イエズスの聖心の愛
2025年9月5日 初金曜日
トマス 小野田圭志神父説教 日本の聖なる殉教者聖堂
聖父と聖子と聖霊との御名によりて アーメン。
今日は9月の初金曜日です。
イエズスの聖心の愛について黙想しましょう。
まず最初に、台風にもかかわらずイエズス様の聖心を愛するために、このミサに駆け付けた、御聖体拝領と御聖体降福式を捧げるために、雨だろうが風だろうが、全てを排していらした皆さんを、イエズス様は非常にうれしく思われ溢れるばかりのお恵みを注がれようとされていると確信しています。どのような大海の水さえも愛のその火を消すことができないと言われているのを皆さんの心に見るようです。
イエズス・キリストがお創りになった宗教、まことの天主がお創りになったイエズス・キリストの宗教、これは本当の天主の愛の宗教です。すべてが愛によって行われました。私たちが無から創られたのも、わたしたちがいまここにこうやって生きているのも、天主からの愛を受けているからです。
わたしたちが洗礼に導かれたのも、信仰を持っているのも、イエズス様を知り、イエズス様をお愛しすることができるのも、これもイエズス・キリストからの真(まこと)の天主からの愛の実りです。わたしたちはついには永遠に主を愛して、永遠に幸せであり、天主と全く同じ幸せを得るように、いわば天主と私たちが結婚するかのように一つとなるように愛の関係を持つことができるように、神秘的なその一致のためにその幸せのために招かれています。
そのためにまことの天主は人となりました。そして苦しみを受けて、死の苦しみを受けて、屈辱を受けて、そして最後には何をおっしゃったかというと、「父よ、彼らを赦し給え。かれらは何をしているか知らないのです。」
そしてその聖心は、愛のあまり、私たちを愛するがあまり、ちょうど天使が矢で打ったかのように、イエズス様の聖心は槍で刺し貫ぬかれて、心はぱっかりと開いて、そこから御血と御水がどくどくと沸き出でて、そして私たちの愛にすっかり狂ってしまったかのように、酔ってしまったかのように、すべてを与え尽くす天主の愛に、一代歴史が、この世の終わりまで続く愛の物語がカトリック教会の歴史であって、イエズス・キリストの創った宗教の核心です。
ですから イエズス様は、この愛を、天主がどれほど私たちを愛しているかということを伝えたいがために、特別に使徒たちに言いました。「全世界に行ってわたしがおまえたちに教えたことを教えよ。もし、信じて洗礼を受けるならば救われる。永遠の命を受ける。しかし、そうでないならば、滅ぼされる。」
このイエズス・キリストの愛を受けるか、それとも拒否するか、光を受けるか、暗闇を好むか。その彼らを、光へと導くために愛へと導くために真を愛することができるように派遣されたのが、使徒たちです。そして使徒たちの後継者、司教たちです。そして司教を助けるために働いているのが司祭です。ですから、カトリック教会の司祭は、イエズス・キリストの聖心に対する愛を訴えてきました。
日本で最初に建てられた教会は横浜で、イエズスの聖心に捧げられました。これは、宣教師たちがどれほどイエズス様の聖心の愛を伝えたいかということを物語っています。私たちは対決をするために日本に来たのではありません。そうではありません。イエズス・キリストの、本当のまことの天主の送られたイエズス・キリストのその愛について知らせるために、良い伝えを延べ伝えるために、ここに日本に宣教師たちはやって来ました。イエズス・キリストの愛の物語を伝えるためです。対話するためではありません。本当の子どもを忘れることができない母親よりももっと強い天主の愛を伝えるために宣教師たちは送られ、カトリック教会は存在しています。
ですから、今日、皆さんがイエズス様の聖心のミサに与って、イエズス様の聖心をお愛しするのを見て、教会はどれほど喜んで、そしてイエズス様の聖心はどれほどお喜びでしょうか。このイエズス様の聖心をお愛しする人々がますます増えますように。キリストの本当の愛を、まことの天主の燃えるような愛を、全てを捧げるこの愛を、多くの方が知るようになりますようにお祈りいたしましょう。
そして、闇ではなくて光を、偽りではなくて真理を、そして憎しみではなくて愛を信じることができますようにお祈りいたしましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて アーメン。