七旬節の主日の説教―ぶどう畑の労働(2026年、大宮)
ぶどう畑の労働者
七旬節の主日の説教―ぶどう畑の労働(2026年、大宮)
2026年2月1日 ブノワ・ワリエ神父
七旬節の主日の説教―ぶどう畑の労働(2026年、大宮)
親愛なる兄弟の皆さま、
「(主人は)九時ごろ出かけてみると、怠けて市場に立っている人々を見たので、『あなたたちも私のぶどう畑に行け。正当な賃金をやるから』と言った」(マテオ20章3節)。
この言葉を読むと、四つのことに気がつきます。
一.ご自分の民の救いのために「出かける」という、主の善良さ。
私たちの主は5回、出かけられたと言われています。
1.主は世の初めに出かけられた。種まく者として、被造物をまくために。「種まく者が種まきに出かけた」。
2.次に、御降誕の際に出かけられた。「その正義があかつきのように昇るまで」(イザヤ62章1節)。
3.御受難の際に出かけられた。私たちを悪魔の力から救うために。「わが救い主は出て行かれた」(イザヤ51章5節)。
4.主は、自分の子供たちと所有物の世話をする一家の父親のように、出かけられる。「天の国は、自分のぶどう畑で働く人を雇おうと朝早く出かける主人のようである」(マテオ20章1節)。
5.最後に、主は審判のために出かけられる。悪人に対して最も厳しく取り調べをして、犯罪者や悪事を働く者に、それぞれふさわしい罰を与えるために。
二.人々の愚かさ。「主人は、怠けて市場にいる人々を見た」。
この市場(いちば)とは、この世のことです。なぜなら、人々が言い争って売ったり買ったりするのが市場だからであり、そのため、市場は、多くの出来事や売買に満ちた私たちの日々の生活を象徴しており、また、恩寵と天の栄光を得る可能性が善業と引き換えに売られるところでもあります。
これらの働き人たちが怠け者と呼ばれたのは、彼らがすでに人生の一部を無駄にしていたからです。また、悪を行う者だけが怠け者と呼ばれるのではなく、善を行わない者もそう呼ばれるのです。
怠け者が決して目的を達成できないように、彼らもまたそうなるでしょう。人間の目的は永遠の命です。したがって、正しい方法で働く者は、怠け者でないなら、永遠の命を得るでしょう。
この世で怠けて生きるのは、まったく愚かなことです。なぜなら、怠けることにより、永遠に続く善を失うからであり、この世で少し怠けることにより、永遠の労働を招いてしまうからです。
三.主のぶどう畑で働くことの必要性。「あなたたちも私のぶどう畑に行け」。
人々が働くために送られるぶどう畑は、徳のある生活のことです。
私たちはこのぶどう畑で、五つの方法で働くことになっています。
1.ぶどう畑に善業と徳を植えること。
2.私たちの悪徳という「茨」を根こそぎにして滅ぼすこと。
3.余分な枝を切り落とすこと。「父は、私にあって実を結ぶ枝をすべて、もっと豊かに実を結ばせるために、刈り込まれる」(ヨハネ15章2節)。
4.「小ぎつね」(雅歌)、つまり悪魔を寄せ付けないこと。
5.ぶどう畑を「盗人」から守ること。つまり、人間の称賛や非難に無関心なままでいること。
四.労働で利益を得られること。「正当な賃金をやるから」。
ぶどう畑で働く者の賃金は1デナリオで、天国という報酬を表しています。
親愛なる兄弟の皆さま、
七旬節の期節は救いについて語っています。すべての人が救いに至るわけではありません。
聖トマス・アクィナスが指摘するように、このたとえ話は、主の善良さ、人間の愚かさ、主のぶどう畑で働くことの必要性、そして、労働で利益を得られることを理解するのに役立ちます。
天国での永遠の命という賜物をいただくために、主のぶどう畑で熱心に働きましょう。