ローマと聖ピオ十世会が 合意することができるはずの一つの点

ソース: FSSPX Japan

2026年2月22日  四旬節第1主日

トマス 小野田圭志神父説教  日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

ついに、四旬節がやって来ました。今日は、四旬節第一主日です。

カトリック教会の聖なる伝統(聖伝)に従って、御復活の前の40日間を、私たちの主イエズス・キリストに倣って、祈りと償いのための聖なる期間として過ごしましょう。使徒聖パウロもこう言います。

「見よ、今は恵みのときである。見よ、今は救いの日である。」

今年の四旬節は、今までに無いほど、まさに特別なお恵みの時です。

何故かというと、来たる71日に聖伝の司教様たちが四名聖別される、その準備の期間でもあるからです。

ですから、今年の四旬節は、例年にないほど聖なる時として過ごさなければなりません。そのための「よすが(手がかり)」として「なぜ、聖伝の司教様たちが71日に聖別されるのか」についてお話ししたいと思います。

第一に「信仰の危機」について、私たちはよく知らなければなりません。

第二に「信仰の危機を解決するために、行われている神学的な対話や討論」を、

第三に「聖ピオ十世会は、いったい何をお願いしているのか」を見て、そして最後に、四旬節をよい時として過ごすための遷善の決心を立てましょう。

【1:信仰の危機】

では、まず「信仰の危機」についてお話ししましょう。

今から60年前であれば、私たちが今ここで行っていることは、世界中で当然のことであり、普通のことでした。もしも司教様がお年を召されたなら、後継者が出来るように計らわれていたでしょう。

しかし残念なことに、第二バチカン公会議は、過去の教導権が教えたことの反対を教え始めました。そして、歴代の教皇様たちが「ダメだ」と言って排斥してきたことを行い始めたのです。これが客観的な事実です。

もっと具体的に申し上げますと、もしも、私たちが今見ているような、一般の教会で行われているようなやり方でミサを捧げ、立ったまま手に御聖体を授けて、ミサの間ずっと立ちっぱなしのまま、そして、いろいろとおかしな歌を歌い、おかしな仕草を行えば、すぐにローマから「あなたたちがやっているのは、異端の疑いがある」と言われ、あるいは破門されているかもしれません。

また、もしも私たちが同性愛のカップルを祝福したとしたら「あなたたちのしていることは非常に危ない。破門の恐れがある」と警告されたかもしれません。

そして、もしも私たちが他の宗教の人たちを呼んで「どうぞお説教をしてください」「一緒にお祈りをしましょう」「禅を一緒にやりましょう」などと言っていたら「あなたは、カトリック信仰を本当に持っているのか?」と異端の疑いをかけられていたに違いありません。処罰の対象になっていたはずです。

ところが、状況は変わってしまいました。

私たちが今見るところによると、第二バチカン公会議の前後では、教義における重大な違いや矛盾が生じています。

カトリック信仰を守り、カトリック信者としてとどまろうとする限り、私たちはどうしても歴代の教皇様たちの教えを選ばなければなりません。これは良心の問題です。何故ならば、まことのキリストの教会に属するための本当の土台、教会の交わりにとどまるための本当の基礎とは、真理の信仰――イエズス・キリストの教えをそのまま信じて、宣言することにこそあるからです。もしも、真実にして本当の信仰がなければ、真の交わりもあり得ないからです。

そして、私たちは、歴代の教皇様と諸聖人の教えを選び取りました。新しい教えではなく聖伝の教えを選びました。教会がいつも、どこでも、常に信じてきた信仰を選びました。何故かというと、カトリック教会が過去二千年の間、間違い続けてきたということはあり得ないからです。ですから、私たちは全カトリック教会のいわば「大多数派」であると言わなければなりません。

それにもかかわらず、教会が今まで続けて来たことを、そのままやり続けていたにもかかわらず、カトリックとして当然守らなければならない聖伝を守っていたがために、私たちは「異端・破門」という立場に追い込まれてしまいました。教会法上の立場が奪われたとされてしまいました。事実上そのような立場に置かれ、今も立ち続けています。これが、現代の信仰の危機の状態です。

