キリストが王であるとは?

ソース: FSSPX Japan

2025年10月26日 王たるキリストの主日

トマス 小野田圭志神父説教  

日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日は、私たちの王にして愛すべき指導者である、王たるキリストの祝日です。

かつて、ピオ十一世教皇様は、無神論や宗教無関心が世界中に広がり、そしてそれゆえに、全世界が新たな戦争に突入しようとしているただ中の1925年、回勅『クアス・プリマス』で、王たるキリストに関する変わらない真理を確認しました。残念ながら、人類はその声に耳を傾けようとせず、第二次世界大戦に突入してしまいました。

今年2025年の聖年は、この王たるキリストに関する回勅の百周年を祝う年であると同時に、戦争や戦いといった混乱に満ちたニュースを、全世界でますます聞く時代となっています。現代ほど、王たるキリストを必要としている時代はありません。

ですから、今日は、教会の教えと精神に従って、キリストが王であるとはいったい何を意味するのか、イエズス様の王国の特徴とはいったい何かを一緒に黙想して、遷善の決心を立てましょう。

【1:キリストの王権の基礎】

イエズス様の王国は、ただ単に、私たちが勝手に頭で想像したちっぽけなものではありません。現実と事実に基づいた永遠の本物の王国であって、イエズス・キリストが私たちの本当の王であるということを、皆さん確信して、今日は家に帰って頂きたいと思っています。

では、イエズス様が王であるとは、いったい何故なのでしょうか?

ピオ十一世教皇様によれば、イエズス・キリストが私たち全ての人間の王であることには、二つの理由があるとしています。

【理由1】第一の理由は、イエズス・キリストがまことの王で、まことの天主であるからです。もっと正確に言うと、まことの人間となったまことの天主であるからです。

今日の聖パウロの書簡をご覧ください。イエズス・キリストについてこう書いています。

「万物は彼において創られた、天にあるもの、地上にあるもの、見えるもの、見えないもの、玉座(座天使)も、主権(主天使)も、権勢(権天使)も、能力(能天使)も、みな彼によって、彼のために創られた。

quóniam in ipso cóndita sunt univérsa in cælis et in terra, visibília et invisibília, sive Throni, sive Dominatiónes, sive Principátus, sive Potestátes : ómnia per ipsum, et in ipso creáta sunt.

また、いつもミサの最後に読む福音で、聖ヨハネも同じことを言います。

「かれは、はじめに天主とともにあり、万物はかれによってつくられた。つくられた物のうちに、一つとしてかれによらずにつくられたものはない。」

イエズス・キリストは、万物の創造主であります。また、イエズス様がお生まれになった時、主が王であるということは、大天使聖ガブリエルや東の国の博士たちによって宣言されました。

大天使ガブリエルは、聖母にすでにこう告げています。

「かれは、主なる天主によって父ダヴィドの王座を与えられ、永遠にヤコブの家をおさめ、その国は終ることがありません。」(ルカ132-34

また、東の国の三人の博士は、エルサレムでヘロデ大王に尋ねます。

「お生まれになったユダヤの王さまは、いったいどこにおいでになるのですか? われわれは、その星がのぼるのを見たので、おがみにきました」と。

そして、博士たちがベトレヘムで、幼子イエズス様が聖母とともにいるのを見つけると、ひれ伏して主を礼拝し、宝箱を開いて、黄金(王に対する貢)と乳香(天主に対する貢)と没薬(死すべき人間に対する貢)の三種の贈り物を献上しました。

イエズス様の公生活の最初にも、こんなエピソードがあります。ナタナエル(聖バルトロメオ)は、イエズス様についてこう叫ぶのです。

「ラビ、あなたは天主のみ子です!あなたこそイスラエルの王です!」

彼は、イエズス・キリストにおいて預言の成就をすでに見たのでした。

ですから、カトリック教会は、イエズス・キリストが、まことの天主だから王であると言います。つまり、イエズス・キリストにおいて、天主の本性と人間の本性があり、この二つの本性が、天主の御言葉(すなわち天主なる御子)のペルソナにおいて(つまり三位一体の第二のペルソナにおいて)分かち難く結合(合体)しているため、すなわち、位格的結合(ヒポスタシスにおける二つの本性の結合)によって、イエズス・キリストは、まことの天主にしてまことの人間であると宣言します。

