婚姻を通して人間は天主の創造の協力者となる
2026年1月11日 聖家族の祝日
トマス 小野田圭志神父説教 聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、今日は聖家族の祝日です。
天主は、家族という特別の愛の制度を私たちにつくってくださいました。イエズス様御自身が、模範をもって理想の家族生活を提示してくださいました。そして、婚姻を秘跡として高め、聖化してくださいました。天主は、私たちを天主の子供として高めるため、また私たちに天主の命を与えるために、御自分が人間となり、人間の全ての苦しみをその身に引き受けられただけではありません。天主は「婚姻を通して、人間に天主の創造の協力者となる」という、特別な特権を与える御計画をお持ちでした。
ですから、今日は
(1) 人間が、婚姻を通して天主の協力者となるという御計画」について黙想しましょう。そして、
(2) そのために私たちは天主に信頼し、その掟と御摂理に従うこと、また、
(3) これに反対するイデオロギーが世界中にあることを見て、
(4) その不幸な結果を受けないためにも、私たちはどのようにしなければならないか、遷善の決心を立てることにいたしましょう。
【1:天主の協力者】
天主は、永遠の愛の御計画により、人間を御自分の似姿と肖像に従って創造され、その生命を伝達するための能力を人間に授けました。もちろん、天主は、ちょうど他の全ての天使たちを御自分で直接創造されたように、人間も直接に創造することがお出来になりました。何故かというと、人間だけは特別に、天主の似姿とその肖像に従ってお創りになられているからです。しかし、主は創造の力をも人間に委ねようとされました。主は男と女を創られ、婚姻の制度を制定して家族という社会をお定めになり「産めよ、増やせよ、地に充ちよ、地を従わせよ」と命令なさいました。この繁殖と繫栄の掟は、婚姻の主要な目的を明確に示しています。同時に、天主が人間を繁殖させるためには、夫婦の同意と協力をお求めになることも明らかにされます。また、人類も婚姻も人間が自分でつくり出したものではなく、自分で決めたことでもありません。イエズス様御自身もそのことを確認してこう断言されます。
「あなたたちは読まなかったのか、原初(はじめ)に[すべてを]つくり給うたお方が、人を男と女につくり“それゆえ男は父母をはなれてその妻に合い、二人は一体となれ”といい給うたことを。では、もはや二人ではなく一体である。故に人は、天主があわせ給うたものを、離してはならぬ。」(マテオ19:4-6)
ですから、イエズス様もご確認する通り、婚姻という制度は天主がお決めになったものです。
ところで、人間は、天使たちのように体の無いものではなく、肉体を持った生物です。主の御計画は、婚姻を通して家族という美しい社会をつくることでした。そして、親から子供たちへ、子供から孫へと肉体的に繁殖して、人間という種(人類)を存続させることをお望みになりました。また、そうすることによって、父親の奉仕、母親の優しさ、子供たちの親孝行、兄弟姉妹の愛情、先祖たちへの敬愛と追憶などの、家族生活に必要な全ての美しい聖徳(美徳)を私たちが実践するようにとお望みになりました。人間の完成は、天主の計画に従うことによって初めてなされ得ます。
主の御計画によれば、子供たちは家庭の冠です。子供たちを生みはぐくむ家庭という絆の基礎は、結婚・婚姻です。特に子供たちの出産と教育という目的のために、一人の男性と一人の女性との結合である婚姻が、秘跡によって聖化されました。この秘跡によって、夫婦の相互扶助(互いの助け合い)と相思相愛の愛情のために、特別な聖寵が与えられます。こうして、主によって祝福された家庭の中で、新しい生命が与えられ、生まれて育ち、そしてついに、この子供たちは天国の永遠の福楽を得るための教育を受けます。これが天主の御計画です。
