「全てをキリストにおいて復興させる」が聖ピオ十世教皇のモットーであった
2021年9月5日 聖霊降臨後第十五主日
トマス 小野田圭志神父説教 日本の聖なる殉教砂巡回聖堂
使徒パウロのテサロニケ人への書簡の朗読。(テサロニケ前書 2ノ2-8)
兄弟たちよ、あなたたちも知っているとおり、私たちは、さきにフィリッピで苦しみと侮辱とを受けたが、多くの苦闘のうちに、天主の福音をおそれなく告げる勇気を、天主から与えられた。実に私たちの宣教は、誤りや、汚れや、偽りから出るのではない。私たちは、天主にみとめられて福音をゆだねられたものであって、人間におもねるのではなく、心を試す天主によろこばれようとして語っている。知ってのとおり、私たちはへつらいの一言もいわず、天主が証されるように、物をむさぼる口実をもうけもしなかった。私たちは、あなたたちからも他の人からも、人間からは栄誉を求めなかった。また、キリストの使徒としてあなたたちに負担をかけることもできたが、あなたたちの中で、私たちは子どものようになった。乳母が子どもを育てやしなうように、私たちはあなたたちを愛し、天主の福音だけではなく、よろこんでいのちまでも与えたいと思うほどになった。それほどあなたたちを愛した。
ヨハネによる聖福音の続誦。
ヨハネ21ノ15-17
そのとき、イエズスは、シモン・ペトロに「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たちより以上に私を愛しているか?」とおおせられた。ペトロが、「主よ、そうです。あなたがご存じのとおり、私はあなたを愛しています!」と答えると、イエズスは、「私の小羊を牧せよ!」とおおせられた。また、ふたたび彼に「ヨハネの子シモン、私を愛しているか?」とおおせられた。「主よ、そうです。あなたがご存じのとおり、私はあなたを愛しています!」とペトロがこたえると、「私の小羊を牧せよ」とおおせられた。三たび、「ヨハネの子シモン、私を愛しているか?」とおおせられた。三たび「私を愛しでいるか?」といわれたのを聞いてペトロは悲しみ、「主よ、あなたは全てをご存じです。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです!」といった。イエズスは彼に「私の羊を牧せよ」とおおせられた。
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は2021年9月5日、聖霊降臨後第十五主日です。先日の9月3日が教皇聖ピオ十世の祝日で聖ピオ十世会の守護の聖人の祝日したので、今日は東京では教皇聖ピオ十世の荘厳祭を行っています。そこで今日は聖ピオ十世の生涯を黙想しましょう。
【ヨゼフ・サルト】
今日の福音で、私たちの主は聖ペトロにこう尋ねます。「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たちより以上に私を愛しているか?」「主よ、そうです。あなたがご存じのとおり、私はあなたを愛しています!」「私の小羊を牧せよ。」
主は三回同じことを尋ねます。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか?」聖ペトロとその後継者たちに求めらるのは、イエズス・キリストへの愛です。
将来の聖ピオ十世、ヨゼフ・サルト (Giuseppe Melchiorre Sarto) は、1835年6月2日、北イタリアのトレヴィゾ州リエーゼ村 (Riese) に生まれました。十人兄弟の二番目の子供でした。兄は生後一週間で亡くなってしまっていましたから、実際にはヨゼフが長男でした。特に敬虔な母親(Margherita Sanson 1813-1894)から、天主への愛を学び、信心深く育てられました。子供のころから、ヨゼフ・サルトは寛大な隣人愛、特に貧しい隣人たちへの親切心と犠牲の心に満ちていました。天主への愛からわき出てくる隣人への愛は、生涯を特長づけるものでした。彼の二人の妹たちも後に修道女となっています。
主は、この寛大な家族を、より一層寛大に祝福されました。特に、永遠の司祭の聖母なるマリア様、天におられる私たちの母は、この将来の教皇を子供のころから守り、イエズス・キリストへの愛に燃える、聖なる召し出しへと導いてくださいました。聖ピオ十世は、司祭として、司教、枢機卿、教皇として、生涯にわたって聖母への特別の信心を抱いていました。
1852年、ヨゼフが17歳の時、郵便局で働いていた父親ジョヴァンニ・バッティスタ・サルト (Giovanni Battista Sarto, 1792-1852) が亡くなりました。長男のヨゼフが家族の大黒柱となるべきその時、天主の御摂理でフザリーニ神父 (Don Tito Fusarini, 1812 - 1877)がこの家族を援助し、ヨゼフは司祭になるために勉強を続けることができました。
