待降節:ルフェーブル大司教の1974年11月21日の宣言を黙想する

ソース: FSSPX Japan

2024年12月1日  待降節第一主日 

トマス小野田圭志神父  説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日は待降節第一主日です。
そこで今日はちょうど十日前に五十周年を記念したルフェーブル大司教様の「1974年11月21日の宣言」を一緒に黙想したいと思います。

【1:導入】
いったいなぜ主が来られる(adventus)のを準備する待降節(Adventus)という大切な聖なる時期が始まるのに、なぜルフェーブル大司教様の宣言を黙想するのでしょうか?
なぜかというと、待降節の核心と、ルフェーブル大司教様の宣言は、非常に密接な関りがあるからです。
なぜかというと、待降節の核心というのは、イエズス・キリストをまことの救い主として認めて、識別して、これを受け入れることにあります。その準備にあります。
ではいったいどのような準備をしたら、どのような精神を持ったら、主を識別することができるのでしょうか。その核心は、ルフェーブル大司教様の宣言にあります。説明します。

なぜ、私たちの主はこの世に来られたのですか。
待降節の「待降」(adventus)――「天から来られるのを待つ」ということを正しく理解すると、主は三つのやり方でわたしたちのもとに来られます。

まず第一に、わたしたちに救いと赦しと憐みと真理を与えるために人間としてお生まれになりました。これが第一の到来です。そして第一の到来を準備するために、特別な民が創られました。これが、へブライの民・ユダヤの民です。ユダヤの民には、真理の救い主を識別するための特別の預言と奇跡が与えられ準備されました。その救い主がなぜ来られるか?というと、それは、「わたしたちが霊的にイエズス・キリストを受け入れる」ためです。いったいなぜ「わたしたちが霊的にイエズス・キリストを受け入れる」という第二の到来が必要なのかというと、それは、究極の目的である「主の再臨」つまり第三のやり方を準備するためです。

今日福音であった通り、世の終わりには「人の子が勢力と大いなる栄光とをおびて雲にのってくだる」時がやって来ます。その時、主は生ける人と死せる人を厳しくそして正義に基づいて正しく裁くために来られます。

この裁きの日に、主をよく迎えることができるために、わたしたちは霊的にイエズス・キリストを受けなければなりません。

【2:真理を識別する】
主は人となって、こう言われました。「私は道、真理、命である」と。このすでに来られた主を信じ、愛し、そして主に従うことによって、わたしたちは霊的に主の到来を得ることができます。

では主は、伝えられたすべての預言を成就させて、奇跡をさえも行って、自分がまことのメシアであることを証明しますが、しかし、ユダヤの指導者たちは目の前で預言が成就されたのを見つつも、そして奇跡が行われているのを見つつも、主を認めることができませんでした。

なぜかというと、この世のことだけを考えていたからです。この世をどうやって面白く楽しく過ごすかということだけに専念していたからです。

しかし、天主のやり方は、常に時を超えるもの、自然を超える超自然のものです。これは今でも変わりがありません。特にユダヤの民は、イエズス様の教え、犠牲の教え、十字架の教え、清貧、受難に躓きました。特に、十字架の死に躓いてしまいました。

「なぜ、まことの天主がこんなにも貧しいのか。なぜまことの天主がこんなにも弱々しいのか。なぜ、これほどまで苦しみ迫害されるのか?」理解できませんでした。

【3:永遠のローマ】
これは今でも同じです。
なぜかというと、イエズス・キリストのたてた真の宗教、カトリック教会はキリストの神秘体だからです。カトリック教会は、イエズス・キリストの花嫁としてイエズス・キリストと一心同体だからです。ですから常に、時を超えて永遠のもの、そして自然を超える超自然のものです。ですから、この地上でたとえ人間的な弱さを持ち苦しみがあり迫害をされていたとしても、キリストの教会はいつも永遠なるものを持っており、そして超自然のものを求めています。まさにルフェーブル大司教様の宣言がその核心がここにあります。

ルフェーブル大司教様はすでに第二バチカン公会議の改革による悲惨な状況を目の当たりにしました。そのときに永遠のもの超自然のものを求めてこう宣言しました。大司教様の言葉を引用します。
「私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師である師匠である教師であるローマによりすがります。」
ルフェーブル大司教様は、「永遠のローマ」と言う言葉を使います。

そして続けてこう言います。
「たとえ位階制度の最も高き地位に上げられたものであれ、いかなる権威といえども、19世紀もの長きにわたってつまり1,900年以上の長きにわたって、教会の教導職によって明らかに表明され、宣言された私たちのカトリック信仰を棄てるあるいは減少させるように強制させることはできません。聖パウロはこう言っています。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ」(ガラツィア1章8節)。… 」

