イエズス・キリストは、なぜ王といえるのか。王であるとは私たちにとってどのような意味があるのか。

ソース: FSSPX Japan

王たるキリスト

2024年10月27日 王たるキリストの祝日(聖霊降臨後第二十三主日)ミサ説教
トマス小野田圭志神父

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、今日は王たるキリストの祝日です。

いったい何故、イエズス・キリスト様は、王なのでしょうか。その王というのは、どういう意味なのでしょうか。その王だというその結果は、何なのでしょうか。一緒に黙想いたしましょう。

【1:主が王権を持っている理由:キリストの王権の基礎は何か?】
イエズス様が王だと言ったのは、ちょうど、ローマの兵士たちがイエズス様に茨の冠を被せて、「ユダヤの王様、挨拶します」と言った時のような、ただ口先だけの王なのでしょうか。

あるいは、ポンシオ・ピラトが十字架の捨て札に書いた「ナザレトのイエズス・ユダヤの王」――これは書いたものだから書いたものだ、教会が言ったものだからそうだ――ただそれだけなのでしょうか。その深い意味は何なのでしょうか。

ピオ十一世教皇の回勅『クアス・プリマス』には、主が王であって王権を持っている理由を、二つあげています。

【理由1:イエズス・キリストは天主である】
理由の一(いち)は、イエズス・キリストがまことの天主であるということです。言いかえると、イエズス・キリストは、生まれながらの権利として、天主として、すべての被造物・全宇宙を、絶対最高の主権を持って支配して統治している、ということです。

では、主権を持って支配して統治している、というのはどういうことでしょうか。例を挙げて考えてみましょう。

わたしが、たとえばタイムマシンに乗って昔の日本のお城に居候させてもらっているとしますと、領主がいます。領主は生まれつきの御殿様で、私にいろんな生活に必要なものを与えてくれて、お城の掟があります。【高槻城のユスト高山右近のことを想像してください。】

また、城下町にも藩のなかにも、お殿様の定めた秩序があります。藩の人々は、大名の命令に従って生活しています。こうやって、人々が共通の目的に従って秩序正しく生活するようにしている指導者、このような人を、私たちは「王」と呼ぶことができるかもしれません。

では、この藩を広げて、もっとその藩の外ではどうなのでしょうか?将軍がいます。【高槻のユスト高山右近が将軍になったと想像してみてください。】するとこの将軍は、日本を支配してそして統治しています。では、ある人が、「あぁ、私はこの将軍ではなく、昔わたしの藩主だった大名のほうがよい。だから私はこの将軍の支配を受け入れない。だから反乱する」というならば、「これは謀反だ」ということになります。もしも共通善のために共同体のために統治する人がいなければ、平和も一致も統一も無くなって、戦国状態となってしまいます。

これはちょっとしたたとえですが、これは、わたしたちが「主権を持って統治している」ことを理解するためです。

では、日本の外、外国、全世界、いやもっと目を広げて地球を超えて全宇宙は、どうなのでしょうか。全宇宙には、何か統治するものがあるのでしょうか。一致や平和があるのでしょうか。はい、あります。定められた法則があって、すべては、それに従って動いています。

【全ての生命】
科学者や生物学者・物理学者は、わたしたちに最新のデーターを教えてくれています。よーく自然を観察すると、観察すればするほど、驚くべきことがわかります。

ものすごい高い山、五千メートルも六千メートルも八千メートルもあるような高い山にも、生物がいます。一万メートルも二万メートルもの深い深海、ものすごい圧力のあるような真っ暗な冷たい海のなかにも、生物がいることがわかっています。またそこに住んでいる、この宇宙この地球をおおっているすべての生物のひとつひとつを見ると、それは完璧にできています。それだけではありません。この地球の造りをみると、まさに生命が生活するのにぴったりの条件に、地球が造られています。なぜこの地球の温度がちょうど水が凍るか凍らないかの間にあって、また太陽があって、地球を暖めて、エネルギーを与えて、また太陽からの有害なものが来ないように地球の大気圏にいろんな層があってそしてそれを守っていたりとか・・・まさにすべてが、この地球に生命があるように造られているかのようです。太陽も月も、そしてこの地球すべてが、この生命があるために造られているかのようです。またそれだけではありません。全ての動植物が、完璧なエコシステムというものを持って生活しています。すべてが目的をもっていて、生命の生活のために、命の保存のために、秩序付けられています。

