待降節第四主日の説教―預言者たちの忍耐に倣おう(札幌)
預言者ダニエル
待降節第四主日の説教―預言者たちの忍耐に倣おう(札幌)
2025年12月21日 イヴォン・フィルベン神父
待降節第四主日の説教―預言者たちの忍耐に倣おう(札幌)
親愛なる信者の皆さま、
クリスマスは、もうすぐです。今日は、待降節最後の主日です。しかし、今日の主日の福音は、クリスマスの時期ではなく、それ以前でもなく、ずっと後、洗者ヨハネの宣教の始まり、つまり私たちの主の公生活の始まりでもある時期にあったことです。
また、この福音には、多くの歴史的情報が含まれていることに、皆さまもお気づきかもしれません。「皇帝ティベリウスの在位第15年、ポンシオ・ピラトはユダヤの総督、ヘロデはガリラヤ分国王、その兄弟フィリッポはイトラヤとトラコニティス分国王、リサニアはアビレネ分国王であった」。これは聖書全体の中で、最も正確な年代記録です。ルカは、クリスマスの時期でさえ、これほど多くの詳しい歴史的情報を記してはいません。
私たちの主の公生活の始まりであるこの年代の特定が、非常に重要なのはなぜでしょうか。
なぜなら、この年代は、旧約の最も重要な預言の一つを、非常に正確に成就させているからです。クリスマスの準備をする最終段階であるこの時期に、教会がこの福音を提示する理由は、私たちの主の来臨が考えられないほどの正確さで、聖書を成就させていることを、教会が私たちに理解してほしいからです。つまり、何も偶然に任せるのではありません。私たちの主のこの世への来臨と公生活は、聖書によって告知され、予言されていたのです。この説教ではまず、この問題の預言について説明し、その後で、その預言から忍耐の徳についての教訓を引き出したいと思います。
一)預言とその成就
聖ルカが提供している歴史的情報は、ローマ帝国第二代皇帝ティベリウスの在位第15年という、非常に具体的な時期の政治的状況を反映しています。この年代は、私たちの暦では何年に相当するのでしょうか。聖ルカ自身はシリア人であったことから、彼がシリア式の年の数え方を用いていたと仮定すると、私たちの暦では西暦27年に相当します。
この西暦27年は、預言者ダニエルが、何世紀も前に告知された時期に相当します。ダニエルは、バビロンに住んでいたユダヤ人の預言者で、若い頃にそこに捕囚にされました。彼は天主から、歴史の未来の行方について幻視を受けました。その幻視は聖書に記録されています。
これらの幻視のうちの一つが、特に重要です。その幻視はダニエル書9章に記されていますが、謎めいた表現になっているため、理解するのは容易ではありません。「それゆえ、知って、悟れ。エルザレム再建の命令が出てから、統治者メシアまで七週、それから六十二週」(ダニエル書9章25節)。この預言が、どのようにして西暦27年に至るのかを説明してみたいと思います。この問題は複雑なため、簡潔にするしかありません。
ここで言う「週」とは、「週年」、つまり7年の期間と理解すべきです。したがって、7+62=69「週年」となり、これが完了すると、王たるメシアが現れるのです。69×7年=483年です。しかし、483年とは、いつからなのでしょうか。神託は、この年代記録の起点を「エルザレム再建の勅令の発布」としています。しかし、ユダヤ人に都市の城壁再建を許可する勅令が、紀元前457か458年に遡るのは、はっきりしています。これは、はるか以前に与えられた神殿再建を許可する勅令とは異なるものです。
詳しい計算は省略しますが、この年代記録の起点に483年を加えると、年数は西暦25年または26年となります。そして、イエズスが洗礼を受け、王たるメシアとして公にお姿を現すのは、その翌年、西暦27年の初めのことです。
このため、聖ルカは、皇帝ティベリウスの在位第15年である西暦27年を、これほど強調するのです。聖ルカは、イエズスの公生活の始まりの正確な年が、500年前に天主によって一人の預言者に告知されていたことを、私たちに伝えたいのです。天主がすべてを計画され、イエズスの御降誕と公生活は、天主の御旨が成就したということです。私たちがクリスマスにお祝いするのは、天主が何世紀も前に準備された、非常に具体的な計画が成就したことなのです。
このことを知って、どのような霊的な結論を引き出せるでしょうか。
二)私たちにとっての結論
1)預言者の忍耐
天主は、なぜ一度にすべてをなさらないのでしょうか。それは、私たちに忍耐と信頼を教えたいと思っておられるからです。預言者の立場に立ってみてください。すべての問題を解決してくれる救い主が来ると告げられたのに、その直後に、救い主は来るが、それは500年後だと告げられたと想像してください。その時までに預言者は、もう死んでしまっています。少しがっかりするだろうと私は思います。そうですね、旧約の預言者たちに告知されていたのは、こういったことなのです。遠い未来に来ることになる救い主。それでも彼らは、この知らせに失望することなく、喜んだのです。
2)信頼して待つ
私たちは預言者のように、信頼して待つように呼ばれています。なぜなら、天主は、教会の歴史だけでなく、世界の歴史も導いておられるからです。これは、教会の危機的状況を認識している聖ピオ十世会の信者である私たちに、特に当てはまります。私たちは、その状況を深く認識しているため、時には絶望に陥ることがあります。60年間、教会人たちは、ペトロの舟を誤った方向に導いてきました。60年間にわたる誤った改革は、多くのカトリック信者の信仰をひどく混乱させました。この非常に苦しい状況に直面して、私たちは時に怒りを抑え切れません。「主よ、いつまで待つのですか」。唯一の歴史の支配者である天主を非難するのは、正しいことではありません。ですから、天主が歴史の支配者であることを知っていた旧約の預言者たちのように、確信を持ち続けましょう。天主は、ご自分が適切だとお考えの時に、教会の危機を解決してくださるでしょう。
しかし、そのことは、私たちには何もすることがないという意味ではありません。
3)自分自身を聖化する
私たちは忍耐強くなければなりませんが、受け身であってはなりません。ここでも、ダニエルの姿勢から教訓を引き出しましょう。彼は、バビロンでの民の悲惨な状況に心を痛め、生きているうちに救いは得られないことを知っていました。こうした困難にもかかわらず、ダニエルは天主に忠実であり続け、自らを聖化し、バビロンの偶像崇拝のただ中にありながらも、唯一の天主に忠実であり続け、決して異教と妥協することなく、主の偉大な預言者の一人として安らかに生涯を終えました。
私たちの務めは、教会の危機を解決することではなく、バビロンでダニエルが行ったように、自らを聖化することです。天主は、バビロン捕囚のユダヤ人をお見捨てにならなかったように、私たちをお見捨てにはなりません。近代主義が教会に蔓延しているにもかかわらず、聖伝のミサは生き残っており、聖伝のカテキズムは教えられ続けています。天主は、ルフェーブル大司教という御摂理的な人物を立てられ、聖伝の継承を確実なものとされました。聖ピオ十世会は、他の修道会と共に、この聖伝の典礼にあずかる機会を教会全体に提供しています。したがって、私たちには、自分自身を聖化するために必要なものがあるのです。
親愛なる信者の皆さま、待降節最後の主日は、私たちの主がクリスマスの日に御降誕になり、宣教を始められたことが偶然の出来事ではなく、歴史を導く天主の知恵の実りであったことを思い起こさせてくれます。教会と世界の出来事についても、私たちは同じ信仰を持たなければなりません。この信仰は、預言者たちの忍耐の模範に倣い、日々ますます自分自身を聖化するよう励ましてくれるでしょう。