堅振の三つの責務:証人、兵士、使徒
2025年7月13日 聖霊降臨後第五主日
アルフォンソ・デ・ガラレタ司教様御説教(同時通訳:小野田圭志神父)
日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる受堅者の方々、そして親愛なる信徒の皆様、
堅振の秘跡は、私たちの主イエズス・キリストが、私たちそれぞれになさってくださった約束の成就です。主はこう言われました。
「聖霊がおまえたちの上にくだるとき、おまえたちは私の証人となるだろう。エルサレム、全ユダヤ、そしてサマリア、さらには地の果てにまで私の証人となるだろう」(使徒行録1:8)
と言われました。堅振の秘跡は、聖霊の賜物を与える秘跡です。そうすることによって私たちは、完璧な完全なキリスト者となることができます。聖霊の賜物に満たされて、私たちは、聖トマス・アクィナスによると聖霊に充ち満ちた者となります。堅振の秘跡によって、私たちは聖霊の賜物を受けますが、もちろん洗礼を受けた時にも聖霊の賜物を受けます。しかし、堅振を受けることによって聖霊の充満を受けます。そうすることによって、私たちはキリストの兵士となることができます。堅振の秘跡の本質とはつまり、聖霊を賜物として、聖霊自体を賜物として受けることです。聖霊を受けることによって、私たちは聖霊が私たちの霊魂に住まうことになりますが、もちろん洗礼を受けた時にも住まいますが、しかし堅振を受けることによって聖霊の充満を受けるので、より多くの聖霊に満たされた聖霊の住まいが私たちの霊魂に行われます。先ほども申しましたように、聖トマス・アクィナスはこれを、堅振の秘跡を受けることによって、聖霊の完璧な、そして聖霊の賜物の充満を受けるので、あたかも私たちの主イエズス・キリストのように真理と聖寵に満たされた者となることができると教えています。
堅振の秘跡はさらに、成聖の恩寵の増加を与えます。成聖の恩寵というのは、天主の超自然の命が私たちに注がれることです。こうすることによって完璧なキリスト者となることができます。堅振の秘跡の固有のお恵みもあります。それは、私たちに超自然の天主の力を与えることです。こうすることによって、私たちは公にキリストの信仰を告白することができるように力づけられます。私たちがキリストの信仰を告白して、そしてそのために霊的な戦いを行うことができるために、キリストの兵士の役割を果たすことができるようにその力を得ます。聖霊の与える力によって私たちは堅固となります。また同時に、堅振の秘跡は、私たちの霊魂に決して消えることのない永続する印章というものを与えます。つまり霊の印を与えます。霊魂に刻み付けられる印を与えます。この印章というのは洗礼と叙階の秘跡でも与えられますが、堅振でも特別の印章が刻み込まれます。
この印章というのはキリストの司祭職に参与することであって、王たる、司祭たる、大司祭たるキリストのもとで私たちはキリストの道具となるのです。
堅振を受けた方は、聖霊の充満を受け、そして聖寵の増加を受け、そして特に固有の力を受けるのみならず、同時に私たちの主イエズス・キリストが、そして聖なるカトリック教会から三つの役割を受け取ります。それはキリストの証し人となる、証人となること、第二はキリストの軍人となること、最後に三つ目にはキリストの使徒となることです。
キリストの証人、証し人としては、私たちはカトリック信仰を公に告白し、宣言しなければなりません。キリストの軍人、兵士としては、カトリック信仰のために戦い、これを擁護し守らなければなりません。キリストの使徒としては、私たちはカトリック信仰を広げ、伝達し、そしてそれを拡張させなければなりません。この三つの役割というのは、公の秩序のもとにあるものです。つまり、私たちは人々の前でこれを行わなければなりません。社会の前で行わなければなりません。言い換えると、信仰の敵、カトリック教会の目に見える敵の現前で、目の前で、また信仰を迫害する目に見える人々の前で私たちはこれを表し、キリストの証人として軍人として使徒とならなければなりません。つまり堅振の秘跡は、教会の共通善のために、公の皆の善のために秩序づけられています。ですから、教会の与えるこの堅振の秘跡は、個人の私のためだけの善が目的ではありません。すべての霊魂たち、カトリック教会の神秘体のため、教会のすべてのためにこれが秩序づけられています。
皆さんは、この三つの役割をまず信仰に対して、信仰に関して果たさなければなりません。つまりカトリックの本当の信仰の証人となり、これを守り、これのために戦い、それの使徒となることです。このためには、私たちは信仰について深い知識を持たなければなりません。信仰のことをよく知らなければなりません。信仰の完全さ、この完璧さ、この純粋さ、つまり変わることのない聖伝の教導権が、常に教えてきたその信仰を伝えてきたその信仰を、本当の信仰のために私たちは戦わなければなりません。つまり、これは教義上の真理を守るための戦いです。現在、教会の中には、この信仰の真理を組織的に破壊しようとする動きがあります。私たちは、それに対して聖なる信仰の遺産を守り通さなければなりません。教会の教導権が教え続けてきた教えを守り、イエズス・キリストに倣わなければなりません。何故かというと、主はこう言われたからです。