【DNA】
みなさんご存じの通り、人間にも、バラの花にも、あるいは大腸菌にも、私たちが知っているすべてのこの地上の生物において、共通の特徴があります。それはDNAです。遺伝情報を伝達する、デオキシリボ核酸(デオキシリボかくさん)と呼ばれているものです。
これは非常に高分子の構造をした二重螺旋を作っていますが、非常に秩序正しく配置されていて、驚異的に複雑な暗号となって、莫大な遺伝情報を伝えています。まだ私たちはこのすべてを解明したわけではありません。ほんのちょっと垣間見ているだけです。

しかし、なぜこのような構造がこのような暗号が、このようなタンパク質をこのようなものを作り出すようになっているのか、わかりません。いったい何の関係があるのか、わかっていません。非常に複雑な、しかし正確な情報を伝えています。すべての生物が同じ秩序に従っています。

【フィボナッチ数列】
そればかりではありません。DNAの二重螺旋構造というのは、実はよく調べると、フィボナッチ数列から作られる螺旋形状をしています。フィボナッチ数列というのは、これは数学を好きな方はご存じかもしれませんが、0, 1, 0と1を足すと1, 1と1を足すと2,  1と2を足すと3,  2と3を足すと5,  3と5を足すと8,  5と8を足すと13, ・・・などと、前に来ている数を足して足し算をして出てくる数列のことです。(0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, … のように)。
これは、この構造が、DNAの螺旋構造のみならず、木の枝分かれとか、人間の気管支の枝分かれ、肝臓の血管の枝分かれ、髪の毛のつむじ、オーム貝の螺旋、山羊の角、象の牙、鳥の爪、松ぼっくりの鱗(うろこ)、あるいはサボテンの刺の位置(アレオーレ)、あるいはパイナップル、ひまわりの花、また花びらの数、植物の葉っぱの巻き方、など・・・おんなじ数列が現れます。生物だけではありません。台風の渦巻き、あるいは銀河の渦巻き、これもフィボナッチ数列・・・自然界の法則があります。

【存在している】
そればかりではありません。物理、化学、幾何学などを超えて、いったいなんでわたしたちはここに存在しているのか、なんでこの物が今ここに存在しているのか?なんで今運動の変化があるのか?いま可能態だったものがなぜ現実態になっているのか?なぜ原因と結果の秩序と系列があって、いったいどこから始まったのか?・・・ということを研究すれば研究するほど、わたしたちはどうしても一つの結論にたどり着かなければなりません。わたしたちが今ここにこうして存在するために、こうしてすべてのものが今あるためには、どうしても第一の存在がなければならなかった、ということです。

ではこの第一の存在というのは何か?というと、第一の存在というのは、わたしたちの本性を遥かに超越した方で、そして、目的をもってわたしたちを有らしめているということです。でも私たち全宇宙全自然を有らしめているということは、すべてのところに偏在しているということであって、ですからわたしたちの存在の最も奥深くにおられるということです。だからと言って、この方は全宇宙のとか大自然の一部ではなくて、本性によって大自然を超越しているにもかかわらず、大自然のすべてあるものの奥底におられて、有らしめている、という方です。これをわたしたちは天主と呼びます。創造主です。イエズス・キリストは、この天主として、わたしたちとすべての被造物を有らしめて、存在せしめて、最高の絶対の主権を持って支配して統治しているお方です。

ですから、イエズス・キリストは、わたしたちの存在の最も奥深くに在(ま)しましながら、わたしたちを恵み、そして育み、そして統治して、わたしたちにすべての善を与え続けてくださっている天主です。王です。

【理由2:イエズス・キリストは贖い主である】
ピオ十一世教皇は、理由の第二を挙げています。イエズス・キリストが贖い主である、ということです。つまり、イエズス・キリストはまことの天主であり、人となった天主として、罪人(つみびと)であるわたしたちを御血で贖った方であるからです。

理性のない動物、植物、あるいは鉱物は、存在の大原理と自然の本能に従って、創造主の統治に完璧に従っています。しかし、人類は、そうと知りながら、天主の命令に、いけないことだと知りながら敢えて背き、罪を犯しました。

しかし、そのような罪を犯した人間のために、天主は人となって、罪の贖いとしてご自分の血を流されて、苦しみを受けて、そして、わたしたちを天国へと行く権利を勝ち取ってくださいました。言ってみれば、わたしたちの霊魂は、天主によって征服された、贖われた、解放された奴隷であるかのようです。イエズス・キリストの主権のもとに、全人類は置かれています。

