッルム」の中で「天主の御母であり、第二のエワであるマリア様は、私たちの霊的な母でもある」と教えています。何故かというと、マリア様は、キリストの神秘体を霊的にお生みになったからです。聖ピオ十世の言葉を引用すると「霊的で神秘的な形ではあるものの、私たちは皆、マリアの子どもであり、マリアは私たちすべての母なのだ」と。

つまり、イエズス・キリストは神秘体の頭で、私たちはその神秘体の部分であり、一員であることを踏まえると、マリア様がイエズス・キリストをお生みになるとは、すなわち神秘体全てを生むということですから、マリア様は私たちの母なのです。

ですから、マリア様が、イエズス様の神秘的な、神秘体の霊的な母となるのは、お告げの時から始まったと言わなければなりません。

以上が、喜びの玄義を黙想しながらわかることです。

【2:苦しみの玄義によって共贖と霊的母性が完成した】

第二のポイントは、こうやって喜びの玄義から始まった共贖、そして霊的母性の役割は、苦しみの玄義によって完成されたということです。

苦しみの玄義とは、いったいなんでしょうか?

苦しみの玄義は、私たちの主イエズス・キリストの御受難を通して、私たちの罪の償いのために、天主の御血というとてつもなく高価な贖いの価が支払われ、私たちの霊魂が、天主によって買い取られたこと、つまり贖われたことを教えています。

でも、イエズス様は、それをマリア様と共になさいました。イエズス様は、新しいアダムとして、新しいエワ(第二のエワ)が必要だったのです。

苦しみの玄義では、マリア様が主の贖いの業に同伴され、イエズス様と一緒にお苦しみになったことをも教えています。新しいアダムの伴侶である新しいエワは、イエズス様の十字架の死に至るまで、共に従順に、天主の御旨に従ったのでした。

「われは主のつかいめなり。仰せの如くわれになれかし」と。

こうして、喜びの玄義から始まった共贖の業が、苦しみの贖いの玄義で完成されるのです。よくご覧ください。

確かに、苦しみの第四玄義である十字架の道行きで、マリア様は主と出会い、共に十字架の道を歩まれたのではないでしょうか?

また、苦しみの第五玄義で黙想するように、マリア様は主の十字架の足元にたたずみ、離れずにずっと立ち留まっておられたではないでしょうか?

マリア様は、新しいエワとして、御子を御父にいけにえとしてお捧げになりました。そして後には、十字架から降ろされた主のご遺体を受け取られます。

でも、これは肉体的なことであり、聖人たちによると、実はそれだけではなかったと言います。霊的に言えばマリア様はすでに苦しんでおられました。マリア様は、協償者として、共贖者として、苦しみの第一玄義「ゲッセマネの園におけるイエズス様の祈りと苦悩」において霊的に一致され、イエズス様と共に苦しまれていたのです。これは諸聖人が私たちに教えることです。

主は、ご自分の御母であるマリア様が、肉体的に鞭打たれ、茨の冠を押し被されることをお許しになりませんでしたが、マリア様は、苦しみの第二玄義の「鞭打ち」と第三玄義の「茨の冠」に霊的に一致されていました。そして、マリア様の汚れなき御心は、まるで鞭打たれ、茨の冠を被せられたかのように、霊的には、すでに非常に苦しんでおられたのです。しかし、聖人たちの教えによると、マリア様は、ご自分の体に鞭を受け、茨の冠を被されるよりも、もっと恐ろしく酷い御苦しみを霊的に受けておられました。イエズス様の御頭の茨の冠の御苦しみのように、聖母の汚れなき御心の御苦しみは、耐えがたく苦しいものだった、と。

こうして、苦しみの五つの玄義において、マリア様はイエズス様と共に苦しまれました。そして最後には、十字架の足元にたたずむ共贖者である第二のエワに、贖い主はこう宣言します。「婦人よ(女よ)、これがおまえの子である」と。

つまり、第二のエワであるマリア様を「婦人よ」と呼び、新しく霊的に生まれた私たち全てのことを示して「これがおまえたちの子どもたちだ」と言うのです。

また、私たちには、弟子の聖ヨハネを通して、私たち全てにマリア様を示し「これがあなたの母である」と宣言されるのです。

まさにマリア様は、苦しみをもってイエズス様と共に私たちを贖い、また、私たちを霊的に、キリストの神秘体の一部として、新しい天主の命へと生み出してくださったのでした。