大司教様の言葉を続けて引用します。
「もしも万が一、教皇様の言葉と行動において、また聖座のいろいろな聖省の言葉と行動において、一つでも過去の教導権との矛盾が現れるなら、その時私たちは、常に教えられていたことを選び、私たちは教会を破壊する革新に耳を閉じます。」

永遠のローマ…イエズス・キリストは昨日も今日もそしてとこしえに変わらない…この世が過ぎ去ってもキリストの言葉は決して過ぎ去らない…永遠のローマを支持する、とルフェーブル大司教様は言います。

その二年後、フランスのリールでこう説教しました。(1976年8月29日)
大司教様の言葉をもう少し引用します。
「教会の破壊、私たちの信仰の破壊、私たちの目前に積み重なる廃墟を前にして、(…)司祭を養成することが、教会が必要とする真の司祭を養成することが、自分の義務だと思いました。」

大司教様は言葉を続けます。
「これらの司祭を、私は、教会に認可承認された聖ピオ十世会において養成しましたが、私は何世紀も何世紀も前からすべての司教たちが行ってきたことをただ行っただけです。」

さらに言葉を続けてこう言います。
「私は、自分が司祭生活の30年間行ったこと、私が司教となるように評価されたこと、アフリカでの教皇使節や第二バチカン公会議中央準備委員会のメンバー、またさらに教皇聖座補佐という地位につくような評価を受けたこと以外には何もしませんでした。ローマが私の仕事が教会と霊魂の善のために有益であると評価した証拠として、私はこれ以上の何を望むことができたでしょうか?」
評価をされてそれほどの高い地位に就いたということを仰っています。

そしてルフェーブル大司教様の言葉を続けると、
「そして今、私が30年間続けてきたことと全くおなじ事業をしていると、突然、私は聖職停止になり、おそらく近いうちに破門され、教会から離れたとされ、反逆者となり、その他もろもろとなるのでしょうか? そんなことは可能なのでしょうか? では、私が30年間行ってきたことも、聖職停止の対象になるのでしょうか? 私はその反対だと思います。もし私が当時、今の新しい神学校で行われているように神学生たちを養成していたら、私はきっと破門されていたことでしょう。もし当時、今、やっているように公教要理を教えていたら、異端者と呼ばれていたことでしょう。そして、もし私が今やっているようなミサ聖祭を行っていたら、人は私に異端の疑いがあると言い、私は教会の外にいると言われたことでしょう。ですから、私にはもう理解できません。正確に言うなら、教会の中で何かが変わってしまったのです。」

つまりルフェーブル大司教さまは、永遠のローマからの声が今聞こえなくなっている、ということを仰っています。

【4:霊魂の救いと教会への真の奉仕】
では、ルフェーブル大司教様の五十年前の宣言は、もう一つの特徴がありました。それは、永遠というほかに超自然という特徴を持っていました。

なぜかというと、ルフェーブル大司教様は霊魂の救い・真理に従順であることによって、本当の意味で教会に奉仕したいという超自然の意向があったからです。

ルフェーブル大司教様の言葉を引用します。
「私たちの霊魂の救いのために、教会とカトリックの教えとに忠実である唯一の態度は、改革を受け入れることを断固として拒否することです。
それゆえ、いかなる反乱も、苦々しさもなく、憎悪もなく、私たちは常なる教導職の導きの元で、司祭養成のわざを続けます。私たちは聖なるカトリック教会に、教皇様に、そして未来の世代に、これよりも偉大な奉仕をすることが出来ないと確信しています。」
ルフェーブル大司教様の引用を終わります。

ですから、たとえ現代、たとえ日本で、聖ピオ十世会が、もしかしたら馬小屋のような場所でミサを捧げていたとしても、あるいは十字架に付けられたかのように断罪されていたとしても、見かけやうわさはどうであろうとも、私たちはカトリック教会の永遠の教えを信じ、愛し、そして教会が常に実践して続けてきたことをやり続けています。そして見かけやうわさにもかかわらず、これこそが、イエズス・キリストとカトリック教会と教皇さまに対する真の奉仕である、霊魂の救いのために本当に必要であることを私たちは確信しています。

まさにこの精神こそ、本当のイエズス・キリストを受け入れる待降節の精神だと確信しております。

【5:遷善の決心】
では最後に選善の決心を立てましょう。マリア様の御助けによって、ルフェーブル大司教様と同じ決心を一緒にたてましょう。大司教様の言葉を引用します。

「それゆえ、聖伝の真理の光が、永遠のローマの空を暗くしている暗闇を追い払う日を待ちながら、私たちは、永遠の教会によって過去信じられていたこと、信仰と道徳と礼拝、公教要理の教え、司祭の養成、教会のいろいろな施設において実践されていたこと、第二バチカン公会議の近代主義の影響を受ける前に出版された本の中に法定化されたことを全て固く保持します。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。