霊魂の甘美な客
2025年6月8日 聖霊降臨の主日
トマス 小野田圭志神父説教 聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖霊降臨のミサの続唱は、聖霊のことを「霊魂の甘美な客 dulcis hospes animae」と呼んでいます。これはいったいどういう意味でしょうか?
聖霊が私たちを聖なるものとしてくださる神秘を、この言葉を巡って一緒に黙想いたしましょう。
【霊魂を聖化させる客】
霊魂の甘美な客、愛の客、私たちを愛する訪問者たる聖霊とは、私たちにいったいどんなことをしてくださるのでしょうか?
聖霊はあたかも最高の芸術家のようです。私たちの霊魂という貧しく卑しい材料を使って、最高の作品を作り上げてくださるからです。
聖霊が私たちに作り上げようとする最高の美、それはとりもなおさずイエズス・キリストです。何故ならば、イエズス・キリストこそ、まことの天主にして、まことの人だからです。
もちろん、天主御子は、天主の御言葉であり真の天主です。被造物ではありません。
しかし、天主御子は聖霊の働きによって人間となり、童貞マリア様からお生まれになりました。ですからイエズス・キリストは、聖霊が聖母の協力をもって作り上げた、人間としては最高で究極の作品と言わなければなりません。
それと同じように、愛である聖霊は、私たちの霊魂をも、永遠の理想であるイエズス・キリストへと変化させてくださいます。私たちも、聖霊の働きと、童貞マリア様の協力によって、キリストのようにならなければなりません。
では、聖霊はどのようにして私たちをキリストのように変化させ、聖なるものとしてくださるのでしょうか?
聖霊が私たちを聖化する最初のはたらきは、私たちの霊魂に住まうということです。
霊魂のもっとも奥深いところに入り込み、霊魂を最高の傑作に作り上げるため、そこに住まわれます。
聖霊は霊魂に、親密で永続的にずっと続くような善をほどこします。
ちょうどあたかも、友人を愛する王様が、自分の友を富ませ、豊かにさせ、名誉を与え、喜ばせ、楽しませ、そして善をほどこすために、わざわざ友人の家にやって来るかのようです。その意味で聖霊は「霊魂を訪問する甘美な客」と言わなければなりません。
ところで地上のお客様は、普通は数時間、あるいは数日いるだけで帰ってしまいます。
しかし「霊魂の甘美なる客」である聖霊は、私たちが罪を犯して聖霊を霊魂から追い出してしまわない限り、私たちに善をほどこすためにずっとずっと留まり続けてくださいます。
私たちが、ますますイエズス・キリストのようになって変化していくためには時間がかかります。聖霊も私たちにとどまってやさしい影響を与え、一緒に生活し、そして偉大な聖化の業を成し遂げられます。
ですから例えて言うと、霊魂は、私たちを愛するために訪れた「甘美なる客」と、あたかも結婚して、一生涯ずっと一緒に生活し続けるかのようです。
そして、霊魂は究極の聖性に到達します。ただこの地上での生活をずっと続けるのみではありません。ついに霊魂は栄光のうちに完成されて、永遠の命を聖霊とともに永遠に生きるのです。
聖霊が、甘美なお客様としていらっしゃることはわかりました。
ではどうやって、この霊魂の甘美なるお客様である聖霊が私たちの霊魂を聖化し、聖なるものとしてくださるのでしょうか?
それは「愛によって」です。聖霊は霊魂を愛されます。
聖パウロはこう言っています。
「私たちに与えられた聖霊によって、この心に天主の愛が注がれた」(ローマ5:5)
愛とは、相互に愛し合うことですから、聖霊が、愛によって霊魂と一致すれば一致するほど、聖霊はますます霊魂を自分のものとして所有します。そして霊魂も、愛によって、聖霊を自分のものとして所有するようになります。
霊魂が、聖霊を自分のものとする・所有するというのは同時に、聖霊が霊魂を自分のものとする・所有するということです。これが愛し愛されるということです。
聖霊が霊魂を最高に自分のものとしたとき、霊魂は、愛を完全にそして最高に所有したことになります。何故ならば、聖霊を自分のものとするからです。
聖化(聖となること)は天主の愛の業ですから、特に聖霊に帰されています。
ですから、聖霊は「甘美な客」として霊魂に招かれることから、聖化を始めなければなりません。
【聖霊は霊魂に住まわれる】
ところで「三位一体」は、カトリックの信仰によると、その全てをもって成聖の聖寵の状態にある霊魂に住まわれます。
先ほど洗礼式をご覧になった皆さんは、よく分かったかもしれません。洗礼を受けたその瞬間、三位一体すべてが霊魂に宿られ始めます。住まわれ始めます。そして洗礼を受けた方は、神殿として聖別され聖香油を受けます。
イエズス様は、御受難の前夜にこうおっしゃいました。
「私を愛する人(者)は私の言葉を守る。また父もその人を愛される。そして私たちはその人のところに行って、そこに住む。」と。
確かに、三位一体は私たちの霊魂に住み始め給うのですけれども、聖パウロは特に「聖霊」の特別の住みこみについてこう語っています。
「あなたたちが天主の聖所(聖なる場所)であり、天主の霊がその中に住んでおられることをあなたたちは知らないのか。」(コリント前3:18)
「天主の霊」と言います。またこうも言います。
「キリストの霊をもたないから、その人はキリストのものではない。」(ローマ8:9)
「イエズスを死者からよみがえらせたお方の霊が、あなたたちに住むなら、キリスト・イエズスを死者からよみがえらせたお方は、あなたたちに住む霊によって、あなたたちの死の体をも生かしてくださる。」(ローマ8:11)
聖パウロは、私たちの肉体の復活も、聖霊が私たちの霊魂に住むことの結果としておこると言います。しかも、天主が聖霊によって私たちを生かしてくださると言ったのみならず、愛である聖霊が、私たちの霊魂に永遠に住まわれようとされているとも言います。
イエズス様もこうおっしゃいます。
「私は父に願おう。そうすれば、父は、ほかの弁護者をあなたたちに与え、永遠にいっしょにいさせてくださる。それが真理の霊である。世は彼を見もせず、知りもしないので、彼をうけられない。しかしあなたたちは彼を知っている。なぜなら、彼はあなたたちとともに住んで、あなたたちの中においでになるからである。」(ヨハネ14:16-17)
では何故、天主三位一体は私たちの霊魂にこうやってお住まいになられるのでしょうか?