1858年、ヨゼフ・サルトは司祭に叙品されました。最初はトレヴィゾ司教区のトンボロ(Tombolo)というところに助任(チャプレン)として任命されました (1858 - 1867)。主任司祭であった病弱のコスタンティーニ神父(Don Antonio Costantini, 1821 - 1873)を助けていました。サルト神父は、夕方には聖歌を教え、読み書きを教え、夜になると聖トマス・アクィナスの神学大全、聖書、教会法を勉強していました。イエズス・キリストへの愛に燃えるサルト神父は、特に自分の持ち物を貧しい人々に全て与えて助けていました。コスタンティーニ神父はこう予言したことがあります。「サルト神父は、司教区で一番重要な小教区の主任司祭になるだろう、それから司教の服を着るだろう、それから、…どうなるか見ものだよ!」
1867年、コスタンティーニ神父(Costantini)の予言の通り、トレヴィゾ司教区でもっとも重要なサルザーノ Salzano 小教区の主任司祭に任命されました(1867 - 1875)。新任の主任司祭は32歳と若く、無名だったので、最初は歓迎されませんでした。サルト神父は、その愛徳で、すぐに有名になりました。たとえば、1873年、コレラが町を襲った時は、サルザーノの教会の主任司祭であったサルト神父は、夜昼となく、病に倒れた信徒たちの世話をしました。瀕死の信徒たちを励まして、天国への希望を強めました。天主との愛の一致による実りとして、天主への愛に満ちた信仰の実りとして、ヨゼフ・サルト神父はいつも喜びに満ちており、喜びを周囲に伝えていました。サルト神父のこの信仰と愛徳は、典礼と教会音楽によってますます強められていました。
1875年、司教から任命を受けて、トレヴィゾ Treviso 司教座聖堂の司祭(カノン)となりました(1875 - 1884)。サルト神父の主な任務は、教区事務局長としての仕事と神学生たちの霊的指導でした。
1884年には、マントヴァ Mantova, (英語 Mantua) の司教となります。当時マントヴァ司教区は、秘密結社によって、不信仰と反聖職者主義の悪い影響を大きく受けていた「難しい」司教区でした。しかし、秘跡を受けるように励まし、教理を教えることを推進し、グレゴリオ聖歌の復興を進めて司教区の立て直しに成功しました。特に司祭たちに、毎日の頻繁な聖体拝領を勧めるように教えました。
1893年には、ヴェネツィア総大司教・枢機卿に上げられました。どのような任務に就こうとも、イエズス・キリストへの愛に燃え、イエズス・キリストの御聖体を与え、イエズス・キリストの教えを忠実に伝え、イエズス・キリストによって霊魂たちを養おうとしていました。何故なら、霊魂たちはイエズス・キリストの小羊たちだからです。
【教皇聖ピオ十世】
1903年8月4日、教皇に選ばれました。教会にとって極めて難しい時代でした。サルト総大司教は、天主への愛のため、教会の栄光のために、霊魂たちの永遠の救いのために、教皇職を重い十字架として、受難のカリスとして、受け入れました。
何故難しい時代であったかというと、フランス革命の思想が秘密結社によって拡散され、秘密結社はカトリック教会の内部に浸透して教会を破壊することをたくらんでいたからです。カトリック教会を無きものとし、キリスト教会的な考えさえも撲滅させようとくわだてていました。とくにリベラルなカトリック者によって、教会の内部を侵していました。福者ピオ九世は、回勅「クァンタ・クーラ」や「誤謬表」でそれらを強く排斥していました。それらの誤謬は、教皇聖ピオ十世の時代には、汚水溜めのように結集し、「近代主義」となっていました。
近代主義によれば「信仰とは知性が客観的な真理に同意するという知的な行為」ではありません。近代主義によれば、信仰とは感情です。心のうちで沸き起こって時と状況によって変化していく主観的な感情です。
聖ピオ十世は、そのような近代主義にノー!と言います。カトリック教会に受け継がれた客観的な信仰をそのまま伝えるために全力を尽くします。聖ピオ十世の教皇職のプログラムは最初の回勅 E supremi Apostolatu (1903)で発表されました。それは全てをキリストにおいて立て直す、復興させる」Instaurare omnia in Christo です。キリストへの信仰、キリストへの愛において、立て直すのです。