【2:教義に関する対話】

では、次に「信仰の危機を解決するために、行われている神学的な対話や討論」についてお話ししましょう。

今月212日、教理聖省の長官フェルナンデス枢機卿様と、聖ピオ十世会の総長パリャラーニ神父様が、共にお二人だけで話し合われた際に、フェルナンデス枢機卿様から次のことを提案されました。

「聖ピオ十世会が、聖伝の司教聖別を中止すれば『神学的な対話』を始める」

「そうして『聖ピオ十世会の教会法上の地位を定める』ことができる」

しかし、聖ピオ十世会の総長は、今回この提案を受け入れませんでした。この理由を理解することが非常に大切です。ぜひ理解してください。何故かというと、これは現実的ではなく、夢物語に過ぎないからです。

1)聖座と聖ピオ十世会は、2009年から約8年間、信仰に関する神学的な対話を続けてきました。最初の2年間は、集中的に、定期的に討論を行い、その後、20176月まで散発的に対話を続けてきました。この8年間、非常に兄弟的な交流と、建設的な対話ができていたのですけれども、教義省長官のミュラー枢機卿様による一方的な決定によって終わりを迎えました。

2)それでも、パリャラーニ神父様が新しく総長となった後、総長は、20191月に「自由で圧力のない状態での、兄弟的な交流と建設的な対話の再開」を聖座に提案しました。しかし、この申し出はローマに断られました。何故ならば、バチカンも聖ピオ十世会のどちらも、第二バチカン公会議以降の基本的な方針に関して、合意に達することはできないことをよく理解していたため、ローマは、これ以上の対話は無駄であると思ったからです。

3)それにもかかわらず、聖ピオ十世会は対話を待っていました。そうして7年の時が経ち、今回、フェルナンデス枢機卿様が「対話をしよう」とおっしゃったのです。しかしながら、フェルナンデス枢機卿様の提案による今回の対話では、

「第二バチカン公会議をどのように解釈するか、教義的・司牧的にどのように解釈するかは、すでに決定されている。だから、それに対して疑問を挟むことは許されていない。そして、これを受け入れなければ制裁を科す」

とされています。これは、兄弟的な交流と建設的な対話を求めているものではありません。つまり、第二バチカン公会議の教えに関して、私たちが今、同意に達することは現実的ではないということです。

二千年間の聖伝の教えと、第二バチカン公会議の教えとが、あまりにもかけ離れ、矛盾していることに関して、どのように同意に至るのか、今の段階では難しいということです。

【3:聖ピオ十世会の願いと約束】

では、最後に第三点として「聖ピオ十世会が願い、求めていること」についてお話ししましょう。

確かに、教義について合意に達することができないことは、バチカンも私たちも、双方によく理解しています。これは、現実的な問題です。しかし、そのような共通認識においても、私たちには合意できる点が一つあるように思われます。それは「霊魂と教会に対する愛」です。この点においてならば、ローマも私たちも同じ心を持っているはずだと、私たちは期待しているわけです。

福音にもありますが、子供が「卵が欲しい」と言うのに、蛇を与えるお父さんはいるでしょうか?

そこで、聖ピオ十世会は、子供がお母さんに信頼してお願いするように、教皇様にたった一つのことをお願いしました。

それは何かというと「教皇様に、聖ピオ十世会の置かれた、特別で例外的な状況を理解して頂きたい」ということです。

私たちは「聖ピオ十世会のために、特別な教会法上の枠組みを作ってください」と申し上げたいわけではありません。教会法上の地位や特別な待遇、特権を欲しているわけでもありません。それらすべては、私たちが望むことではないからです。

私たちは、ただ教会のために、そして、霊的な善を必要として聖ピオ十世会にSOSを求めるすべての霊魂たちに善を施し続けるために、教皇様の「理解」をお願いしました。

実際、教皇フランシスコ様とフェルナンデス枢機卿様ご自身は「通常の枠組みには当てはまらない、複雑で例外的で個別の状況について、耳を傾け、理解を示す」ことを何度も繰り返し、何年にもわたり説いて来られた方たちです。

