待降節第四主日の説教―ベネディクトゥス(2025年、大阪と名古屋)
ザカリア
待降節第四主日の説教―ベネディクトゥス(2025年、大阪と名古屋)
2025年12月21日 ブノワ・ワリエ神父
待降節第四主日の説教―ベネディクトゥス(2025年、大阪と名古屋)
親愛なる兄弟の皆さま、
この待降節の最後に、私たちは洗者聖ヨハネについて聞きます。彼のおかげで、「人はみな、天主の救いを見るであろう」(今日の福音)。
皆さまは、いわゆる「ベネディクトゥス」という賛歌をご存じでしょうか。これは、ヨハネの誕生の時、父ザカリアが霊感を受けて作ったものです。
ベネディクトゥス
主なるイスラエルの天主をたたえよ。主は御自ら訪れて、その民を解放し、
しもべダヴィドの家に、われらのために、力強い救いを起こされた。
古くから、聖なる預言者の口を借りて、仰せられていたように。
われらを、敵から、憎む人々すべての手から救い出すために。
主は、われらの先祖をあわれみ、その尊い御約束を思い出し、
われらの父アブラハムへの誓いを忘れず、
われらを敵の手から救い、主の御前に、
生涯にわたり、聖と義とをもって、恐れなく仕えさせてくださる。
幼子よ、あなたは、いと高き御者の預言者と呼ばれるであろう。なぜなら、主に先立って、その道を準備し、
罪が赦されることによって救いが来たことを、その民に教えるからである。
それは、われらの天主の、深いあわれみによる。そのために、朝日は上からわれらに臨み、
闇と死の影とに座する人々を照らし、われらを平和の道に導き入れるであろう。
キリスト教徒の人生プログラム
“ut sine timore, de manu inimicorum nostrorum liberati, serviamus Illi in sanctitate et justitia coram Ipso, omnibus diebus nostris”
「われらを敵の手から救い、主の御前に、生涯にわたり、聖と義とをもって、恐れなく仕えさせてくださる」。
キリストの御降誕の前夜、ベネディクトゥスのこの一節は、完璧なキリスト教徒の人生プログラムです。
・「われらを敵の手から救い」→クリスマスは、まことに救い主が来られたことを告げています。罪や死の力、悪魔の力、そしてあらゆる霊的な敵の力は、まぐさ桶の中の幼子によって打ち砕かれました。救い主の来臨のおかげで、私たちはすでに自由であり、もう奴隷として生きることはないのです。
・「恐れなく」→恐れのないことが、新約の特徴です。旧約のもとでは奴隷のような恐れであったものが、キリストの勝利を通して確信に満ちた礼拝へと変わります。
・「仕えさせてくださる」→仕えるということは、「霊的な敵」(悪徳と悪魔)から完全に解放されたときにのみ、「完全な自由」となります。私たちの解放の目的全体は、天主に依存しなくなることではなく、天主に愛を込めてお仕えすることです(serviamus【私たちはお仕えする】という同じ言葉は、ルチフェルの「Non serviam」[私は仕えない]の反対語を思わせます)。解放された心は今や、「主のつかいめ」である聖母のように、「お仕えします!」と言うのです。
・「聖と義とをもって」→聖ヨハネ・クリゾストモスによれば、「聖」とは天主に対する義務(敬虔な従順、内的な清さ)のことであり、「義」とは隣人に対する義務(高潔な行い、正義、あわれみ)のことです。クリスマスは私たちに対して、王たる幼子を礼拝することと、主が救いに来られたすべての人々に対して愛を実践することを呼び掛けているのです。
「主の御前に」→天主は、アブラハムにこう告げられました。「われは全能の天主である。わが前に歩み、完全な者となれ」(創世記 17章1節)。かつては一人の太祖だけの、恐るべき特権であったものが、クリスマスのおかげで、洗礼を受けたすべてのカトリック教徒の、日々の召命となりました。それは、天主の御前であることを意識して、しかし恐れずに、完全な聖と義とのうちに、すべての瞬間を生きることなのです。
・「生涯にわたり」→クリスマスの日だけでなく、クリスマスの季節だけでなく、主が再び来られるまでの毎日です。ベトレヘムで与えられた恵みは、生涯にわたる召命を形成することになるのです。
「われらを敵の手から救い、主の御前に、生涯にわたり、聖と義とをもって、恐れなく仕えさせてくださる」。
親愛なる兄弟の皆さま、
キリストの御降誕のお祝いは間近です。
「それは、われらの天主の、深いあわれみによる。そのために、朝日は上からわれらに臨」むのです。毎年のクリスマスの日に、霊的に。
キリストの御降誕は、恐怖を引き起こす罪の束縛から解放して、本物の聖と義とに力を与えるものです。
「キリストは、御降誕と御受難とによって、私をあらゆる敵から解放してくださったのだから、これからは、恐れることなく天主だけにお仕えし、常に天主の御前で、天主に対して聖であり、隣人に対して義でありつつ、日々の生活を送ろう」。これこそが、洗者聖ヨハネの父が歌った、カトリックの霊的生活のすべてであり、「いと高き御者の預言者」が今日も私たちに説き続けていることなのです。アーメン。