マリアさまのお言葉を聞く
2025年8月24日 聖霊降臨後第11主日
トマス 小野田圭志神父説教 日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
【導入:イエズス・キリストの御業】
今日の福音によると、イエズス様がガリラヤの海辺に来ておられるとき、人々が言葉も話せず耳も聞こえない人をつれてきて癒しを願いました。イエズス様はその願いに応え、その人の耳に指を入れ、またつばをつけてその舌にさわり、天をあおいで吐息をつき、その人に「エッフェタ!-- 開けよ --」とおっしゃると、すぐにその耳はひらけて聞こえるようになり、舌のもつれも解けて正しく話せるようになった、とあります。これは本当に起こったことですが、教皇聖グレゴリオは、このイエズス様の指とは天主の指であり、聖霊のことだと言っています。聖霊がこの耳を開かせると。
ですから、今日はイエズス様に、ぜひ同じ奇跡を私たちのために行なってくださるように願いましょう。イエズス様が聖霊を送って私たちの耳に入れてくださり、私たちの耳が開かれ、聞こえない天主の言葉を聞くことができますように。
特に一昨日の金曜日は、日本の最上位の守護者である聖母の汚れなき御心の祝日でしたから、マリア様の汚れなき御心の御声が聞こえますように。特にイエズス様を抱いておられるマリア様、次に十字架から降ろされたイエズス様を抱いておられるピエタのマリア様、その御言葉を聞くことができますように、今日黙想を提案します。
そして、同じように、イエズス様がイエズス様のつばを私の舌につけてくださり、イエズス様の語りたいような話を私にさせてくださるようにもお祈りします。そしてマリア様の母としての愛の心が正しく伝わることができるようにお祈りしながら、この黙想を提案します。
願わくは、私たちの舌が、聖母の母としての心を正しく表現することができますように。
【1:私たちは聖母に抱かれている子供】
まず、幼いイエズス様を抱いているマリア様の、私たちにおっしゃりたい言葉を黙想しましょう。
実は、私たちはマリア様の胸に抱かれている子供たちです。マリア様は、聖フランシスコ・ザベリオと一緒に日本に来られました。聖フランシスコ・ザベリオが持ってきたマリア様の御影(ごえい)は、幼いイエズス様がマリア様のお膝のうえに座っている美しい聖母の御姿でした。島津貴久はそれを見ると、あたかも日本人を代表するかのように、非常に感動してひざまずきました。そして周りの者に「控え、控え!」と、聖母にきわめて敬虔に敬意を表しました。マリア様は、私たちすべてを、愛する子供としてお膝のうえに座らせてくださり、私たちを守ってくださっています。私たちはマリア様の愛にいつも包まれているのです。
私たちがマリア様の子供であるということは、日本に住む私たち一人ひとりに、シスター笹川を通して、天の「極みなく美しい声」で呼びかけておられます。
「わたしの娘よ!わたしのこどもよ!」
「ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。ここの一人一人が、わたしのかけがえのない子供です。」
マリア様がシスター笹川に語った言葉は、日本の私たちすべてに言われた、マリア様の母の愛に満ちた言葉です。優しさと慰めと希望にあふれる言葉です。なぜ優しさと希望と慰めにあふれるかというと、私たちが母の愛をますます感じるからです。
子供はお母さんの胸に抱かれているとき、何の恐れもなければ、悩みもありません。お母さんがそばについているからです。お母さんのもとを離してみてください。すぐに子供は泣き出します。でもお母さんがそばにいれば、子供はまったく安心して、なんの心配もありません。
ところで、地上のお母さんたちは、時に子供から離れることがあるかもしれません。でも、たとえ離れていても母は子供を愛しています。しかし、たとえ愛していたとしても、遠く離れていては子供を守ってあげることはできません。
8月になると、いつも私たちは戦争のことを思い出しますが、第二次世界大戦のとき、日本の多くの若い兵士たちが「お母さん!お母さん!」と言いながら最期を遂げ、命を捧げていきました。兵士たちは、戦場で自分の母親を懐かしく思い出して、手紙を書き、涙を流し、そして命を捧げていきました。もちろん、子供を兵隊として送り出したお母さんたちは、心は子を抱きしめたいという愛でドキドキと高鳴っていますが、残念にも子供はそばにいませんし、守ってあげることもできませんでした。
しかし、マリア様は違います。何故かというと、マリア様はいつも私たちのそばにおられるからです。マリア様は、私たちから決して離れることがありません。たとえ、私たちがマリア様のことを忘れてしまったとしても、また、私たちが踏み絵のように、マリア様の御顔をのっぺらぼうにするまで踏みつけてしまったとしても、マリア様は私たちのすぐそばまで駆け付けて来られます。マリア様は、シドッティ神父様に連れられて、日本にやって来られたではないでしょうか? マリア様は私たちの本当のお母様です。私たちのお母様は、天主の御母、天地の元后、女王です。そのような母に抱かれて、私たちは何を恐れることがあるでしょうか? 私たちは、マリアさまの保護のもとに守られ、マリアさまの腕に抱かれ胸の中にいるのに、いったい何を心配することがあるでしょうか?
