待降節第四主日の説教―賛歌「ロラテ」(2024年、大阪と名古屋)

ソース: FSSPX Japan

Rorate Caeli

待降節第四主日の説教―賛歌「ロラテ」(2024年、大阪と名古屋)

2024年12月22日 ブノワ・ワリエ神父

Rorate Caeli

親愛なる兄弟の皆さま、

今日のミサは、「露を滴らせよ!」という意味の「ロラテ」(Rorate)という言葉で始まります。これは、預言者イザヤの書から取られたものです。賛歌「ロラテ」は、おそらく待降節の最も有名な賛歌ですから、これをお聞きになったことがあると思われるかもしれません。
この賛歌の歌詞は、イザヤ書、特に64章と40章からの引用で作られており、待降節の典礼のあちらこちらで目にします。この賛歌は、文字通りの歴史的な意味においては、イスラエルの歴史上の劇的な出来事を物語っているのです。

「Rorate, Caeli desuper!」
「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ」。
これが答唱句です。助けを、救う者を求める呼びかけです。

「怒り給うな、主よ、これ以上邪悪を記憶し給うなかれ。見よ、聖なる方の都市は荒れ果てた、シオンは荒れ果てた、エルザレムはもの寂しくなった、御身の聖化と御身の光栄の家、私たちの祖先が御身を讃美したその家は(荒れ果てた)」。
考えられなかったことが起こりました。北イスラエル王国の敗北の後、エルザレムはバビロンの攻撃に屈し、民は追放されました。国家的かつ宗教的な大惨事です。この廃墟の地の、どこに天主はおられたのでしょうか。
エルザレムは、時には教会のかたどりであり、また時には一人一人の霊魂のかたどりでもあります。霊魂は空しさを感じます。天主は去ってしまわれました。

「私たちは罪を犯した、そして、私たちは不浄なものであるかのようになった、また、至る所の落ち葉のように私たちは落ちた、また、私たちの邪悪らは風のように私たちを取り去った、御身は御顔を私たちから隠し、御身は私たちの邪悪の手において私たちを踏みにじり給うた」。
一つの発見がありました。不幸の根源にあって、人を打ち砕いて無力にするのは罪、預言者たちが戦った不忠実の罪です。多くの場合、天主は、自立した者に自らのみじめさを体験させられます。天主は、人間のみじめな状況が、その人に対する警告のようになることを望んでおられるのです。放蕩息子のたとえ話のようにです。

「見給え、主よ、御民の苦悩を、そして御身が遣わし給う者を遣わし給え、地の支配者たる小羊を、砂漠の岩からシオンの娘の山まで遣わし給え、そはその方が私たちの隷属のくびきを取り除くためなり」。
イスラエルは、その歴史を通して天主が御民になされたすべての約束の名において、主に立ち返って、追放の終わりを懇願します。
「遣わし給う者」とは、メシアの預言的な名の一つです。「小羊」という言葉については、洗者聖ヨハネがキリストのことを、「天主の小羊」と明確に呼んでいます。

この賛歌「ロラテ」の最後の一節について説明しましょう。今度は、主ご自身が語られ、慰められ、主の愛がもたらす救いを告げられます。
「慰められよ、慰められよ、我が民よ、おまえの救いはすぐに来るだろう、何故、おまえは悩みに憔悴するのか、苦しみがおまえをまた遠ざけるのか、我は、おまえを助ける。恐れるな、我は実におまえの主なる天主、イスラエルの聖なる者、おまえの贖い主である」。

親愛なる兄弟の皆さま、

賛歌「ロラテ」は、待降節によく歌われます。一方で、この賛歌は、美しい告白を表しています。「罪は私たちをみじめにしました。命は無意味になりました」。
他方、この賛歌は、メシアの到来を待ち望む太祖たちや預言者たちの悲願、そして象徴的に教会の悲願を表しています。
クリスマスまであと数日です。私たちは熱意と寛大さをもって、助けを求める呼びかけを倍増させましょう。
童貞聖マリアが、私たちの救い主イエズス・キリストという「ご胎内の実」をお生みになりますように。アーメン。


【参考】賛歌「Rorate」日本語訳
https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/04ff9de9f8d828605d06035a6425024e