待降節第二主日の説教―無原罪の御宿り(大阪)

ソース: FSSPX Japan

天使のお告げ

待降節第二主日の説教―無原罪の御宿り(大阪)

2025年12月7日 パトリック・サマーズ神父

待降節第二主日の説教―無原罪の御宿り(大阪)

エワが引き起こした害をマリアが償われる

明日は、童貞聖マリアの無原罪の御宿りの祝日をお祝いします。よく言われるように、マリアについては十分に語ることはできませんし、十分に知ることもできません。

童貞聖マリアに関して役に立つ教えの一つは、聖母が「新しいエワ」と呼ばれていることです。聖母は、エワの罪を通して人類に対してなされた害を償われます。聖母は、どのようにしてそうされるのでしょうか。

エワによって引き起こされた害は、マリアによって次の方法で償われました。

1.エワの《不信仰》は、マリアの《信仰》によって償われました。
2.エワの《高慢》は、マリアの《謙遜》によって償われました。
3.エワの《不従順》は、マリアの《従順》によって償われました。

第1部 私たちの最初の母であるエワは、不信仰によって罪を犯しました。(a) 天主は、私たちの最初の父祖に、善悪を知る木の実を食べることを、厳しく禁じておられました。「その木の実を食べたら、あなたは必ず死なねばならぬ」(創世記)。

エワが、これほど厳しい掟を破ってしまったのは、どのようにして起こったのでしょうか。それは、おもに、悪魔がエワを不信仰に誘い込むことに成功したからです。エワが悪魔に、アダムと自分が善悪を知る木の実を食べていないのは、天主がそれを禁じられ、食べると死ぬと言われたからだと告げると、悪魔はこう答えました。「いや、そんなことで死にはしない」。エワは今、天主か悪魔のどちらを信じるかの選択を迫られました。一体誰が、こんなことが起こり得ると思うでしょうか。エワはもう、永遠の真理である天主を信じず、初めから嘘つきである悪魔を信じたのです。エワの信仰は揺らぎました。

悪魔は今日(こんにち)でも、人々を悪に導こうとするとき、同じやり方を追求します。悪魔は、人々の信仰を揺さぶろうとします。人々の良心が悪魔の誘惑で刺激されても、罪を犯すまいと努力する場合には、悪魔は人々にこう嘘をつくのです。「罪の意識に心を乱されるな。これもあれも罪などではない」。あるいは、「周りを見てみよ。あなたが罪だと思うことを、この世は許しているではないか。自分が例外だと思うな」。

そうです、マリアは、信仰によってエワの罪を償われました。終生の貞潔を誓ったマリアは、その誓いを決して破らないと決心し、それゆえにこう問われるのです。童貞でありながら母となることが、どうして可能なのですか、と。天使はこの点について、マリアが生むのは単なる人間の子ではなく天主の御子であること、自然な方法ではなく聖霊の力による超自然的な方法で天主の御子を宿すこと、そして母となるにもかかわらず童貞の清らかさは汚されないままであることを説明して、マリアを納得させます。そうです、マリアは、自分の理解力を信仰への奉仕のために服従させるのです。マリアにとっては、天使が天主の命令によって自分に語りかけていると知ることで十分だったのです。マリアは信じ、そしてただ信じるがゆえに、天主の御母となられ、エワが不信仰によって地上にもたらした呪いを祝福へと変えられるのです。

第2部 エワは、サタンに誘惑されて高慢になり、それゆえに罪を犯しました。悪魔は、エワを高慢にしようと試みました。悪魔は、エワにこう言いました。「あなたたちがその実を食べれば、そのとき目が開け、善悪を知る天人のようになると、天主は知っているのだ」(創世記3章5節)。これは、次のように言っているのと同じです。「天主はあなたとあなたの夫の幸せを願っておられない。この木の実を食べても、あなたたちは何の害も受けず、むしろそこから最大の利益を得るだろう。あなたたちは、今は天主に服従しているが、その実を食べるとすぐに自由になる。そうすれば、天主はもうあなたたちに命令することができなくなる。あなたたち自身が天人のようになるからだ」。この悪魔の言葉はエワに非常に強い印象を与え、エワの心に高慢の熱を燃え上がらせました。エワはもう従うことを望まず、命令することを望み、もう被造物であることを望まず、天人になることを望んだのです。

私たちの最初の父祖に起こったことは、高慢の霊に惑わされることを許してしまうすべての人に起こるでしょう。罪と悪徳から身を守りたいと願う人は、天主の恵みを必要とします。天主の恵みがなければ、誘惑に打ち勝ち、徳を貫き通すことはできないからです。

ですから、聖ペトロは、明確にこう述べています。「天主は高ぶる者に逆らい、へりくだる者に恵みを与えられる」。不信心や異端、不従順、霊的・現世的権威への反抗、中傷や誹謗、憎しみや敵意といった、おもに重大な罪は、高慢が生み出すものなのです。