ところで、地上のお母さんたちは、子供を愛して近くにいたとしても、抱きしめていたとしても、必ずしも助けることはできないかもしれません。どれほど多くのお母さんたちが、病で苦しむ子供たちに寝ずに付き添い看病をしても、何もしてあげられないこともあります。子供たちが苦しんでいるのを見て、ほろほろと涙を流すだけかもしれません。
しかし、マリア様は違います。絶対に違います。何故ならば、マリア様は全能の天主の御母であるからです。マリア様は、祈りによってなんでもできます。マリア様は、グァダルーペで、フアン・ディエゴを通して私たちにこう言われました。私たちのお母さまの言葉を聞いてください。
「わたしの子どもの中で一番小さなものよ、聞いて心に留めなさい。
恐れ、悩むことは何もありません。
顔を曇らせたり心を乱したりしてはなりません。
この病、そしてほかのどんな病、痛み、苦しみも怖れてはなりません。
あなたの母はここにいるのではないですか?
あなたは私の庇護のもと、覆いの中にいるのではないですか。
私はあなたの喜びの泉ではないのですか?
あなたは私のマントにくるまれ、私の腕の中にいるではないのですか?
このうえ何が必要なのですか?」
これがマリア様の御言葉です。
では、マリア様は、十字架から降ろされたイエズス様を抱いている姿で、私たちになんと語っておられるでしょうか?
私たちはマリア様の愛する子供です。マリア様は、私たちをその胸にやさしく抱かれておられます。これは単なる比喩でもなく、レトリックでもありません。現実です。本当です。世の終わりまで続く真実です。
マリア様のお膝の上にいるならば、何故、私たちには辛いことや苦しいこと、不幸に見えることがあるのでしょうか?
お母さんがこんなにも愛してくださっているのに、なんで私たちには苦しみがあるのでしょうか?
何故ならば、マリア様は天主のやり方で、本当の意味で私たちを愛してくださっているからです。天主御父が御子イエズスを愛されたそのやり方で、最高の愛で私たちを愛してくださっています。では、天主御父は、御子をどのように愛されたかというと、御子に十字架を送り、最も高い栄光に導くことによって御子を愛されました。「これは私の愛する、喜びとする子である」と、主は何度言われたことでしょうか。マリア様も、同じやり方で私たちを愛されます。十字架を通して、私たちがイエズス・キリストのようになるためです。ですから、マリアは、特に日本にいる私たちのことを愛されて、秋田でこう願われました。マリア様が私たちに願ったことを聞いてください。二つあります。それは「祈りと償い」でした。
「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。
…これからもたくさん、たくさん唱えてください。」
「わたしの娘よ、…主を愛し奉っていますか。
主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。
…世の多くの人々は、主を悲しませております。
わたしは主を慰める者を望んでおります。
天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。」
これが、マリア様の私たちへの望み、願いです。
【2:遷善の決心】
では、最後に遷善の決心を立てましょう。
たとえ私たちに苦しみがあろうとも、愛する母マリア様は、私たちのそばに常におられます。私たちは、マリア様のお膝のうえに安らかにおります。ですから、私たちには、苦しむことや泣くことは許されていますが、マリア様の愛を疑うことだけはできません。マリア様に信頼いたしましょう。絶対的な信頼を置きましょう。何故かというと、私たちはマリア様の胸に抱かれているのですから。そして抱かれたまま、天主の御母にして、私たちのお母さまであるマリア様の愛の御言葉を、もう一度聞いてください。
「わたしの娘よ、…主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。…世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。」
「イエズスは、その耳に指を入れ、またつばをつけてその舌にさわり、天をあおいで吐息をつき、その人に「エッフェタ!」とおっしゃると -- それは開けよという意味である -- その耳はひらけ、すぐ舌のもつれはとけ、正しく話せるようになった。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。