1917年に公布されたカトリック教会法典は、婚姻(結婚)の主要な目的を「子女の出産と育成」(子供の出産と教育)とし、そして、この主要な目的に次ぐ副次的な目的として「夫婦の相互扶助、および情欲の鎮和」を明記しています。
人間が天主の掟と御計画に自由に従うならば、家庭は自然の法則に従って子沢山となり、祖国には市民が増え、教会には子供たちがいや増し、そのため天国にはますます多くの聖人たちが誕生します。
しかしその反対に、もしも人間が天主に協力せず、その掟を守らないならば、家庭には人けがなくなり、故郷は消滅し、教会にも後継者がいなくなり、天国もからっぽのまま残ってしまいます。
【2:摂理による子供を受け入れる】
では第二に、私たちは主の御摂理と御計画にどのように従ったら良いでしょうか?新しい生命である子供たちは、天主からの祝福であり、贈り物です。私たちの思い通りになるおもちゃではありません。婚姻で結ばれた夫婦は、天主が贈ってくださる新しい命を寛大に受け入れる義務があります。エワはみごもってカイン(長男)を産んだときこう言いました。「私は主のおかげで一人の子をもうけた」(創世記4:1)と。ヤコブも兄弟に自分の家族を見せてこう言います。「天主がしもべに恵んで下さった子供たちです」(創世記33:5)と。このように、多くの子供たちは両親の希望であり喜びです。
教皇ピオ十二世は、多くの子供をもつ家庭を称賛しました。ピオ十二世によれば、「キリスト教信者の肉体的・精神的な健康、天主の御摂理に対する生ける信仰、カトリックの婚姻の幸せで豊かな聖性」を示しており「教会のもっとも美しい宝」だともおっしゃいました。何故ならば、ピオ十二世のお言葉を引用すると「天主の掟と人間の利己主義との間の意図的な妥協を拒否するのみか、子供たちという天主の計り知れない賜物を、天主がお望みの数だけ喜びと感謝をもってすぐに受け入れた」家庭であるからです。
また、ピオ十二世は「祖国は、その市民を育てて教育する多くの犠牲をはらったことをあなたたちに感謝し愛情を持ちますし、教会も、あなたたちのおかげでますます健全で数多い霊魂たちを聖霊の聖化の業によって高めることができることを感謝している」とも言っています。
そして、こうも指摘します。
「子供の多い家庭では、洗礼、初聖体、婚姻の喜びも多くて、家族はそのたびに祭壇の前で集い祝福を受けている」と。さらに「大きな家庭には聖徳と召命の御恵みも豊かにある」と述べています。
「大きな家庭には、御摂理と喜びと平和の賜物があり、司祭や修道生活、または聖性への数々の召し出しもよく与えられます。…たとえばフランス王の聖ルイ九世は十人の子供のひとりでした、シエナの聖カタリナは二十五人の兄弟の一人、聖ロベルト・ベラルミンは十二人兄弟、聖ピオ十世は十人兄弟でした」などなど。
このように、天主の掟に従い、御摂理に信頼するかぎり、一般的にカトリックの家庭は子宝に恵まれます。
しかし、天主の御摂理によって、子供が与えられずに苦しむ家庭も存在しています。聖書には、アブラハムの妻サラ、サムエルの母親アンナ、ザカリアの妻聖エリザベトなどがこの試練に苦しんだと書かれています。中には、結婚して十年後や十五年後、長い時を経てようやく子供が与えられることもあります。その一方、何年経っても何年経っても、いつまでもその幸せが与えられない家庭も存在しています。しかしながら、たとえ子供という善に恵まれなくても、私たちは主の御摂理を受け入れなければなりません。何故ならば、子供という善が与えられなくても、婚姻の副次的な目的である「夫婦の相互の扶助(助け合い)、および情欲の鎮和」という善があるからです。
【3:利己主義・人間中心主義・フェミニズム・人工授精】
では、この天主の御摂理と御計画に反対する考えはどのようなものがあるでしょうか?
