イエズス様がカナの奇跡で行われた御公現の神秘

ソース: FSSPX Japan

2021年1月17日  御公現後第2主日

トマス小野田神父  説教

 

愛する兄弟姉妹の皆様、

 

今日は2021年1月17日、御公現後第2主日です。カトリック教会の聖伝の典礼歴は聖霊の導きに満ちており、2000年の歴史に耐えてなお現代の私たちに必要なメッセージを伝えています。

 

1:典礼で意味が深められる御公現の神秘

 

御公現では、星が、イエズス・キリストのもとに異邦の博士たちを導きました。彼らの信仰は、王かつ天主かつ贖い主である幼児に対してなされた贈り物で分かります。イエズス・キリストが王であることを示す黄金、天主であることを表す乳香、贖い主であることを意味する没薬が捧げられたからです。私たちの霊魂も、イエズス・キリストがどなたかであるかという、カトリック信仰のおしえる神秘に導かれました。

 

御公現の8日目である1月13日は、主の洗礼の記念日です。イエズス・キリストは、私たちを罪から浄める洗礼の水を、御自分が受洗することで聖化しました。私たちも、洗礼を受けることにより、罪を全て赦され、さらには罪の結果である罰も容赦されます。しかも、洗礼の水は、私たちの霊魂を天主と結びます。言い換えると、天主は私たちと、聖なる愛のうちに一致します。ちょうど霊的な婚姻です。主が洗礼を受けた時と同じことが私たちにも起こります。つまり、天が開け、天主の霊が鳩の形でくだり、受洗者の上に来て、天から「これは、私がよろこびとする愛子である」と御父が言われるのです。こうして、三位一体が私たちの霊魂に住み始めます。天主との一致の愛の生活、霊的な婚姻生活が始まるのです。

 

2:カナの婚宴

 

今日は、カナの婚姻の宴会です。私たちの主は、カナの婚宴で水を最高のブドウ酒に変えるという最初の奇跡を行います。

 

この宴会にはイエズスの母マリア様もそこに招かれています。聖母は、天主の御言葉が人となる托身の玄義に深く参与された方です。聖母の協力で、天主の本性と人間の本性とは御言葉のペルソナにおいて合体しました。聖母は、全ての人の霊的な婚姻に参与するようにいつも招かれています。

 

この宴会で、ブドウ酒が足りなくなります。準備されていた下等なブドウ酒はすぐに尽きてしまい、参列者の全てには全く足りませんでした。イエズス・キリストが来られるまで、天主の愛という良いブドウ酒を、異邦の民は知りませんでした。最後の晩餐で主が言う通り、キリストは本当のぶどうの木で、御父は栽培者です。真の天主がどれほど愛と命に満ちておられるのかを味あわせてくれるのはイエズス・キリスト以外にはありません。「私は、道であり、真理であり、命である。私によらずには、だれ一人父のみもとにはいけない」(ヨハネ14章)。「私は門である。私を通って入る人は救われ、出入りして牧草を見つけるだろう。…私は、羊たちに命を、豊かな命をあたえるために来た」。「かわいている人があれば、私のもとに来て、そして飲むがよい」。

 

天主の御母であり私たちの霊的な母である聖母マリアは、救い主に言います。「あの人たちにぶどう酒がなくなりました」。その時、主は、天主の御子として聖母に答えます。「婦人よ、それが私とあなたとになんのかかわりがありましょう。私の時はまだ来ていません」と。

 

一見冷たく見える言葉にも、聖母は主の愛と全能と智慧に信頼して、下男たちにこう言います。「なんでも、あの人のいうとおりにしなさい」。

 

主の愛:何故なら、イエズス・キリストは愛の天主だからです。私たちのために御自分の命を与える程、私たちを愛しておられるからです。

 

主の全能:何故なら、イエズス・キリストには全てがお出来になるからです。不可能なことがないからです。

 

主の智慧:何故なら、イエズス・キリストは全てをご存じで、私たちにとって最善が何かを最高の答えが何かを知っているからです。

 

聖母は、私たち全てに同じ言葉を繰り返します。「なんでも、イエズスのいうとおりにしなさい」。イエズスの愛と全能と智慧に、子供のような信頼をしなさい。イエズス・キリストのあなたに対する御旨を果たしなさい。自分の思い通りではなく、イエズス・キリストの欲することを行いなさい。「われは主の仕え女なり、われは主のしもべなり、仰せのごとく我になれかし」と常に言いなさい。イエズス・キリストを愛しなさい。

 