そうです、マリアは、謙遜によってエワの高慢を償われました。マリアは、最も大いなる恵みを受けた瞬間に、何と深い謙遜を示されたことでしょうか。天使が、マリアにこう語りかけます。「あなたに挨拶します、恩寵に満ちたお方。主はあなたと共におられます。あなたは女の中で祝福された方です」。マリアは震えます。謙遜なマリアは、これらの言葉が自分に向けられているとは信じられなかったからです。マリアは騙されることを恐れ、挨拶の中にあまりにも大きな誉め言葉があることにためらいました。天使は今、人を困惑させ、天使たちを驚嘆させる崇高な神秘をマリアに明らかにします。天使はマリアに、聖霊を通して天主の御子を宿すこと、そしてマリアが汚れなき童貞でありながら、天主の御母になることを告げます。マリアは、この知らせをどのように受け止められたのでしょうか。このように驚くほど称えられて、マリアは少なくとも少しは虚栄心を抱くことはないのでしょうか。いいえ、称えられれば称えられるほど、マリアは謙遜になられます。自分に価値がないことを理解して、マリアはこうお答えになります。「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」。聖ベルナルドは、ここでこう叫びます。「おお、元后よ、あなたは、これほどまでに清らかで、これほどまでに無垢で、恵みに満ちておられたのに、どうしてこれほどまでに自らを卑しく思われたのですか。天主がどれほどあなたを尊び、称えられるかを知っておられながら、どうしてこれほど深い謙遜があなたの内に根を下ろしたのですか」。「天主の御子を、天から童貞マリアのご胎内へと引き寄せたのは、この深い謙遜だったのです」(聖アルフォンソ)。(b) 謙遜はまた、私たちに天主の愛と恵みももたらします。聖アウグスティヌスはこう述べています。「謙遜はすべての徳の土台であり、天からの賜物を得るためのこれ以上の準備はありません」。永遠の救いを得るために必要なすべての恵みは、私たちが心から謙遜であれば与えられます。罪人でさえ、天主の御前に深く謙遜であれば、救いを諦める必要はありません。謙遜ほど素晴らしいものはありません。他のすべての徳を守り、保つのは謙遜であり、私たちを天主と人に受け入れられるものとするのは謙遜です。もし私たちが大きな功績を挙げたとしても、謙遜によって小さき者となりましょう。私たちが謙遜であればあるほど、私たちの救いはより確かなものとなります。なぜなら、真に謙遜な霊魂は失われることがあり得ないからです。

第3部 エワは、不従順によって重大な罪を犯しました。天主は、私たちの最初の父祖が従順であることを試すために、簡単な命令を与えられました。彼らは楽園のすべての木の実を食べることを許されましたが、ただ一つ、善悪を知る木の実だけは例外でした。これほど取るに足らないことに従うこと以上に、簡単なことがあるでしょうか。しかし彼らはこの簡単な命令にさえも背いたのです。エワは、手を伸ばして禁断の実を取り、それを食べました。エワは、自分が天主の命令に背くだけでは満足せず、アダムも誘って食べさせました。この不従順は、私たちの最初の父祖に大変なみじめさをもたらしました。彼らはたちまち天主の愛と好意と友情を失い、そして天を受け継ぐことができなくなり、弱く死すべき者、サタンの奴隷となり、永遠の滅びの罰を受けるに至ったのです。

不従順によって、人々も同じ運命をたどります。天主に従わず、天主の聖なる掟を破る者は、自らを永遠にみじめな者とします。天主は、私たちの最初の父祖と同様に、私たちにも、つらい犠牲のない従順を求めておられます。キリストが、掟をくびきや荷と呼ばれたのは確かですが、それは甘美なくびき、軽い荷であり、このくびきや荷を自ら担う者に霊魂の安息を与えると約束しておられるのです。

マリアは、従順によってエワの罪を償われました。マリアは、ご自分が身ごもって天主の御子イエズス・キリストを生むことが天主の御旨だと確信するとすぐに、その申し出に同意し、「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と言われました。天主の御母としてご自分を待ち受けるすべての苦しみや苦難を、マリアは天主の啓示によって知り、はっきりと理解しておられたと、私たちは確信できます。マリアはご自分に、こう言い聞かせなければなりませんでした。「もし私が天主の御母となれば、私の人生の幸福はすべて失われ、最後の息の尽きるまで悲しみの母とならなければなりません。試練が私に襲いかかり、多くの苦しみの海原に私を沈めてしまうでしょう」。

ですから、マリアは「私は主のはしためです。お言葉の通り、この身になりますように」という言葉で同意を示すことで、最も英雄的な従順を示されたのです。また、マリアは、天主への愛のため(マリアにとって天主の御旨が何よりも優先します)、また人間への愛のために、従順を示されたのです。なぜなら、私たちの救いは、マリアの従順にかかっていたからです。皆さまも、常に天主の御旨に従い、従順であってください。天主は、恵みの助けによって可能なこと以外は、何もお求めにはなりません。

従順はキリスト教的完徳の要約です。あらゆる徳をもって自らを豊かにするために、また私たちの望みの最終地点である永遠の命に到達するために、これほど面倒でなく、これほど危険でなく、これほど短く確実な手段はほかにありません。従順は犠牲よりも優れたものなのです。

マリアを模範としてください。マリアがエワの不信仰、高慢、不従順という罪を償われた、信仰、謙遜、従順という徳において、マリアに倣いましょう。次のイエズス・キリストの御言葉を思い出して、堅く信仰に立ってください。「信じて洗礼を受ける者は救われる。しかし、信じない者は滅ぼされる」(マルコ16章16節)。

謙遜を保ってください。謙遜は、あらゆる徳の土台、天主をお喜ばせする生き方の土台だからです。従順を実践し、天主と、天主の代理者である、皆さまの現世的および霊的な権威が命じることを行ってください。信仰、謙遜、従順を通して、マリアは天主の御母となられ、私たちの喜びの源となられました。この三つの徳を通して、皆さまも、皆さまがなるように定められているもの、つまり天主の子、天の相続人になるのです。アーメン。