そして、イエズス・キリストは天主として、全ての被造物・全宇宙・大銀河を、最高絶対の主権をもって客観的に支配し、統治し所有しておられるため、本当の意味で王であるわけです。

王たるキリストと、そしてカトリック教会は、私たちが知性をもって、謙遜にこの真理を認めることを欲しています。この真理を認めるとは、つまり、私たちが、イエズス・キリストの天主としての権利や主権(支配権・統治権)を認めるということです。

しかも、ただ知性によって認めるのみならず、私たちの意志は、愛をもってこの主権に服従し、主の掟に従わなければなりません。すなわち、私たちが、全てに超えてまことの真理なる主イエズス・キリストを愛さなければならないということです。

【理由2】教皇ピオ十一世が指摘している、イエズス・キリストが王であるもう一つの理由は、征服の権利です。これは、生まれながらの天主による権利ではなくて、第一の理由の発展によって生じたものです。

つまり、イエズス・キリストが贖い主として、十字架の上で流された御血の値で、罪人(つみびと)である私たちを贖(あがな)ってくださったことによります。「あがなう」とは、奴隷などを高いお金を払って「買い戻す」こと、あるいは、お金を払って解放することを意味します。

イエズス・キリストは、この贖いによって、私たちの霊魂を天国へ連れていく権利を得ました。別の言葉で言い換えると、私たち全人類は、悪魔と罪の奴隷状態から買い取られ、イエズス・キリストの主権・王権のもとに置かれたということです。

悪魔という地獄の王の支配、闇の権威下において、罪を犯し、罪の隷属状態にある私たちは、滅びへと向かうしかない惨めな奴隷でした。飢餓や苦しみ、憎しみに苦しむ奴隷に過ぎませんでした。

しかし、イエズス・キリストは、その高価な御血の値を払い、私たちを天主の御国の国民・臣下として買い戻してくださったばかりか、私たちを天主の御国のプリンス(王子)として、子どもたちとして、息子や娘として王の家系に養子相続してくださったのです。

ですから、私たちは、イエズス・キリストが王であることや、天主の主権を知性で認識し、そしてこの主権を、愛を持って受け入れ、服従するのみならず、十字架の贖いの力を慕い、私たちもイエズス・キリストの贖いに倣わなければなりません。つまり、私たちも、自分の十字架をとって、贖い主キリストに従わなければならないということです。

【2:イエズス・キリストの王国の特徴】

では、イエズス様の王国に属する私たちは、その王国の特徴を知らなければなりません。イエズス様の王国は、どのような特徴を持っておられるのでしょうか?

それは一言で言うと、まず、超自然な王国であり、主要には天上の永遠の王国であるということです。

公生活が終わろうとする数日前(つまり枝の主日)、イエズス様が子どものロバに乗ってエルサレムに入城された時、大群衆は、しゅろの枝をとって迎え、ちょうど私たちが枝の主日にしたように「ホザンナ、賛美されよ。主のみ名によって来るおん者、イスラエルの王!」と叫びました。

群衆が、イエズス・キリストを王だと認めたのみならず、聖金曜日、十字架の玉座に座るその直前に、イエズス様は、ローマ総督ポンシオ・ピラトに向かってはっきりと宣言します。

「あなたのいうとおり、私は王である。私は真理を証明するために生まれ、そのためにこの世に来た。真理につく者は私の声を聞く。」

同時に、主はピラトに対し、ご自分の王国について事前にこう説明されていました。

「私の国は、この世からのものではない」と。

イエズス様の王国は、本質的に超自然的なもので天上に属し、霊魂に関するものです。この世に住む私たちも、確かにイエズス様の王国に属しているので、この地上にもその影響は及びます。イエズス・キリストの御国は、私たちの住んでいるこの地上から始まっていますが、その究極の完成は、天上の永遠の王国です。