それは、天主が私たちを愛しておられるからです。
天主が、天のいと高き全能永遠お方が私たちを愛し給うので、私たちの霊魂にまで来られて、親密にずっと離れずにおとどまりになりたいと思われるのです!
天主は甘美な愛であり、私たちと一つになりたいと欲するほどに私たちを愛されるのです。とくに、聖霊は天主無限の愛ですから、聖霊のことを「私たちを愛する霊魂の甘美な客」と言うのです。
【3:聖霊と愛徳】
では最後に、天主の愛である聖霊と、私たちが持っている愛徳、成聖の恩寵について考えてみます。
愛の使徒である聖ヨハネはこう書いています。
「天主は愛である。愛をもつ者は天主にとどまり、天主はかれにとどまられる。」(1ヨハネ4:16)と。
さらに、この「愛をもつ者」を「私たち」と言い換えてこう言っています。
「私たちが天主にとどまり、天主が私たちにとどまられることは、天主がご自分の霊に私たちをあずからせられたことによってわかる。」(1ヨハネ4:14)と。
私たちが聖霊にあずかっていることが、その識別のしるしだと言っています。
愛とは、すべての贈り物のその最初にあるものです。
もしも誰かが贈り物をする、プレゼントをするとしたら、それは愛から生まれ出ます。
天主の贈り物(プレゼント)である聖霊についても同じことが言えます。
聖霊は私たちを愛されようとされます。そのために、愛である聖霊を私たちに贈られます。天主にとって、私たちを友のように愛するということと、聖霊を与えることは同じことなのです。
そして、天主が聖霊という贈り物を通して私たちに下さる最高の贈り物は、愛徳(カリタス)と呼ばれています。聖霊を私たちが受けるということは、愛徳を受けるということであり、そして愛徳とは聖霊の似姿です。聖霊は、ご自分の似姿を私たちに注ぎ込んでくださるのです。
この愛徳という聖霊の似姿を通して、私たちは天主と一つになることができるのです。
聖パウロはこうも言っています。
「主につく者は主と一つの霊になる。」(コリント前6:17)と。
ですから、聖霊はご自分自身を霊魂に与えようとするときに必ず愛徳も注がれます。
聖霊が来られなければ、愛徳はあり得ません。聖霊と愛徳には密接な関係があります。
天主が私たちの霊魂に住まわれる理由、また、私たちが天主に留まる理由、それは愛です。天主のほうからいえば、聖霊が自分を私たちに与え尽くすからです。
私たちのほうからいうと、私たちの受けた愛徳が聖霊と親和するからです。
何故なら、愛徳は聖霊の似姿なので、本物(オリジナル)の聖霊とは離れられないからです。そして、幸いなる光として、霊魂の奥深くにしみ込み給うのです。
ですから、聖霊は「霊魂の甘美な客」と言われるのです。
【4:遷善の決心】
では、最後に遷善の決心を立てましょう。
聖霊が私たちの霊魂を訪れてくださり、ますます優しい愛の影響をおよぼしてくださいますように、今日特別にお祈りいたしましょう。
また、聖霊とピタリと一致していた聖母マリア様にお祈りいたしましょう。
その一致はあまりにも完璧であって、マリア様は聖霊の浄配とさえ言われています。
花嫁ではない「花嫁」です。私たちが聖母にならう恵みをマリア様に祈りましょう。
聖霊、来給え、天より、御光の輝きを送り給え!
御身は、優れた慰め主、霊魂の甘美なる客、優しくさわやかなる御者に在し給う。
ああ、いと幸いなる光よ信者の心にしみ込み給え。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。