灰の水曜日の説教―天主が憎み給う人なし(大宮)

ソース: FSSPX Japan

灰の水曜日

灰の水曜日の説教―天主が憎み給う人なし(大宮)

2026年2月18日 イヴォン・フィルベン神父

信徒の皆様、

このミサの入祭唱は、知恵の書の一節を引用しています。「御身は…すべての者を憐れみ給い、…一つとして御身が創造(つく)り給いし者を憎み給うことなし。Sed misereris omnium, quia omnia potes; ... et nihil odisti eorum quae fecisti.」(知恵の書 11:24 & 25)。

この聖句は熟考に値するものです。天主は憎しみを知りません。憎しみは罪であり、天主が「原則的に」憎み給う人はいません。つまり、人は死ぬまで、変化し、改心する可能性を秘めています。たとえ、聖書が天主の怒りについてもよく語っていたとしても、怒りは憎しみとは違います。憎しみは人を嫌悪することですが、怒りは不正、ここでは罪という不正を拒絶することです。確かに天主の怒りは存在しますが、それは罪に向けられたものです。この怒りを逃れるためには、私たちは罪と闘わなければなりません。天主の恵みによって、私たちにはそれが出来ます。天主は誰も憎んでおられませんが、もし私たちが罪を拒絶しなければ、私たちは自分の罪とともに罰せられるでしょう。

四旬節は、私たちが生活の中で自分の弱さによって容認している罪を拒絶する時期です。それでは、次のことを問うてみましょう。四旬節の間に、私たちはどのような罪と闘う必要があるだろうか?と。