ラテラノ大聖堂の奉献の説教―カトリックの教会とは何か(大宮)

ソース: FSSPX Japan

ラテラノ大聖堂

ラテラノ大聖堂の奉献の説教―カトリックの教会とは何か(大宮)

2025年11月9日 イヴォン・フィルベン神父

ラテラノ大聖堂の奉献の説教―カトリックの教会とは何か(大宮)

親愛なる信者の皆さま、毎年11月9日、私たちは、ローマにある教皇の教会であるラテラノの聖ヨハネ大聖堂の奉献をお祝いしています。キリスト教世界で最大の教会ではありませんが、最も重要な教会です。今年は11月9日が主日に当たるため、献堂式の(歌)ミサを行うことができます。献堂式が重要なのは、単なる儀式ではなく、カトリック典礼の中で最も荘厳な儀式の一つであるからです。これは、司教だけが行う非常に長い儀式であり、天主のための場所を永遠に聖別して、天主への賛美と祈り以外は何も行うことができないようにするためのものです。アジアにある私たちの聖堂のほとんどは、恒久的な場所ではないため、献堂式は行われていません。そのため、献堂式にあずかる機会はほとんどありませんが、この大きなローマの大聖堂の奉献は普遍教会でお祝いされているため、私たちは献堂式のミサを定期的に行っています。今日の主日に、この豊かな献堂式の典礼にあずかることができて、私たちは幸運です。一年のうちで最も美しいミサの一つですから、このミサを味わいましょう。

この典礼は、「カトリックの教会とは何か」という問いへの答えを与えてくれます。実際、世界にはモスク、仏教寺院、神社、プロテスタント教会、シナゴーグなど、多くの宗教建築物があります。これらの建物とカトリックの教会の違いは何でしょうか。その答えは、一つの言葉にあります。それは、このミサの最初の言葉、つまりミサの最初の聖歌である入祭唱の最初の言葉の「テリビリス」(terribilis)です。カトリックの教会は「テリビリス」なのです。カトリックの教会の何が特別なのかを理解できるように、この言葉について説明したいと思います。

1)ヤコブの夢

「テリビリス」とは、創世記28章で太祖ヤコブが用いた言葉です。これはヤコブの夢という有名な話です。ヤコブは天にまで達する梯子の夢を見ましたが、天使たちがその梯子を上ったり下りたりしていました。夢から目が覚めたヤコブは、「テリビリス」と叫びます。それは「ここは恐ろしい場所」(創世記28章17節)という意味です。彼の感情はどこから来たのでしょうか。それは、主がこの場所に住んでおられることを、彼が理解したからです。「主はこの場所におられるのに、私はそれを知らなかった」(創世記28章16節)。この場所を普通の場所だと思っていたヤコブは、天主がそこに住んでおられることを悟り、「ここは天主の家、天の門である」(創世記28章17節)と宣言します。

このヤコブの物語には、カトリックの教会が持つ三つの主な特徴があります。それを調べてみましょう。

2)天主の家

夢の後、ヤコブは滞在していた場所の名前をルズからベテルに変えました。ベテルとは「天主の家」という意味です。この「天主の家」というのが、カトリックの教会の第一の特徴です。これが、カトリックの教会と世界の他のすべての宗教建築物との違いです。カトリックの教会だけが天主の家なのです。他の宗教の場所は信心の場であったり宗教を教える場であったりしますが、そこに天主は現存しておられないため、天主の家ではありません。京都の寺院のように芸術的に重要な場所であっても、その中に天主の現存はないのです。

献堂式によって聖別された聖堂でなくても、祭壇とご聖櫃がある限り、天主はそこに現存しておられます。カトリックの教会に入るとき、天主の家に入るのですから、ヤコブのように「テリビリス」と言って、自分の小ささを感じなければなりません。

カトリックの教会に天主が現存しておられることが、なぜそれほど特別なのでしょうか。ヤコブの夢の分析を続ける必要があります。

3)天国への門である梯子

ヤコブは梯子の夢を見ます。いや、むしろ階段の夢です。「彼は夢を見た。地上に立てられた一つの梯子が、天にまで達していて、天主の使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。主がその上の方に立っておられた」(創世記 28章12節)。

この階段は、当時の文化的背景に関連しています。この時代の最大の神殿は、「ジッグラト」と呼ばれるもので、人々が頂上まで上れるように側面に階段のあるピラミッドでした。人々は、この階段を上ることで、天主の方へ「昇る」と感じていました。しかし、ヤコブの夢に現れた階段は、天主の方へ昇っていくものであるだけでなく、天使たちが私たちの方へ降りてくるものでもあるのです。この「天主が私たちの方へ降りてこられる天への階段」というのが、カトリックの教会の第二の特徴です。この階段こそが、捧げられるミサなのです。ミサが捧げられるとき、天使たちが上ったり下ったりしており、天主ご自身がそこに現存しておられるのです。カトリックの教会のアイデンティティは、ミサの家であることです。天使たちは、たとえ私たちには見えなくても、捧げられるすべてのミサに本当にいるのです。なぜなら、ミサは、天主を私たちの中に連れて来てくれるからです。なぜ教会は美しい建物である必要があるのでしょうか。それは単純に、最も美しいものであるミサが、その中で行われるからです。実際、ミサはまさに天国への入り口です。教会の美しさは、ミサの美しさに由来するのです。

逆に、多くの現代の教会が醜いのは、非常に貧弱なミサである現代のミサのために建てられたものだからです。

したがって、カトリックの教会の第二の特徴は、ミサが捧げられるときに天国への梯子となることです。私たちがミサにあずかるとき、教会の中に天使たちがいることに気がついているでしょうか。

4)石

ヤコブの夢の話を続けて読みましょう。ヤコブは夢を見た後、何をしたでしょうか。彼は寝るために頭を置いた石を取り、その上に油を注いで聖別しました(創世記28章18節)。教父たちは一致して、「この石はキリストを象徴している」と述べています。実際、「キリスト」という言葉の意味は何でしょうか。それは「油を注がれた者」という意味です。ヤコブのこの行為は、石で造られた祭壇があって、その祭壇の上に油を注いで聖別したカトリックの教会が建てられることの前表です。ご聖櫃と一体となったこの祭壇は、私たちの間に現存しておられるキリストです。ヤコブがこの石を置いたことは、カトリックの教会の中にある祭壇の前表です。まさに、私たちの主イエズス・キリストが現存しておられるのは、ご聖櫃と一体となった祭壇の上なのです。石の祭壇の上に見えるように置かれたキリストのいけにえが、カトリックの教会の核心です。第三の特徴は、「カトリックの教会には石の祭壇がある」ことです。教会は、単に教えや信心の場所ではなく、私たちの主イエズス・キリストのいけにえの場所なのです。

親愛なる信者の皆さま、カトリックの教会と、他の宗教の記念建造物は、まったくの別物ですから、決して混同しないようにしましょう。カトリックの教会は、本当に「テリビリス」なのです。なぜなら、それは天主の家であるからであり、ミサによって私たちのために天国への道を開くからであり、そして、その中心が私たちの主のいけにえが現存する祭壇であるからです。私たちの教会や聖堂に入るとき、これらの要素を心に留めておきましょう。