カトリックの父親と母親の姿

ソース: FSSPX Japan

2026年1月25日  御公現第3主日

トマス 小野田圭志神父説教  日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日の福音では、百夫長がイエズス様にこう言います。

「私自身も権威の下についてはいますが、私の下にも兵卒がいます。こちらの者に"行け"といえば行き、あちらの者に"来い"といえば来ます。」

そして、この信仰をイエズス様はお褒めになります。この百夫長は、自分の置かれた立場に基づいて与えられている、自身が持つ権威についてよく理解していました。

そこで今日は、お父さんとお母さんが持っている権威について黙想することを提案します。何故かというと、父親と母親は天主の権威の下にありますが、同時に、特に子供たちに対する権威を持っているからです。

父親は家族の頭とされますが、現代ではそれを否定しようとする思想があります。革命思想であり、フェミニズムとも言われています。父親の権威を崩し、その価値を落とすことで、父親と母親の二人に委ねられた、子供に対する一つの権威が損なわれようとしています。それによって、傷付いているのは父親のみならず、女性と子供たちも同様です。

では、カトリックのビジョンによると、お父さんとお母さんの姿はどのようなものなのでしょうか?

【1:カトリックの父親の姿】

家庭の頭

まず、カトリックの父親の姿を見てみましょう。父親は家族の頭、つまり家長です。もしも、家庭において何かを決定しなければならない時、お父さんはまず祈り、相談し、よく考え、必要で有益なだけ話し合った後に決断します。様々な要望があり、なかなか同意に至らないという時でも、最終的にその問題に決着をつけるのは、お父さんの責任においてです。

この時、家族はまず、お母さんがお父さんの決定に従わなければなりません。しかし、留意しておかなければならないことは、お父さんは頭(かしら)ですが、軍隊の隊長でも軍事独裁者でもないということです。

ですから、全てのことに口を出して、全てのことを自分で行い、誰にも相談せずに全部ひとりで決めるのではありません。また、自分の個人的な思いや都合を家族に押し付けるわけでもありません。かといって、子供たちの非難や要求を前に、自分には関係ないと逃げて、自分の権威と責任を放棄してしまうのでもありません。

善き父親は、家族のメンバーの願いや限界をよく知り、それを超えるような無理はしません。家族の皆のために一番良いことは何かを考えて決定します。家族の家庭の頭――これがお父さんです。

生命を伝える

父親の役目はそれだけではありません。父親は、自然の命と超自然の命を伝えます。また、知識と愛情を始め、人間の生活にかかわる全てを伝えなければなりません。天主は、生命の伝達と保存、そして教育のために人間の協力をお求めです。ですから、天主から与えられたその使命を忠実に果たそうとする父親は、子供たちの教育に非常に積極的です。たとえ、具体的には母親にその仕事を任せたとしても、最終的には、父親が天主の御前にその責任を負わなければなりません。

たとえば、お父さんの手先が器用なら、故障の修理や日曜大工をするばかりか、子供たちに様々な模範を見せ、仕事をよく果たす勤勉さや努力の大切さなどを教えることができます。また、お父さんの姿は、男の子だけではなく女の子の教育にも非常に重要な役割を果たします。親として子供たちの世話をする、愛情深く強い父親の姿がとても大切です。

ある司教(Mgr Theophile Louvard, eveequee de Coutanes, Lettre pastorale, 1947)は「父親は、父の愛とは、自分を与えることだと知っている il sait que l'amour paternel consiste a se donner」と言います。

そして言葉を続けて「自分の仕事の実りよりももっと貴重で子供たちに残すべきものを知っている、それは、申し分のない人間としての、父としての、キリスト者としての模範である」とも言います。

このように父親は、命を始め、名前や家系あるいは物質的な遺産を伝えるのみならず、父親としての姿やキリスト者としての模範といった、知的で道徳的な、また精神的で霊的な遺産をも遺します。何故かというと、婚姻(結婚)そして家族の究極な目的は、天国を聖人たちで満たすことだからです。ですから、お父さんは、子供たちのための本当の善は何か、天国に行くためには一番何が必要なのかをよく識別して、天主の御前で自分の使命を果たさなければなりません。お父さんの願いはこれです。「与った子供の全てを天国に送る」――これがお父さんの責務です。このためには、まずお父さんが、天国の道への先頭を歩まなければなりません。そして、お父さんが決定することは皆、それが天国へ行くに一番ふさわしい決断であるかどうかにかかっており、全てがこの目的のために秩序付けられている必要があります。

良い模範

このように、父親が家族の頭であり、生命を伝える使命を持つ結果、天国の先頭を歩きながら良い模範を示す義務も課せられていることについて、イエズス会の司祭フランソワ・シャルモ神父様【Révérend Père François Charmot S.J. (1881-1965)】は、こう書いています。