御父も、イエズスの御変容の時にこう言います。「これは私の愛する子、私の心にかなったものである。これに聞け!」

 

福者シュスター枢機卿によると、聖母の願いは、単に婚宴の席に必要だったブドウ酒のことだけを求めていたのではなく、カナの奇跡のブドウ酒がその象徴となる御聖体のことも含んでいました。御聖体の前兆は、その制定の3年前、公生活の最初に行われます。御聖体は、公生活の最後に制定されるべきでした。「父よ、時がきました。あなたの子に光栄をお与えください」(ヨハネ17章)。ですから、聖母の願いを受け入れて、水をブドウ酒に変えつつも、御聖体については「私の時はまだ来ていません」とお答えになったのだと同じ福者は言います。

 

そこには石がめが六つありました。聖アウグスチヌスによると、この世の歴史は七つの時代に分けられ、救い主の到来を待望して六つの時代が過ぎました。古き時代の預言者や前兆は、いわば「水」でした。第七の救いの時代にブドウの木であるキリストは、六つの石がめを水で満たさせます。「その石がめに水をいっぱいにしなさい。」旧約の全ての預言の時代はこれで終わりです。

 

イエズスは、最後の時代のために取っておかれた新約のブドウ酒を与えます。「それを汲みなさい」。天主の御言葉は人間となりました。つまり、主イエズス・キリストは「水」のような人間本性をお取りになって、弱々しい私たち人間を天主の本性にまで高めます。私たちはキリストの神秘体の一部となるまで高められます。キリストがその頭で、キリストの教会はこの神秘体の肢体(体の部分)です。つまり教会は、キリストの花嫁としてキリストと一体となります。このキリストの教会とはカトリック教会のことです。天主の御言葉は、この婚宴を祝うために天から降誕されました。

 

天主は「光栄のためにそなえた『憐れみの器』に対して、その光栄の富を示そうとされた…この憐れみの器はユダヤ人からだけではなく、異邦人の中からも召された私たちである」(ローマ9:23)。カナの石がめは、私たちの霊魂の「うつし」のようです。私たちは、教会の「下男」たちによって洗礼の水で浄められ、主の憐みにより天主との霊的な婚姻を結ぶように、天主の本性に参与するまで高められるからです。聖パウロはこう言います。「あなたたちを清いおとめとしてキリストにささげるために、ただ一人の夫のいいなずけと定めた」(コリント後9:2)と。

 

福者シュスター枢機卿は、次のようにも指摘します。この世の状態は「あの人たちにぶどう酒がなくなりました」です。しかも世俗の精神に従えば、「大抵の人は、先によいぶどう酒を出して、酔いのまわるころに下等なものを出す」、つまり最初は良い約束を味あわせるけれど、虚栄や肉欲に酔わされたころ苦々しいブドウ酒を差し出す、と。

 

こうしてベトレヘムで、星に導かれた博士らは、幼子が天主であり王であることを黄金と乳香であるとの信仰を告白します。(星による御公現)

 

ヨルダン川で、聖霊が下り、御父の声は響き渡り、洗礼の水を受けた主を、ご自分の愛する子であると宣言します。(水による御公現)

 

カナでは、イエズス・キリストご自身が天主として行動します。「これが最初の奇跡であった。イエズスは、ガリラヤのカナでこの奇跡をおこない、その栄光をお示しになった」。(御公現)

 

3:遷善の決心

 

今日の黙想で、私たちは御公現の神秘を深める恵みをこい求めましょう。イエズス・キリストは私たちの霊魂を天主の聖徳の高みまで上げようとされること、天主との婚姻の一致にまで崇高なものとすること、私たちの人生は、イエズス・キリストと結ばれてのみ意味を持つこと、をよく理解できますように。

 

天主と私たちの霊魂との一致、キリストとキリストの花嫁である教会との一致という現実がまずあって、それを映し出す影として「婚姻」があります。結婚しようとするカップルの理想の家庭は、ナザレトの聖家族ですが、その家庭の根本にある「結婚」の本来の姿は、キリストと教会との一致です。婚姻の目的も、婚姻の不可解消性も、婚姻が一人の男性と一人の女性との結合であることも、キリストの神秘体のうつしです。

 

最後に、聖母に祈りましょう。私たちの霊的婚姻の完成のためには、聖母が招かれていなければならないからです。聖母の私たちに言われる言葉「なんでも、イエズスのいうとおりにしなさい」をいつも行うことができますように。

 

「これが最初の奇跡であった。イエズスは、ガリラヤのカナでこの奇跡をおこない、その栄光をお示しになった」。