イエズス様は、ローマ総督ポンシオ・ピラトの前で、こう宣言しました。
「わたしの国はこの世からのものではない。わたしは王である。わたしは真理を証明するために生まれ、そのためにこの世に来た」と。
「真理につく者は私の声を聞く」と。

これは何をおっしゃるかというと、イエズス様の贖い主としての王は、この王権はこの世から由来するものではなく本質的に超自然のものであって、そして、わたしたちの霊魂を救うためのもの・霊魂を統治するためのもの・超自然の御恵みによって統治するためのもの、そして、天国での永遠の至福という最大の善をわたしたちに与える王である、ということです。イエズス・キリストの王としての役割は、罪によって傷ついたわたしたちを、恵みによって、聖寵によって、回復させて、その王国の中の一部としてくださることです。

こうしてみると、イエズス様が王であるというのは、わたしたちにとってオプションではありません。つまり、投票で誰が王であるかと選ぶものではなくて、イエズス様は客観的に王として与えられ、君臨しているということです。

【2:イエズス・キリストが王であるとは何を意味するのか?】
では、このイエズス様が王であるということは、いったい、わたしたちにとって何を意味するのでしょうか。

イエズス様は、昇天の前に言われました。「天においても地においても、すべての権能はわたしに与えられている」(マテオ28:18)と。

これは単なる言葉ではありません。現実です。全ての力・権能が、イエズス・キリストの上にあるということです。イエズス様は王であるということは、つまりわたしたちはイエズス・キリストの臣下であって、僕であって、わたしたちはこの王に従わなければならないということです。そうでなければ、わたしたちはついには不幸になってしまう。わたしたちは、最高の永遠の王に逆らうことはできない、ということです。

カトリック教会は、2000年間、その真理を教え続けてきました。今日この祝日が、ピオ十一世教皇によって定められたのも、まさにこの真理を、わたしたちにもう一度思い出させるためです。

【近代の問題:無神論】
先日、ここで、ミニ・シンポジウム「カトリック大学」というのが開かれて、ケヴィン・ドークさんという方が、「吉満義彦と近代の超克」というお話をしてくれました。

この「近代の超克」というのは、戦前、日本の知識人たちが集まって、『何でこのいま世界でこんなに戦争が起こっているのか。なんでこんなに世界中で危機があるのか。なんでこんなに世界中が困っているのか。どうやったらこの近代の問題を克服することができるのか。超克することができるのか?』とした座談会・討論会のことです。

その時に、カトリックを代表して、吉満義彦が発言しました。…日本の知識人たちは近代の意味が分かっていませんでした、『「西洋」と「東洋」の問題だ。だから、東洋が何とかして西洋の問題に答えを出すことができるんじゃないか』と言っていましたが…吉満は、『違う!』と言います。

『近代という問題は、無神論の問題だ。王たるイエズス・キリストからの背教の問題だ。近代を超克するには、人間と天主との一致の秩序を回復させることだ。王たるキリストを認めることだ。そして歴史を超えた、超歴史的な「永遠の中世」を再構築することだ。こうしてこそ、はじめて、近代を超克することができる。キリストにおいて、すべてを復興させることだ。』と述べたのです。

残念ながら、吉満の言う事は、当時の日本の知識人たちにはよく理解されませんでしたが、わたしたちにはよく理解できます。まさに、問題の核心はそこにあって、解決策はそこにあります。

【3:遷善の決心】
では最後に、遷善の決心を立てましょう。
イエズス・キリストは、本当に私たちの王です。なぜならば、天主であり、まことの贖い主であるからです。私たちがもしもイエズス・キリストを本当の王だとして認めるならば、それが現実であると知るならば、わたしたちの生活はすべて王の掟に従い、思いも言葉も行動も、イエズス・キリストを王だ、と宣言しなければなりません。

まず私たちの個人の生活が、イエズス・キリストを王として、それに従った生活となりますように。
また私たちの家庭生活も、イエズス・キリストを王として、認めて生活することができますように。
そしてついには願わくは社会生活においても、イエズス・キリストを王として、認めて生活することができますように。

最後に、ロザリオの元后であるマリア様に、お祈りいたしましょう。マリア様の御取次によって、信仰が教える通り、キリストがわたしたちの王として愛され、知られ、そして仕えられ従われるように。ついには、天国では、王たるキリストのもとで永遠に、幸せの永遠の至福を得ることができるように、お祈りいたしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。