【3:栄えの玄義によって霊的母性を行使する】

【聖寵の普遍的な仲介】

第三のポイントは栄えの玄義です。

マリア様の霊的な母としての役割は、私たちを霊的に生み出して、さぁ終わった!のではありません。

マリア様の役割はこれから、母としての役割が始まるのであり、それが栄えの玄義です。マリア様は、母として私たちを霊的に育て上げ、天国に行くようにと見守ります。そして私たちを教育し、私たちの霊的生活を世話するという役割です。まさにお母様の役割です。秘跡を通して、助力の聖寵を通して、私たちを天国にまできれいに導かれます。これが、天におられる母としての聖母の役割です。

栄えの玄義とはなんでしょうか? それは、イエズス・キリストの栄光の玄義です。私たちの主イエズス・キリストの御復活と御昇天は、主が天国で私たちのための弁護者、仲介者となり、聖霊を私たちに送られるためでした。そして同時にマリア様も、共贖者として、霊的な母として、この役割を担っておられます。

被昇天で、マリア様は主の御復活と御昇天の栄光にすでに与り、肉体も霊魂も共に天に上げられ、天の元后として立てられました。マリア様は私たちのため、全ての聖寵(お恵み)の仲介者、弁護者となられ、イエズス様と共に天国におられます。マリア様は、全てのお恵みを私たちのためにとりなし、仲介して、私たちに分配してくださっています。

つまり、マリア様は、私たちの救いに必要な全てのお恵み、私たちが聖なるものとなるため(聖化)に必要な全てのお恵み、私たちが終わりまで堅忍するために必要な全てのお恵みを、お母様として、私たちに分配してくださるのです。

何故でしょうか? 何故かというと、私たちがますます成長して、ついに天国にたどり着くことができるようにするためであり、そして、マリア様が私たちを愛するお母様でいらっしゃるからなのです。私たちを天国から助けるためにこそ、マリア様は被昇天され、天地の女王として立てられました。それが、栄えの玄義です。

【4:ファチマの聖母】

昨日の1011日は「天主の御母たる童貞聖マリア」の祝日でした。まさに、マリア様が私たちの母であるという、その根幹にある神秘の祝日です。マリア様が天主の御母であるということは、マリア様がキリストの神秘体の母であり、また、そのキリストの神秘体に一致している私たちの母でもあるということです。聖パウロが言う通り、教会はキリストの充満だからです。

マリア様は私たちを、母として愛しておられますが、マリア様の愛には究極点があります。それはイエズス・キリストです。マリア様が私たちを愛しておられるのは、イエズス様が、私たちを永遠の昔から深く愛しておられるからです。ご自分の御血を全て流し尽くされるほどに、私たちを愛しておられるからです。

マリア様は私たちを愛しておられますが、それは私たちにイエズス・キリストを与えるため、プレゼントするためです。そして、イエズス・キリストへと私たちを導き、連れていくためです。

イエズス様とマリア様は、決して離れることがなく、離すことさえもできません。何故かというと、天主が一つに合わせられたものを、誰も離すことはできないからです。

もし、私たちがイエズス様に近づこうとするなら、今日の福音のように、屋根にのぼって屋根を開け、イエズス様の近くに行こうとする必要はありません。何故かというと、私たちにはマリア様という特別な大きな門があるからです。

マリア様は、その胸に、腕に、心に、いつもイエズス様を抱いておられます。マリア様がいらっしゃるところには、いつも必ずイエズス様がいらっしゃいます。

マリア様が私たちを愛される時、マリア様は必ず私たちにイエズス様をプレゼントしてくださいます。ちょうど、祭壇に置かれた花に近づくと、とても良い花の香りがするように、マリア様に近づくと、イエズス様の素晴らしい聖徳の香りが漂います。また、花たちが、色々なかぐわしい香りをばらまいているように、マリア様も私たちに、イエズス様と、そのかぐわしいお恵みの数々をお与えくださるのです。これが、マリア様の役割です。

そして、明日1013日は、ちょうどファチマの聖母の最後の御出現の記念日です。最後の記念日の時に、マリア様はこう言われました。

「私の名誉のためにここに聖堂が建てられることを望みます。私はロザリオの聖母です。毎日ロザリオを唱え続けなさい。戦争は間もなく終わり、兵士たちは故郷へ帰るでしょう。」