幸せな家庭生活を不幸に陥れようとする考え、つまり天主の御摂理を受け入れない考えは「利己主義・人間中心主義」と言われています。それは、天主よりも自分の楽しみを、また共通善よりも私の幸せを絶対の価値とする態度です。ですから、そのような考え方は、本当の愛が犠牲を要求するものであることを知りません。自分の利益を得ること、すなわちエゴイズム(利己主義)が「愛」だと誤解してしまっています。
もしも、夫婦生活が天主の与える自然の掟に従おうとせず、自分の楽しみと快楽だけを求め、自分に楽しみを与えるお金を稼ぎたいとすると、子供たちは邪魔だ、子供はお金がかかるというメンタリティーを持つようになってしまいます。キリスト教の理想の追求ではなく、異教の理想です。永遠の命への希望ではなく、刹那的な快楽です。天主への愛ではなく、今だけ・金だけ・自分だが大切だという態度です。現代では、快楽の追求や自分の楽しみ、不倫や情欲が褒め称えられて、テレビや小説、映画で宣伝されているのではないでしょうか?
【個人主義によって傷つく家庭】
利己主義とは、私個人がよければそれでよいという態度なので、個人主義とも言えます。利己主義・個人主義によって家庭は傷ついています。その態度は行動にも現れます。離婚・堕胎・避妊です。そして、そのもっとも大きな犠牲者(被害者)は子供たちです。もしも家庭が傷つき、子供たちが苦しむならば、国も存続することができなくなってしまいます。
【フェミニズム】
人間が中心だという考え(人間中心主義)は、自分の行動を正当化するための様々なイデオロギー(考え方)を生み出しました。たとえば、ドイツの社会学者で、カトリック信者の女性ガブリエレ・クビ(Gabriele Kuby)は「フェミニズムが女性を不幸にしている」と指摘します。何故かというと、フェミニズムは、女性が家庭から解放されて男性のように労働しなければならないとし、母親となって子供を産み育てるという女性の幸せを奪おうとするからだと言っています。フェミニズムのために、小さな幼児は保育所に預けられ、母親は働き、子供たちは母親の愛を知らずに育ち、致命的な精神的な傷を負って成長していると警告しています。
また、家庭を崩壊させるジェンダー論などのイデオロギーや、ポルノのような性教育が学校教育に浸透していることも問題であると警告しています
【人工授精】
天主を知らずに、あるいは信頼せずに人間が全てだと思うとき、また子供に恵まれないというつらい試練を経験している家庭は、人工授精・人工受胎・体外受精などの人工的な手段を選ぼうとする誘惑にかられるかもしれません。しかし、子供は夫婦が持つ当然の権利ではなく、天主からの賜物です。天主の御計画によれば、子供は夫婦の愛の実りとして生まれるものであって、工場の製品ではありません。
ですから、人工授精・人工受胎・体外受精といった人口的な手段は、主の御旨に反する倫理的な問題を多く持っており、その理由として、たとえば次のものが挙げられます。
第一に、創造主である天主の場所を、主の代わりに人間が占めようとする態度であるからです。
第二に、一人の胎児が選ばれ、そのほかの複数の胎児は廃棄、あるいは凍結されるからです。つまり、遺伝子検査による病気の可能性の診断や、または「私は女の子が欲しい」といった要望のために、胎児や男女の産み分けが行われることで人間が選別され、故意に壊され、処分され、犠牲になっているからです。つまり、社会に不要な人間を「処分」しようと、過去にナチスがやっていたのと同じことが行われつつあります。
第三に、「銀行」に凍結された「部品」で子供を「注文」し、あるいは代理出産で別の女性に子供を産んでもらうなど、この技術を通し、天主の創造した夫婦と親子の関係を破壊しようとする態度でもあるからです。
こうすることによって、現代世界は「遺伝子組み換えの社会」を作り出そうとしているかのようです。そして、そのような社会において最大の犠牲者となるのは、やはり、もっとも小さな子供たちです。何故ならば、処分され、売られ、製品であるかのように取り扱われ得るからです。
【参考資料】
つい最近の統計によると、特に日本ではそのような影響を多く受けています。
ロート製薬が発表した、妊活に対する意識調査「妊活白書」(2024年度版)によると、日本では、現在そして将来も子供を欲しいと思わない未婚男女(18歳から29歳)の割合は増加しており、2024年度版では56.6%で過去最高となったそうです。男女別にみると、男性の約6割が将来子供を欲しくないと回答しており、女性は53.1%で、男女ともに半数を超えていました。