これは何故か、どういうことであるかというと、十字架によって、キリストが私たちの霊魂を地獄の支配から奪い取ってくださったためです。キリストが地獄の勢力を征服して勝ち取り、勝利してくださったからです。ですから、典礼は、Vexilla Regis(王の御旗)という賛歌で、次のようにはっきりと宣言しています。

Regnavit a ligno Deus. 天主は十字架の木によって統治され給うた、と。

それを確認するかのように、十字架の上において、ヘブライ語、ラテン語、ギリシァ語で、ローマ当局により全世界に向けての真理が書かれ、宣言されます。

「ナザレトのイエズス、ユダヤ人たちの王」つまり「イエズス・キリストは王である」と。けれども、ユダヤ人たちは、イエズスの王国を拒否して「ユダヤ人の王と書かずに、ユダヤ人の王だと自称したと書いてください」と何度も言います。しかし、ピラトは「すでに書いたことは書いたことだ」と答えて、この宣言を決して変えませんでした。

今日の書簡で、聖パウロが言う通りです。イエズス・キリストは、十字架の上で流された御血によって、私たちをご自分の御国の国民として、しかも子どもとして勝ち取ってくださいました。王たるキリストの御血によって、私たちは主の王国の国民・臣民として参与するようになります。聖パウロは次のように言います。

「天主はわれわれを、闇の力から救い出し、愛し給う御子の御国に移し給うた。私たちは、御子において、彼の御血によって贖い、罪の赦しを得る。」

また、聖パウロは、同じ書簡で天主御父について話しながらこう言葉を続けます。

「キリストによって、キリストにおいて、すべてのものを和睦させ、御子キリストの十字架の御血によって、地にあるもの(=私たち)も、天にあるもの(=天使たち)も平和にさせようと望み給うた。」

ですから、イエズス・キリストの王国は、まず第一に霊的なもので、全世界に生きる私たち全ての霊魂が属さなければならない超自然の王国であるということです。言い換えると、イエズス・キリストの王国は、私たち個人、私たちの家族、私たちの祖国、世界中のすべての国々のための霊的な王国であり、私たち皆が、このキリストの御国に所属しなければならない、超自然の霊的な王国ということです。ですから、イエズス様の御国は、地上の国家と対立する余地はありません。

ところで、この主の御国は、どのようにして私たちを統治し、私たちに力を及ぼすのでしょうか? それは「十字架の木によって」です。つまり、十字架の犠牲の再現であるミサ聖祭によって、また主の定めた七つの秘跡によって、その超自然的な影響と効果は、現代の私たちに、また世の終わりまで全世界に及びます。

特にミサ聖祭によって、王たるキリストは、私たちの霊魂を聖化し、さらに御聖体を通して、私たちの間に真に現実に、実体的に現存されます。王として現存されようと、私たちと一緒におられようとされます。

私たちの王が、私たちのすぐ近くにおられるとは、なんという特権でしょうか! なんという、主の憐れみ深い愛なのでしょうか!

そして、ご自分を御聖体としてくださる御聖体拝領を通して、王であるイエズス・キリストの超自然の命を、私たちに与えようとされます。

王の食卓に着いて同じものを食べるとは、なんという特権でしょうか!

ですから、今日の「王たるキリストの序誦」にある通り、特にミサ聖祭によって、イエズス様は「真理と生命の王国、聖性と聖寵の王国、正義と愛と平和の王国」を拡張し、拡大されます。ミサ聖祭によって、悪魔と罪に属している、ご自分の失われた霊魂たちを御国に引き寄せ、悪魔の手から奪い取ろうと、ご自分の国民に、王の子どもたちにしようとされます。このようにして、ご自分の王国に属する聖人たちを増やされるのです。ですから、典礼が言う通り、天主は十字架の木によって、つまりミサ聖祭によって私たちを統治され、その御国を広げます。

【3:キリストの王権の結果】

では、キリストの王権の結果は何でしょうか?