「私はこのためにこの世に生まれてきた。つまり真理を証しするために、証人となるために生まれてきた」(ヨハネ18:37)
常に真理を守り、誤謬に対して戦うのみならず、私たちは聖寵の命に対しても証人となり、軍人となり、使徒とならなければなりません。つまり、超自然の、キリスト教的な聖徳のために私たちは証人となり、戦わなければなりません。超自然のレベルにおいて、キリスト教的な聖徳のために戦う必要があります。霊魂の救いのために、霊魂の聖化のために私たちは全力を尽くさなければなりません。私たちの霊魂のみならず、他の方々の、多くの隣人の霊魂たちのために、家族の聖化のために、また子供たちの聖化のために、教会の善のために私たちは全力を尽くさなければなりません。ちょうど私たちが真理に反する誤謬に対して戦うように、悪に対して、罪に対して戦いを挑まなければなりません。
この三つの役割を、私たちは私たちの主イエズス・キリストご自身に関して行わなければなりません。つまりイエズス・キリストご自身の、その教えの証人となり、兵士となり、そして使徒とならなければなりません。そのためにはイエズス様に対する信心を、愛を持たなければなりません。イエズス・キリストは私たちの道であり、真理であり、命です。ですから、私たちはキリストの名誉のために戦わなければなりません。イエズス様が知られ、愛され、そして奉仕されますように。そしてイエズス様ができるだけ尊重され、尊敬され、そしてイエズス様が霊魂に統治するように、また私たちの心のみならず、色々な制度において、たとえば家族とか、あるいは小教区とか、あるいは学校とかにおいて、イエズス様が王として統治することができるようにしなければなりません。また、私たちが本当の礼拝のやり方によって、本当のミサによってイエズス様が尊重されるように、愛されるように、礼拝されるようにしなければなりません。また三つの役割は、カトリック教会に対しても、一・聖・公、使徒継承そしてローマ・カトリック教会に対しても行われなければなりません。私たちの母なる教会に対してです。ですからこのイエズス様がお立てになったその教会そのこのままを、イエズス様がお望みになったままを続けていかなければなりません。
これを守らなければなりません。これを建築しなければ、多くの霊魂たちを招いて教会を大きくしていかなければなりません。霊魂の聖化のために協力しなければなりません。つまり、私たちはイエズス様が立てた位階階級のある司祭的な教会を続けていかなければなりません。今残念ながらこのイエズス様の教会に対する信仰、また成聖、またその継続性、使徒継承性、そしてその一致などが破壊されようと攻撃を受けています。教会を民主化しようとしたり、あるいはシノドスの教会に変えようとしたりしています。いえ私たちの主は聖ペトロの上に、使徒たちの上にご自分の教会を立てました。君主的なそして位階秩序のある司祭的な教会です。残念ながら今では、たとえばあるバチカンの部門は、修道女によってシスターによって、シスターが長官となっています。枢機卿ではなく、大司教ではなく修道女が。これはイエズス様が立てた司祭的なものではありません。私たちはイエズス様のお望みのままの教会を続けていかなければなりません。
この壮大な職務を前に、私たちにはぜひとも助けが必要です。この助けというのはマリア様です。マリア様は戦いに備えた軍隊のように恐るべきものだと書かれています。そしてマリア様についてはその最初から、原初の時から勝利が約束されています。創世記を見てください。天主はこう約束されました、蛇に向かって。
「私はおまえと女性の間に、この女の間に、またおまえの子孫とこの女の子孫の間に敵対を置く。おまえは彼女のかかとをかもうとするだろうが、彼女はかかとでおまえの頭を踏み砕くだろう」(創世記3:15)
マリア様の勝利が、凱旋が既に最初から予告されています。私たちはマリア様の子孫です。その私たちにも勝利が約束されています。ですから私たちはマリア様に行きましょう。マリア様はすべての聖寵の仲介者であって、私たちのためにキリストと私たちとの間に置かれた方です。私たちが良い戦いを戦い続けることができるために、またイエズス・キリストを見つけるために、イエズス・キリストのすべてのお恵みを見出すことができるために、私たちはマリア様に行かなければなりません。聖寵の憐れみの玉座に行かなければなりません。イエズス・キリストへと行くための道であります。そうすることによって、私たちは最後まで堅忍することができ、良い戦いを戦い続けることができるようになります。そしてついには、永遠の至福に辿り着くことができることでしょう。まさにここにこそ私たちの究極の目的があります。私たちが大勝利をする、私たちが打ち勝つというのは、私たちの救いのため、私たちの霊魂と私たちが愛する方々の霊魂の救いのため、救霊のため、天国に至るためであるからです。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。