https://jp.rohto.com/-/Media/com/dotest/common/pdf/hakusho2024.pdf
あるいは、2024年4月に日本財団が公表した、国や社会に対する意識をテーマにした意識調査によると、調査対象は、日本・アメリカ・イギリス・中国・韓国・インドの17歳から19歳で、各国1000人ずつが回答しました。
「人生において大切にしたいと思っていること」について、アメリカ・イギリス・中国・韓国・インド、つまり日本以外の国では全て「家族」と回答する人が最も多かったそうです。ところが、日本で最も多かった回答は「自分の好きなことや、やりたいこと・趣味 52.5%」だったそうです。
そして「自分の国の将来」について聞くと「良くなる」と回答したのは中国で85%、インドで78.3%。日本で「自国の将来が良くなる」と回答したのは15.3%で、調査対象の6カ国のうち最下位だったそうです。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6610dfdce4b056f720581e32
「自分さえよければ良いのだ」という悲しい考え方が、私たちの中に根付きつつあるのでしょうか?
【4:遷善の決心】
では、最後に遷善の決心を立てましょう。
愛する兄弟姉妹の皆さま、私たちが今ここに存在し生きている目的は、永遠の命のためです。私たちはそのために天主によって創造され、天主から特別の愛を受けています。天主は私たちを天主の子供として愛しておられます。そのためにこそ、主は人間の全ての苦しみを受けられました。そして、人間に、婚姻を通して創造の協力者となる特権と責任を与えてくださいました。
もしも私たちが何であるかを知らないなら、そして、もし知っていても責任を果たさないならば、その当然の結果として、論理的な結論として、私たちは個人においても、家族においても、共同体においても、国家においても不幸になってしまいます。たとえば、すでに30年以上も前から、日本における毎年の出産届は、統計によれば日本の消滅を予告していると言われていました。
私たちは、いったい何をしなければならないのでしょうか?
私たちは、真理を知らなければなりません。聖伝のカトリック信仰によって立たなければなりません。いつの時代にも変わらない真理だけが、流行のイデオロギーの攻撃に耐え抜くことができるからです。
そのためには、いったいどうしなければならないのでしょうか?
聖伝のカトリック信仰によって立つためには、どうしなければならないのでしょうか?
そのためには、聖伝のカトリック・ミサ聖祭を守らなければなりません。何故かというと、ミサ聖祭は十字架のいけにえの再現だからです。聖伝のミサは、私たちに犠牲の心を教えてくれます。天主の権威について教えてくれます。天主の十字架の死に至るまでの愛、御聖体における実在という天主の愛を教えてくれます。母親の愛よりも強い、天主の愛こそが聖伝のミサです。このミサに与るとき、まるで幼子が母親の胸に抱かれているように、私たちはどれほど主の愛に抱かれていることを実感するでしょうか! その時、私たちの心は「キリストの平和」を感じ、それによって支配され満たされます。私たちは主に信頼し、多くの犠牲と愛を払うことができます。特に男性は、子供や妻、家族を守るために、キリストのように命を懸けて戦う準備ができています。
それに反して、新しいミサは「主の晩餐の記念」です。「兄弟姉妹の楽しい食事会」です。新しいミサは人間中心で、人間の方を向き、楽しくなければならないものです。その結果、新しいミサによって何が起こったかというと、司祭や修道者の召命が激減し、神学校や修道院は空っぽになってしまいました。そして、離婚も増加してしまいました。
マリア様にお祈りしましょう。私たちの家族と家庭、子供たちを、聖伝のカトリック信仰において守り、祝福してくださいますようにと。そして、マリア様の特別のお恵みとお祈りにより、私たちも聖家族に倣う家族としてくださいますようお祈りいたしましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。