では、そのために何をしたのでしょうか?司祭の時代から神学校の霊的指導者であったヨゼフ・サルトは、神父、司教、枢機卿、教皇として、つねに聖なる司祭の養成をもっとも大切なことであると考えていました。教会に聖なる司祭を与えること、霊魂たちにイエズス・キリストを与える聖なる司祭を養成することです。回勅「エレント・アニモ」で、司祭の聖徳、イエズス・キリストへの信仰と愛の重要さを訴えます。聖なる司祭とは、つまり第二のキリストとなって、霊魂たちにイエズス・キリストをそのまま与える司祭たちです。聖なる司祭たちを通して、全世界の霊魂たちを聖化すること、全てをキリストにおいて復興させることを目指しました。
そのためにこそ聖ピオ十世は、信仰を伝えるための公教要理の重要性を強調しました。信仰は愛徳の基礎だからです。明確で深い信仰は、天主を愛するように導きます。信仰は、天主への愛のために隣人を愛させます。さらに天主への愛は、信仰を生き生きとさせます。こうして信仰と愛徳とによって、天主と霊魂とは緊密に結ばれます。聖なる司祭たちは、霊魂たちを天主との一致、知性と意志による天主との一致、信仰と愛とによる一致に導きます。
さらに聖ピオ十世は、子供たちに御聖体拝領ができるように配慮しました。御聖体がイエズス・キリストの御体であると理解できる全ての子供たちが、イエズス・キリストと一致できるように計らいました。教皇として主の御旨に従順に従いました。「私を愛しているか?」「私の小羊を牧せよ。」私の羊たちに、滋養豊かな純粋な食べ物を与えよ。
【教皇聖ピオ十世の苦闘】
聖ピオ十世の苦しみは、諸国のフリーメーソン政府が教会に敵対していたこと、また近代主義者たちが宣伝する革命思想や異端的な誤謬でした。たとえばフランス共和国のフリーメーソン政府は、国家というものを神格化させていました。つまり国家には全てを超える権利があると考えていました。
フランス共和国には、1801年にナポレオンと教皇ピオ七世が結んだ政教条約がありました。しかし、1905年、フランスは法律を可決させてこの政教条約を一方的に破棄しました。この法律により、カトリック教会が持っていた地位を奪って、教会をたとえば「サッカー協会」のような文化クラブと同等に置き、国家による監督・支配を試みました。教会の土地や建物も、教会の手から奪い「文化協会」のような団体の管理に置こうとしました。しかし聖ピオ十世はこれを非難し、たとえ教会の財産が奪われても、教会は福音を自由に告げなければならないと訴えました。この抵抗のおかげで、教会は財産を失いましたが、大きな自由を維持できました。
聖ピオ十世は正義を全世界の前で告げました。教皇として言うべきことを隠しませんでした。多くの苦闘のうちに、重い十字架、受難のカリスとして、天主の福音をおそれなく自由に勇敢に伝えました。今日の書簡の聖パウロのように「天主の福音だけではなく、よろこんで生命(いのち)までも与えたいと思うほど」天主を愛し、霊魂たちを愛した教皇でした。かつてキリスト教において一致していたヨーロッパを分裂・解体させる第一次世界大戦が始まる(1914年7月28日オーストリア=ハンガリー帝国のセルビアへの宣戦布告)のを見つつ、1914年8月20日、聖ピオ十世は帰天しました。
【私たちのための模範】
聖ピオ十世の生涯は、私たちに何を教えているでしょうか?イエズス・キリストへの愛です。
イエズスが聖ペトロに言われたのは、「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たちより以上に私を愛しているか?」でした。「私を愛しているか?」つまり、イエズス・キリストを愛するか否かです。主は、「人類を愛しているか?」とも尋ねませんでしたし、「自然環境を愛しているか?」とも「大地を愛しているか?」とも尋ねませんでした。
では、どうしたらイエズス・キリストを愛することができるでしょうか?聖伝の信仰を学ぶことによって、昔からの公教要理を深めることによってです。御聖体を愛する、御聖体を敬虔に拝領することによってです。イエズス・キリストを礼拝して祈る、特に聖伝のミサに与る、一言でいうと天主への愛に生きることによってです。
私たちの聖ピオ十世会が、聖ピオ十世という20世紀の偉大な聖なる教皇様を守護者といただく特権を持っていることを、天主に感謝いたします。私たちの修道会が、聖ピオ十世教皇の模範にならって全てをキリストにおいて復興させるために働くことができるように祈りましょう。
私たちにはふさわしくはないのですが、聖母の御取次と、主の深い憐れみによって、第二の聖ピオ十世のような聖なる教皇様を与えてくださるように祈りましょう。
「ヨハネの子シモン、私を愛しているか?」
「主よ、そうです。あなたがご存じのとおり、私はあなたを愛しています!」
「私の小羊を牧せよ」