復活後第二主日の説教―良き牧者(2026年、大阪と名古屋)
良き牧者
復活後第二主日の説教―良き牧者(2026年、大阪と名古屋)
2026年4月19日 ブノワ・ワリエ神父
復活後第二主日の説教―良き牧者(2026年、大阪と名古屋)
親愛なる兄弟の皆さま、
大教皇聖グレゴリオは、復活後第二主日の説教で、私たちの主イエズス・キリストの「私は良き牧者である。良き牧者は羊のために自分の命を捨てる」という言葉を詳しく解説しています。
第一に、良き牧者は、羊のために御自分の命を捨てることで、際立っています。この真理は、贖い主御自身の模範によって証明されました。なぜなら、良き牧者は、羊のために御自分の命を捨て、御体と御血を、御自分が贖った羊たちのための秘跡の糧とされたからです。私たちは、この天主の模範の中に、自分の行くべき道と、自分の生活の身分に応じて主に倣う方法を認めます。なぜなら、私たちは、主の中に、他人の善のために全力を尽くし、必要とあらば兄弟のために自分の命さえも捨てるという動機を見るからです。
群れを襲う飢えた狼というイメージで、私たちは、悪魔が「食い荒らすものを探して、歩き回っている」、つまり霊魂たちを罪に引きずり込んでいると理解します。悪魔は、誘惑によって、霊魂たちを引き裂きます。ある者を肉欲や不潔な罪に誘い、ほかの者を強欲にさせ、またある者に高慢や激しい怒りを抱かせ、ある者には罪深い嫉妬を呼び起こし、またある者には欺瞞の術(すべ)を教え込むのです。
これらのさまざまな誘惑によって、悪魔は、キリスト信者の霊魂に死をもたらします。しかし、自分の安楽と利益だけを求める者は、隣人を脅かしている霊的な病や永遠の死に、心を動かされることはないのです。それゆえ主は、「雇い人が逃げるのは、彼が雇い人だからである」と付け加えられました。これは、キリストに従うと主張する者が、他人に無私の愛を示さず、世の朽ちゆく富を追い求めているのなら、危険の中で堅固であることは不可能だ、と言っておられるかのようです。
第二に、良き牧者の羊たちは、彼の声を聞き分け、彼を知っています。しかし、救い主によって告知された真理への愛を持たない者は、救い主を知っていると誇ることはできません。信仰によって真理を認めるだけでは十分ではなく、その真理を心から愛さなければなりません。真理を信じるだけでは十分ではなく、その真理を実行に移さなければなりません。聖ヨハネが言う通りです。「『私は天主を知っている』と言いながら天主の掟を守らない人は、偽り者であって、真理はその人の中にはない」。
主はさらに、こう付け加えられます。「父が私を知り、私が父を知っているのと同じである。こうして私は自分の羊のために命を捨てる」。つまり、主が御父に対して持っておられる愛を、私たちの救いのために主に御自分の命を捨てさせるという愛によって理解するよう、主は私たちに望んでおられるのです。
第三に、主は、御自分の愛の広さと、御自分が確立される一致を明らかにされます。「私には、この柵内にいないほかの羊もある。私はそれらも連れていかねばならぬ。羊たちは私の声を聞き、一つの群れ、一人の牧者となるであろう」。ほかの羊とは異邦人のことであり、ユダヤ人の柵内にはいませんでしたが、使徒たちによって連れてこられ、教会に加わりました。主が、これらのほかの羊について語られたとき、私たちの救いも考慮しておられたのです。なぜなら、そのとき、私たちは異邦人の中にいたからです。ですから、このことは、日々成就しており、キリストのもとにある一つの霊的な民族をつくり出しているのです。
親愛なる兄弟の皆さま、良き牧者の声を聞き、彼に忠実に従って掟を守って歩み、彼が建てられた教会内に安全に留まり、永遠の命という賜物を受けることができる羊となるように努めましょう。
今日の主日に、良き牧者が多くの聖なる司祭や修道者、すなわち兄弟の救いのために自らを犠牲にする覚悟のある、ふさわしい牧者たちを選んでくださるよう、特に祈りましょう。日本人の召命は、本当に少ないのですから。
良き牧者の御母である聖母の御取り次ぎによって、教会に対する寛大さという偉大な精神が私たちの内に呼び起こされますように。アーメン。