復活後第五主日の説教―真の祈り(2026年、大宮)
聖ベルナルド
復活後第五主日の説教―真の祈り(2026年、大宮)
2026年5月10日 ブノワ・ワリエ神父
復活後第五主日の説教―真の祈り(2026年、大宮)
親愛なる兄弟の皆さま、
「わが名によって父に願うことは、何であれ父が与えてくださる」(福音)
1.なぜ私たちの祈りはしばしば聞き入れられないのか
自己中心的すぎる祈り
私たちの祈りが聞き入れられない第一の理由は、健康、仕事での成功、野心の実現といった、自分の望みのリストを持って、つまり自分の行動計画を持って主の御前に行き、天主がただそれに承認の判を押してくださることだけを期待しているからです。
使徒ヤコボ(ヤコボ4章3節)は、この傾向を厳しい言葉で叱責しています。「あなたたちは求めても与えられない。…間違った意向をもって求めるからである」。
無意識のうちに、私たちは、主の祈りの祈願を、「わが意の行われんことを」と変えてしまっていることがあまりにも多いのです。
自分に害を及ぼすであろう願い
さらに深い理由として、自分では気づかないまま、自分に害を及ぼすであろうものを天主に願ってしまうことがよくあります。ゼベデオの子らが御国で高い地位を求めたとき、キリストはこう答えられました。「あなたたちは、自分が何を願っているかを知らぬ」(マテオ20章22節)。
この言葉は、私たち一人一人にも当てはまります。実際には自分を聖化するための最良の手段であった試練を、免除してほしいとどれほど天主に懇願してきたことでしょうか。永遠の幸福を犠牲にしてまで、どれほど現世の恩恵を求めてきたことでしょうか。
天主は御あわれみから、私たちが欲しいものを常に与えてくださるわけではありません。天主は、私たちが必要とするものを与えてくださるのです。
私たちが願ったことを拒絶されることが、御父が私たちにお与えになることのできる最も愛に満ちたお答えである場合がしばしばあります。
2.真の祈りの特質
天主の御旨を願うこと
「天の父は、求める人に聖霊をくださる」(ルカ 11章13節)。
私たちが、自分や隣人にとって危険なものを求めるなら、天主はそれをお与えにはなりません。しかし、私たちは、しばしば気まぐれな子供のように振る舞ってしまいます。逆に、私たちが聖化の恩寵を求め、正しい心構えでそうするなら、主は必ず聞き入れてくださるでしょう。
忍耐をもって願うこと
「私は、適した時に雨を与える」(レビ26章4節)。
天主の時を待つ方法を知ること。
信頼と粘り強さをもって願うこと
しつこい友人のたとえ(ルカ11章5-8節)は、天主ご自身が粘り強さに報いてくださることを示しています。天の宝庫を最後に開くのは、性急さではなく、忠実な信頼なのです。
「したがって、私たちは、…臆することなく恩寵の玉座に近づこう」(ヘブライ4章16節)。
「天に座する御者よ、わが目を御身に上げ奉る。しもべが主人の手に目をとめ、はしためが女主人の手に目を注ぐように、われらは、主なる天主に目をとめ、その御あわれみを待つ。あわれみ給え、主よ、あわれみ給え」(詩篇123篇1-2節)。
「ああ、エルサレムに住むシオンの民よ、おまえはもう泣かない。主はおまえの祈りの声のために、おまえに大いに慈悲深い。主はそれを聞くとすぐ、おまえに答え給う」(イザヤ30章19節)。
「あなたたちの中に知恵を欠く人があれば、その人は、寛容であって誰もとがめずに与え給う天主に知恵を求めよ。そうすれば与えられる。だが迷うことなく、信仰をもって求めよ。迷う者は、風に巻き上げられ動かされる海の波に似ている。そういう人は、主から何かを受けようと期待するな」(ヤコボ1章5-7節)。
3.童貞聖マリアへの祈り
「義人の熱心な祈りがあれば、効果がある。エリアは私たちと同じ人間であったが、雨が降らないように懸命に祈ったので、三年六か月の間、地上に雨が降らなかった。そしてまた祈ったので、天は雨を与え、地はその実を結んだ」(ヤコボ5章16-18節)。
エリアが天主の心に対してこれほどの力を持っていたとすれば、童貞聖マリアのお力は、いったいどれほどのものだと思いますか!
「慈悲深き童貞マリア、御保護によりすがりて御助けを求め、あえて御取り次ぎを願える者、一人として捨てられしこと、いにしえより今に至るまで、世に聞こえざるを思い給え。ああ童貞中の童貞なる御母、われこれによりて頼もしく思いて走せ来り、罪人の身をもって御前になげき奉る。ああ御言葉の御母、わが祈りを軽んじ給わず、御あわれみをたれてこれを聴き給え。これを聴き入れ給え」。
親愛なる兄弟の皆さま、
祈りが向かう方向を誤ると、自分の利益だけしか考えないため、効果はありません。対照的に、真の祈りとは、天主の御旨を願い、天主の時を忍耐強く待ち、恐れを知らぬ信頼をもって恩寵の玉座に近づく祈りです。
聖ベルナルドの次の励ましの言葉で締めくくりましょう。
「…誘惑の嵐が吹き荒れるとき、逆境の岩礁に突き進んでいるとき、星を見つめ、マリアを呼びなさい!
誇りや野心、あるいは嫉妬が波となって押し寄せるとき、星を見つめ、マリアに叫びなさい!
怒りや強欲、あるいは肉の誘惑があなたの霊魂という舟を揺さぶるとき、マリアを見つめなさい!
自分の罪の大きさに苦しみ、良心の汚れを恥じ、裁きの恐怖に怯え、悲しみの深淵や絶望の落とし穴に引き込まれると感じるとき、マリアを思いなさい。
危険のとき、苦難のとき、危機のとき、マリアを思い、マリアに叫びなさい!」。アーメン。