ですから、私たち聖ピオ十世会が、カトリック教会の一部として過去やり続けてきたように、これからも霊魂の救いのため、カトリック教会に奉仕し続けるままにして頂きたいと、そのために司教を聖別することを見逃して頂きたいと願ったのです。何故ならば、私たち聖ピオ十世会は、霊魂をこのまま見捨てることはできないからです。世界中で、数えきれないほど多くの霊魂たちが、私たちのところに、霊的な助けを求めて来ているからです。

それと同時に、私たち聖ピオ十世会は、教皇様に一つの約束をしました。

それは私たちが「全カトリック教会のため、そして未来の世代のために、将来の教皇様たちのために、聖伝の信仰の遺産をそのまま保存し、私たちに受け継がれたそのままを実践していく」ということです。「この宝を守り続ける」と約束しました。

私たちが、聖伝の司教様を聖別するのは、聖ピオ十世会のためではありません。全カトリック教会の利益のためです。世界中の霊魂の救いのためです。

カトリック教会の聖伝は、ただ神学の本に印刷され、図書館に格納されていればそれで良いものでありません。この信仰の遺産は、そのまま実践されなければなりません!これを、実際に生きなければなりません!私たちはそれを約束しました。一・聖・公・使徒継承の教会が、過去二千年もの間、信じ、愛し、実践してきたそのままを私たちも信じ、愛し、実践する。そうすることで「ローマ教会の真の子供たちつくりを上げる」と約束しました。

【4:遷善の決心】

では、愛する兄弟姉妹の皆様、最後に四旬節の遷善の決心を立てましょう。

現在のカトリック教会の状況は、38年前にルフェーブル大司教様が司教聖別を行われた時と比べると、はるかに信仰の危機を深めています。そして、それはますます多くの人々の目に明らかにされ、理解されるようになっています。

私たちは、物質的なパン――つまり、この世のことだけで生きているのではありません。天主と共に、天国において永遠に生きるために、天国の永遠の命を得るためにこの地上の世に生きています。カトリック教会の目的は、この地上の「正義と平和」「諸民族の進歩」「人権」「環境保全」のためではなく、私たちに永遠の命を与えるために存在しています。そのためにこそ、イエズス・キリストはこの地上に教会を立てました。主が、今日の福音で言われた通りです。

"あなたの天主なる主を礼拝し、ただ天主にだけ仕えなければならない"と書かれている。」

「サタン、退け!」

まさにこれは、アシジの集会のようなエキュメニズムに対する警告ではないでしょうか?

カトリック教会は、三位一体のまことの天主だけを礼拝し、真に本当の天主のみに仕えなければなりません。

四旬節は「祈りの時」です。私たちが、天に特別なお恵みを懇願する聖なる時期です。聖伝の司教聖別のために特別なお恵みを祈り求め、準備をする時です。ですから、この四旬節をぜひ利用してください。今年の四旬節を、ぜひ聖なるものとして過ごしてください。

ローマ聖座のために、教皇様のために、世界中のカトリック信者の方々のために、多くの人々が目を開いて「ああ、そうだったのか!」と理解することができるお恵みを心から願い求めましょう。そのために、祈りと犠牲を寛大にお捧げしましょう。

四旬節の間、どんな犠牲を捧げたらいいでしょうか?

祈りのために、もっと多くの時間を使うのはどうでしょう?

インターネットやYouTubeの動画、コンピューターゲームで時をむなしく費やす代わりに、祈りのために時間を作るのはどうでしょうか?

では最後に「悲しみのマリア様」に――すべての聖寵の仲介者であるマリア様にお祈りいたしましょう。

私たちが、聖なるよい四旬節を過ごすことができますよう、マリア様が、ぜひ取り次いでくださいますように。

「見よ、今は恵みのときである。見よ、今は救いの日である。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。