「人々はもはや主を冒涜してはなりません。主はすでにあまりにも深く犯されておられるのですから。」

ファチマでも、マリア様はイエズス様をお与えになるために来られました。私たちのお母様の言葉をよく耳に入れ、そして心に刻みましょう。

もしも、マリア様が聖堂を望むならば、それは、イエズス様を私たちに与えるためです。

もしも、マリア様がイエズス様を冒涜してはいけないとおっしゃるならば、それは、私たちにイエズス様を愛することを教えるためです。

もしも、マリア様が私たちにロザリオを唱えなさいと求めるならば、それは、マリア様が母として、私たちを三位一体の深い神秘に入らせるため、そして、イエズス・キリストへと導くためです。

マリア様は、ロザリオを毎日唱えてくださいとおっしゃりながら、母として私たちに教えようとされているのです。

喜びの玄義は、天主御父が、御子をお生みになる神秘を、マリア様と一緒に、共にされたことを黙想する玄義です。

また、マリア様は喜びの玄義を通して、マリア様が私たちの母として、イエズス様と共に私たちをどれほど愛しておられるかを示しています。

また、マリア様が、イエズス様を御胎内にお抱きになられたその時から、すでに私たちをも受胎されていることを教えています。

イエズス様をお生みになったように、マリア様はどれほど愛を込めて私たちを霊的にお生みになり、そしてイエズス様と一緒に私たちをも、神殿で、天主御父にお捧げになり、そして、もしも不幸にして、私たちの霊魂が罪によって失われてしまったならば、マリア様はどれほど苦しんで、私たちを探し回られ、苦悩に陥られるのかを教えています。

苦しみの玄義は、天主御子が、贖いの神秘をマリア様と一緒に、共になさったことを黙想する玄義です。

そして、マリア様は苦しみの玄義を通して、マリア様がイエズス様と共に、私たちのためにどれほど苦しまれたか、そして私たちも、イエズス様とマリア様のためにどれほど苦しみをお捧げしなければならないかを教えています。

私たちは、マリア様の御助けによって罪を痛悔し、肉体の苦行を捧げ、自分勝手や傲慢を放棄し、日々の苦しみを十字架として受け入れ、そして最期には、天主が私たちに準備され、贈ってくださるその死までも、甘んじてお受けすること、快くお捧げすべきであることを教えています。

栄えの玄義は、天主聖霊が、全てのお恵み(聖寵)を、マリア様と一緒に、共に分配されることを黙想する玄義です。

そして、マリア様は栄えの玄義を通して、もしも私たちが、イエズス様のために、イエズス様と共に苦しむならば、私たちにも、栄光ある復活という報いが待っていること、マリア様がお受けになったような栄光が待っていることを教えています。

【5:第二バチカン公会議】

ところが、第二バチカン公会議は、マリア様に関するこれらをドグマとして決定することを拒否しました。その反対理由の一つは、用語の意味が曖昧であるとされたからです。もう一つは、そのようなドグマの決定は、エキュメニズムの精神に合わないから、です。

しかし、マリア様が共贖者であって、私たちの霊的母であり、全ての聖寵の仲介者でもあるということの、どこが曖昧なのでしょうか?

これらの教えの本質は、全ての霊魂たちを、マリア様の優しく愛深い母としての世話のもとに導くことですから、これほどはっきりしたことはありません。

それどころか第二バチカン公会議は、みずから故意に曖昧な表現を使うことを求めた公会議でした。ですから、唯一の本当の理由は、エキュメニズムのために、マリア様に関する真理を発表しなかったのでした。

第二バチカン公会議は、マリア様の神秘について口を閉ざしただけでなく、ロザリオについてひとこともなく、永遠の救いや地獄についても言及がありませんでした。反ファチマの公会議と言えます。

【6:遷善の決心】

では、最後に遷善の決心を立てましょう。十月はロザリオの聖なる月です。マリア様は私たちにロザリオを唱えるように、毎日唱えるように求めています。私たちの母として、私たちをよりよく愛することができるように、ロザリオを唱えてほしいと思っておられます。ですから私たちも、良い母のマリア様の愛に応えて、ロザリオを毎日お祈りする決心を新たにいたしましょう。

マリア様の神秘の中に、深く入るお恵みを請い求めて、この決心を更新いたしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。