(3-1) イエズス・キリストが、まことの人間となったまことの天主だから私たちの王であるなら、私たちはイエズス・キリストに従い、礼拝しなければなりません。私たちにとってこの模範は、東の国の三人の博士です。

(3-2) イエズス・キリストが贖い主だから私たちの王であるなら、私たちはキリストの歩んだ十字架の道、聖徳の道を歩むように招かれています。今度の土曜日111日は、諸聖人の祝日ですが、皆、キリストの弟子として十字架の道を歩んだ聖人たちです。

(3-3)王であるイエズス・キリストは、ご自分の十字架によって勝ち取った天国の救いを与えるためにカトリック教会を創立しました。カトリック教会は、全世界に行って、イエズス・キリストの福音、イエズス・キリストの御国、イエズス・キリストによる霊魂の救いを伝える使命を受けました。

主は、昇天の前に言われました。

「私には、天と地との一切の権力が与えられている。だからあなたたちは諸国に弟子をつくりにいき、聖父と聖子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、私があなたたちに命じたことをすべて守るように教えよ。私は、世の終わりまで、常にあなたたちとともにいる」(マテオ28:18)と。

カトリック教会は、王たるキリストから命じられた通り、

イエズス・キリストこそ、この世界の創造主であり、愛の天主であること、

だから、私たちの主の恩寵なしには何もできないこと、

イエズス・キリストこそが全ての恵みの源であること、

従って、天国のみならず、この地上での幸せをさえも、イエズス・キリストがなければ得ることはできないこと、を教え続けなければなりません。

聖ペトロは言います。「救いは主以外の者によっては得られません。全世界に、私たちが救われるこれ以外の名は、人間にあたえられませんでした」と。

【4:王たるキリストに対抗する理論】

しかし、愛する兄弟姉妹の皆さん、このようなイエズス・キリストの優しい王国とその拡張の願いにもかかわらず、残念ながら現代社会には、天主に逆らった堕天使ルチフェルに倣い、その真似をして、傲慢にも天主に対立する理論があります。それは、悪魔のように「私は従わない!Non serviam!」と叫び「どんなことでも自由だ、やりたいようにやりたい!」と主張する考え方です。

皆さん、ぜひその罠(トリック)を知ってください。私たちはそのトリックに騙されないようにしなければなりません。いったいどのような考え方でしょうか?

それは「人格の尊厳」や「自由」を誤解することから始まります。この誤解は、客観的な真理と誤謬(間違い)を区別しませんし、超自然と自然の区別もせず、一緒にしてしまいます。

その間違った考え方によると、人間は天主の似姿として、その肖像に似せて創られたのだから、人間には絶対的な「人格の尊厳」(ペルソナの尊厳)がある。だから、人間は絶対的な自由を持つ「神々のよう」なものだ、と主張します。そのため、人間には、他人に害を及ぼさない限り、何でも自分のやりたいように決定し、信じる通りに行動する自由と権利がある、と言います。

カトリック教会は、結婚とは、一人の男性と一人の女性が生涯結ばれることであると教えていますが、このような人々は、自分の乱れた情欲のまま、結婚とは自分の思い通りに自由にできるもので、複数でもよく、また、男と男、女と女とが「結婚」できると、それが尊厳であり、権利であると叫びます。また、他人に迷惑をかけなければ、不潔の罪も離婚も、自分の思い通りにすれば良いのであり「自由だ」と言います。

そして、ケータイやインターネット、ゲームも、その内容がどれほど邪悪であっても「自由だ」と言うのです。

しかし、これは真理の声に従っていません。この理論が間違っている決定的な点があります。それは、ルチフェルと同じ間違いです。もともと、ルチフェルは、本性としては最高の天使でしたが、天主に「嫌だ!私は従わない」と逆らい、罪を犯すことによって堕天使・悪魔となりました。

