マーチフォーライフの霊的な意味(大宮)

ソース: FSSPX Japan

上智の座

マーチフォーライフの霊的な意味(大宮)

2025年7月21日 フランソワ=マリー・ショタール神父

マーチフォーライフの霊的な意味

親愛なる兄弟姉妹の皆様、

ヨハネの福音の序章に、最初に「天主において命があった」とあります。これは、天主の完全性を表しています。何故かというと、天主は命をこの世界に広げたからです。
この命には、生命には、色々な段階があります。まず一つは、自然の段階です。「彼において、この御言葉において、全てのものは創られた」(ヨハネ1章3節)。御言葉において、すべてのものは、その愛によって創られた、善さによって創られた。私たちの主は、ご自分の被造物についてお話しする時に、もっと詩的な話をします。主は野に咲く花について話されました。天主はすべての被造物を、ご自分が創られたものを、愛しておられます。
さらに、これよりももっと高いレベルの命があります。それは超自然の聖寵の命です。天主の命に私たちが参与することです。イエズス様はこう言われました。「私はこの世に命を与えるために、豊かに命を与えるために来た」(ヨハネ10章10-11節)。またイエズス様は、こうも言います。「もし人が水と霊によって生まれ変わらなければ、彼には永遠の命がない」(ヨハネ3章5節)。
そしてこの命に、生命については、観想する、つまり、天主のことを思い、それを味わう生活、命と、また愛徳の生活、愛徳の命もあります。イエズス様はこうも言います。「Vita erat lux hominum、光は人間の命であった」(ヨハネ1章4節)。天主は、その善さによって、ご自分の完全性を被造物と分かち合おうとします。そして多くの善いものを、善い被造物を通して、ご自分の完全性を表します。
また、私たちは、天主の聖寵の命にもあずかる者となります。もしも聖寵の命にあずかるとしたら、それは天主の命にあずかることであって、天主の真理にもあずかることです。天主の真理にあずかる、そればかりではありません。聖寵の命というのは、私たちが天主の友となることです。主は言いました。「お前たちは私の友である」(ヨハネ15章14節)。すべてのものは、こうやって天主の善さによって、善性によって創られて、そしてそれは、天主が完全であるということを表しています。そのために創られました。

サタンは、この暗闇の君主です。そしてサタンは、天主の創造を憎みます。天主の与えた命を憎みます。まず第一に、すべての段階において憎みます。第一に、肉体の死を導入しました。これは、聖パウロによると、「罪によってこの世に死が入った」(ローマ5章12節)と言います。つまり、サタンが最初のアダムとエワを、最初の人祖を誘惑した時に、彼は嘘をつきました。そして、主の言う通り、「サタンは、その最初から嘘つきであり、人殺しである」(ヨハネ8章44節)。こうすることによって、サタンは、人間の命に対する憎しみを見せます。
そればかりではありません。さらにサタンは、超自然の命に対する憎しみを持っています。何故かというと、私たちが、人間が、また生まれてくる子供たちが、聖寵の命にあずかることによって、ついには天国にもあずかることが、永遠の命にもあずかることができるわけです。しかし、サタンは、これについて非常な嫉妬を持っています。そのために、人間が自分の失ったところに行く、自分たちの代わりに永遠の幸せを楽しむということに対して嫉妬しています。アヴィラの聖テレジアは、「サタンは愛することがない」「サタンは憎しみだけだ」と言っています。それだけではありません。
第三に、サタンは、知的な生活についても憎んでいます。ですから、嘘をつきます。そして、子供たちの死を望んでいます。嘘をついて子供たちに死を導入しようとします。あるいは子供たちの死のみならず、老人たちの安楽死などによって、死を導入します。どのような口実を使うかというと、「自由」あるいは「尊厳」という言葉です。そして、例えば母親が、自分の胎内に宿ったその実りを殺すことさえも、それが、女性の体の所有権の表現であるかのように嘘をついて、これを導入しようとします。なぜこうやって、人々の精神を間違えさせるのでしょうか。何故かというと、サタンは、私たちが、すべてが天主からの賜物である、天主からの貴重な贈り物である、命が天主から与えられたものである、ということを見させたくないと思っているからです。

では、なぜ私たちは、サタン、悪魔の話をするのでしょうか。もしも堕胎をするとしたら、それは女性が、あるいは医者が、あるいは政治家が、そのような法律を作ってさせるのではないでしょうか。あるいは、その政治家の裏にいる秘密結社が、世論を操作して、このような法律を作らせるのではないでしょうか。
聖パウロは言います。「私たちは血肉と戦っているのではなく、悪しき霊と戦っているのだ」(エフェゾ6章12節)。ですから、私たちの戦いは、まず第一に、霊的な戦いと言わなければなりません。もちろん、その戦いのために、私たちの手にする必要な人間的な手段は使わなければなりませんが、しかし、最も主要な戦いは霊的な戦いであるから、私はサタンと言いました。

では、私たちは霊的な戦いを今行っている、そして、この霊的な戦いのためには、私たちの手にすることができる全ての自然の手段を使わなければならないと申し上げました。しかし、もしも自然的な手段を使うとしたら、超自然的な、そして霊的な手段を使うことは、もっと当然なことです。つまり、今日私たちが行おうとするマーチフォーライフというのは、ロビー運動やロビー活動ではありません。そうではなくて、これは償いであり、償いのための祈りです。ちょうど、十字架の上でイエズス様が祈られたように、私たちも償いの祈りを捧げます。パウロ永井博士が言ったように、「私たちは叫ぶのではなく、祈るのだ」と。
第二に、この祈りは、償いの祈りだけでなく、懇願の、お願いの祈りでもあります。この祈りを通して、「日本で、そして世界中で、堕胎が廃止されますように、終わりを遂げますように」という祈りです。
第三に、私たちのマーチフォーライフは、これは、私たちの信仰の公的な表現でもあります、表明でもあります。これは、非常に大切なことです。何故かというと、今の信仰の危機の時代にあっては、私たちの信仰を公然と表すことが非常に大切であるからです。そして、このような信仰の告白は、表明は、天主によっていつも祝福されます。たとえば、私たちの経験することでは、聖母行列あるいは御聖体行列などを公に信仰を表現したその後には、それによって多くの恵みを受けて、多くの方々が、信仰へと回心する恵みを受けます。

最後に、私たちはマリア様の方に目を向けましょう。マリア様をご覧ください。マリア様はその胸に、腕に幼きイエズス様を抱いておられます。そして、足には蛇を踏んで、その頭を踏み砕いておられます。マリア様はイエズス様に、腕に抱いておられるイエズス様に、命を与えた方です、養った方であります。またマリア様は、すべての聖寵の仲介者でもあります。マリア様の御取り次ぎで、すべての人々に、聖寵の命が与えられますように祈りましょう。
マリア様は同時に、信仰の保護者でもあります。私たちが信仰を守るように、守ってくださる方でもあります。
またマリア様は、知恵の玉座でもあります。マリア様がお持ちのすべての段階の命を、生命を、あまねく豊かに広げてくださいますようにお祈りしましょう。
そして最後に、マリア様が蛇の頭を踏み砕いたように、マリア様が、聖書にもあるように、戦いに備えた、軍隊のように強い御方であるということを思い起こして、マリア様に対する信頼のうちに、この祈りを終えましょう。