「父親は天主とイエズス・キリストを模倣する。父親はとくに子供たちの前で、天主と家族の間の聖なる仲立ちとしていなければならないし、そのように立ち振る舞わなければならない。そのためには、父親は自分の手にできる限り全ての霊的富をかき集めるベきだ。つまり、信仰、忠実さ、名誉、勤労、愛徳などで、これを妻と子供たちに分け与えるために集めるべきだ。」(Esquisse d'une pedagogie familiale, Clovis, 2006, pp. 54 & 56)と言っています。

たしかに、現代の生活はあまりに忙しくなっているので、家族のために時間を見つけるのが難しくなっているのは確かです。それにもかかわらず、お父さんにとって、子供と遊び、勉強を見てあげ、一緒に家事や庭仕事をして、おしゃべりをしながら子供と時を過ごすのはとても大切です。

なにも、高い入場料を払うような遠い遊園地に子供を連れて行く必要はありません。また、子供に高いお金のするタブレットを与えて、ひとりで遊ばせておけば良いのでもありません。お父さんは、携帯電話をいじるよりも、子供のために時間をつくり、相手をする方が大切です。ですから、特にカトリックの家庭にとっては、主日に聖伝のミサに与って一緒に祈り、共に同じ時を過ごすことはとても大切なのです。

今まで見てきた通り、家庭において、父親は主要な権威を持っていますが、母親も子供たちの教育にとって重要な役割を果たします。子供の養育において、父親と母親の二人は、一つの同じ権威を分かち合っています。この権威は、二人が一致して正しく穏やかに行使された時には、より強く効果的になりますが、もしも、子供たちの前で父親と母親の言うことが違っていたり、気まぐれだったりすると、その権威も失墜してしまいます。

【カトリックの母親の姿】

では、カトリックのお母さんの姿とは、どのようなものでしょうか?

お母さんは、家庭においてどのような役割を担っているのでしょうか?

「人類の未来は、政治を司る政治家たちというよりは、家庭で子供たちを育てる母親による」とさえ言われています。カトリックの教えは、母親の美しさと役割の素晴らしさを、あまりにも詳しく説明しているので、その全てを言い尽くすためには、とても時間が足りません。ですから、今はほんの少しだけ、母親の持つ非常に崇高で重大な役割を垣間見ることにいたしましょう。

カトリックの母親

ピオ十二世教皇様はこう言います。

「全ての女性は、母親となるように創られています。文字通り肉体的な母親、あるいは、もっと霊的でもっと高貴な意味で、しかし現実である、母親となることです。創造主は、女性に固有の全てをこの目的のために秩序付けられました。その体のつくり、さらに女性的な精神、特に女性の繊細な感覚です。」

19451021日、カトリック・アクションの女性の会のリーダーたちへの訓話)

マリア様をご覧ください。第二のエワにして、最高の女性であるマリア様は、私たちの主イエズス・キリストの肉体の母親であり、私たち全ての霊的な母です。

これに基づいて、ある司教はカトリックの母親をこう褒め称えています。

「私たちの中に、家庭を保存し、家庭に平和と純粋な喜びをみなぎらせ、敬意と尊厳を維持させる使命を受けた人がいます。それがキリスト教の女性です。キリスト教の最も美しい傑作です。女性は頑強ではない被造物で、異教は女性を貶めました。しかしキリスト教は、私たちが跪いてその前に祈って崇敬する比類ない女性、天主の聖母、マリア様という最高の女性の典型、全ての聖徳の理想を模範として、女性を道徳的で崇高な美しさに高めました。キリスト教は女性を家庭の懐に置き直し、女性を家庭の基礎とし、名誉の玉座に着けました。たしかに夫の権威のもとには服するものの、女性の手に権威の笏を持たせ、甘美さと優しさとに勇気と献身を合わせて権威を行使するようにさせました。」

Mgr Adolphe Manier, eveque de Belley, Letter pastrale, 1920

人類の教育者

旧約時代、エジプト王ファラオは非常に残酷な命令をしました。

「ヘブライ人の男の子たちは皆、ナイル川に捨てられなければならない」と。

この命令があった時、モーゼ(モイゼ)の母親は、自分の男の子を救おうとしました。

「もしもナイル川に捨てられてしまったら、いったいこの子はどうなってしまうのだろうか?」

ですから、樹脂を塗ったかごに子供をいれて、ナイルの川岸のあしの茂みに置きました。そうして様子を見ていると、ちょうどその時ファラオの娘がやって来て、この子を見つけると憐れに思い、モーゼの母親に養育するように依頼します。これを、カトリック教会は「前兆」と見ました。