それと同じように、人間は確かに天主の似姿として、その肖像に似せて創られ「人格の尊厳」を持っていますが、しかし、真理である天主に逆らい、罪を犯すことによって「人格の尊厳」が失われ、悪魔の奴隷になってしまったという事実を忘れてしまっています。

さらに、人となった天主イエズス・キリストによって、はじめて私たちは贖われ「人格の尊厳」を回復したという事実もまた、コロッと忘れてしまっています。ですから、私たちが罪を犯すことによってイエズス・キリストから離れ、その御姿を見失ったまま、王たるキリストに従わないならば、私たちの「人格の尊厳」は再度失われ、私たちは隷属状態へ再び戻ってしまうのです。悪魔の奴隷と霊的な死、破壊へ向かうしかないということです。

【5:遷善の決心】

では、最後に遷善の決心を立てましょう。

ルチフェルの真似をする人々は「俺はキリストの支配を望まないし、従わない!」と叫ぶかもしれません。しかし、私たちは違います。私たちは、天主の御恵みと御助け、そしてマリア様と諸聖人の御取次によって、イエズス・キリストこそが、私の王であると、私の知性と心の王であり、私の家族と祖国の王であると叫びましょう。

イエズス・キリストこそが、私たちを本当に幸せにしてくださり、全ての人に認められなければならない本当の王であり、私たち全世界の、そして全ての時代の国民にとって、まことにして最高の王であると、カトリック教会と歴代の教皇様たちとともに拍手喝采して宣言し、祈りましょう。

御国の来たらんことを!御国が天にあるごとく地にも来たらんことを!

それと同時に、私たちが決心したいのは、聖金曜日にローマの兵士たちがした、王様ごっこのようなものではありません。彼らは、口では「キリストよ、礼拝します」「キリストよ、王様、挨拶します」と言いながらも、やったことはキリストを冒涜することでした。私たちは、イエズス・キリストを本当の王として、その王を愛する臣下として、子どもとして、王の栄光とその御旨に従います。

また、悪魔の叫びに惑わされているような人々が、真理に目覚めますように祈りましょう。

そのためにも、私たちは、聖伝のミサ聖祭を愛しましょう。イエズス・キリストの十字架の再現であるミサ聖祭こそ、王たるキリストの御旗です。私たちは、王である主の御旗の下に立ち留まらなければなりません。この御旗の下で、善のために、十字架とともに罪に対して戦う決心を立てましょう。聖伝のミサ聖祭をもって、このミサ聖祭を愛することによって、十字架のいけにえの再現を支持し、信心することによって、王たるキリストの御旗の下に立ち留まりましょう。

ミサ聖祭と御聖体拝領から力を受けて、イエズス・キリストの愛の掟に従う決心を新たに立て、更新しましょう。私たち個人のみならず私たちの家庭が、イエズスの御旗である十字架の下に立ち留まり、そして、王たるイエズス・キリストに従う家庭となりますように。私たちの家庭が、イエズス・キリストの十字架から、家庭生活の祝福と幸福を頂くことができるようお祈りいたしましょう。イエズス・キリストを家庭の王として愛し、従いましょう。王たるキリストに逆らう全てのものを、私たちの心と家庭、社会から追い出すことができますように。

キリストこそが、私たちを愛へと導き、愛と憐れみ、超自然の聖寵による甘美なる支配を拡張しなければなりません。それはどうしたらいいでしょうか?

ぜひ、マリア様の汚れなき御心にお祈りいたしましょう。

マリア様の御取次によって、イエズス・キリストを王とする私たちが、ついに永遠の御国である天国へと至ることができますように。

私たちを愛し、私たちを本当に幸福にすることを欲している、王であるイエズス・キリストとともに、そしてマリア様や諸聖人とともに、私たち個人が、私たちの家庭が、そして、私たち祖国の兄弟である多くの同胞たちが、王たるキリストとその王国、御愛とに従い、そしてついには、永遠の王国の幸せを楽しむ至福へと至り、主の御国で、この祝福と御国の栄光をともに祝うことができますよう、マリア様の汚れなき御心にお祈りいたしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。