「ナイル川よりも険しい人生という大河を、子供がひとりで流されるままにいって大丈夫だろうか?」

「子供を守りたい」と願うのが、カトリックの母親の姿です。

そして、ファラオの娘はカトリック教会の前兆です。カトリック教会は、ファラオの娘のように、カトリックの母親たちにこう言います。

「この子を連れて行って、私のために育てておくれ。それについて、私は報酬を与えよう」(脱出29

このように、お母さんは子供を素晴らしく育てるという特別な役割を担っていますが、現代、これに反対する思想があります。たとえばフェミニズムです。

この思想は、女性を男性のようにさせ、父親の姿を消し去ろうとします。しかしその結果、男の子は、攻撃される父親の姿を見て、自分はそのようになりたくないと恐れ、自信を無くして弱々しくなり、女の子のようになってしまう危険があります。

また、お母さんは、フェミニズムのために息子が弱々しくなっているのを見るばかりか、娘たちの苦しむ姿も見ます。何故かというと、女の子は男の子と同じように権威を振るうべきとされますが難しく、むしろ尊重されずに暴力を受け、軽蔑を受け、からかわれ、馬鹿にされています。そうして、女性を高めるはずだったこの思想は、かえって、女性を不幸にする結果を生じさせています。

しかしこれに反して、カトリック教会は、女性を母親という最も高い地位に、家庭の玉座に置いて守ろうとさせます。これについては、また別の機会に詳しく申し上げます。

【遷善の決心】

では、最後に遷善の決心を立てましょう。

天主は、お父さんとお母さんの二人に、一つの親の権威を与えました。これを守るためには、お父さんが自分に委ねられた権威を正しく使い、同時に父親としての義務をよく果たさなければなりません。「天国への道を、先頭を切って歩く」という義務です。そして、この父親の権威を守るためには、妻の寛大な協力が必要です。

子供たちの救霊のため、そして子供たちにカトリック信仰を伝えるため、母親の役割はとても大切です。母親は家庭の心です。マリア様に倣い、子供たちに信仰と良き模範と聖徳を伝え、祈りと犠牲の精神の中にいつも心の平和を見出します。そして、このように素晴らしく良い妻を、夫は愛情深く支えます。

ある枢機卿はこう言います。

「此の父有りて斯(ここ)にこの子有り(Qualis pater, talis filius)」とはよく言われるが、もっとよく言えば「此の母有りて斯にこの子有り」となるだろう。」(Cardinal Pie

私たちは、美しい芸術作品を観るとすごいなと思います。

「ただの木がマリア様の御像になった、イエズス様の聖心の御像になった」「ミケランジェロが大理石を素晴らしい御像に変えた」などと感嘆しますけれども、たとえどれだけ美しいものであったとしても、その作品自体は死んでいます。

しかし、カトリックのお父さんとお母さんには、どれほど崇高な使命が委ねられていることでしょうか!

小さな赤ちゃんを、天国の至福に至るにふさわしい、永遠の生命を受けるべき者として育て上げること、子供たちを生ける聖人へと養成するという、特別で美しい使命です。

いえ、子供たちの将来だけではありません。お父さんとお母さんには、家族の将来やカトリック教会の未来、そして祖国の未来までもかかっていると言えます。お父さんとお母さんは、自分たちの祈りと犠牲、また献身の報いとして、子供たちがまじめで寛大な、立派な青年に育っていくのを見て、どれほど大きな慰めを受けることでしょうか。

またその子供たちが、今度は自分が両親の姿に倣い、カトリックの聖なる家庭を築いていき、あるいは天主の特別な御恵みによって、司祭あるいは修道者として天主への奉仕のために自分を奉献し、身を捧げながら生きる姿を見ること、そうしてますます聖なる家族となっていくのを目の当たりにして、どれほど大きな喜びに満たされることでしょうか。

それだけではありません。ついにはこの世の生活を終えて裁きの座に立ち、天主の御前にまみえる時、天主から与えられた父親・母親としての役割と責務を一生懸命に果たしましたと、謙遜にしかし喜びに満ちて申し上げることができるのは、どれほどの喜びでしょうか。

最後に、聖ヨゼフとマリア様にお祈りいたしましょう。

私たちの兄弟姉妹が、聖ヨゼフとマリア様に倣いながら親としての権威を行使し、素晴らしい父親と母親になることができますように。

また、将来お父さんとお母さんになろうという、結婚を考えている若い子供たちが、自分の理想となるべき理想をよく把握し、それに適う者となれるようお祈りいたしましょう。

私自身も権威の下についてはいますが、私の下にも兵卒がいます。そして、こちらの者に"行け"といえば行き、あちらの者に"来い"といえば来ます。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。