【参考文献】ストリックランド司教「ルフェーブル大司教が使徒の道を歩んだことは明らかである」

LifeSiteNewsに掲載された、ジョゼフ・E・ストリックランド司教の2024年12月14日(土)付けの記事を日本語で紹介します。
ルフェーブル大司教が使徒の道を歩み、安全な場所を設立するよう導かれたことは明らかである。その場所は、純粋な形で全時代のミサが行われる避難所であり、信仰の遺産が守られ、階段がそのまま保存されるところである。教会の猿まねをする者が板を引き剥がし、最も貴重なものをすべて投げ捨てようとしているときでさえ、ルフェーブル大司教はこれを守った。
ジョゼフ・E・ストリックランド司教
(LifeSiteNews)―キリストにおいて親愛なる兄弟姉妹の皆さま、
私たちの主を待ち望んでいる一年のこの時期に、私は、聖ヨゼフにしばらく注意を向けたいと思います。聖ヨゼフは、ほとんど沈黙していますが、私たちの主の待降節においては非常に重要な人物です。聖ヨゼフが大工であったことを私たちが知っているのは、聖マテオと聖マルコが彼の仕事を表すのに、木工職人、建築職人、「接合職人」、つまり木片を「接合」するような木工技術を持つ職人を意味する一般的な言葉であるギリシャ語の「テクトン」(tekton)という言葉を使ったからです。ラテン教父たちは、この言葉を「大工」と解釈しました。
聖ヨゼフは多くの意味で、天が地を「つなぐ」ための、また地が天を「つなぐ」ための階段の建設者として召されたのですから、「接合工」という言葉は聖ヨゼフにふさわしい言葉です。童貞聖マリアは天主の御母となるよう召され、聖ヨゼフは、彼女に結婚と幼子キリストが地上で住むことのできる家を提供することで階段を建てました。イエズス・キリストは、聖ヨゼフが提供した家に住まわれました。聖ヨゼフが建てた家や階段は地上の材料でできていたでしょうが、その上を天が歩かれたのですから、聖ヨゼフは天と地をつなぐ階段を建てたと言えるでしょう。
私たちは、階段や、天と地を「つなぐ」ものを考えるとき、自然にキリストの教会のことを考えます。なぜなら、カトリック信者である私たちは、キリストによって建てられた、地と天をつなぐ階段あるいは橋の上に立っているからです。この階段の段差は、創造主と被造物を隔てる深淵を橋渡しする秘跡であり、信仰の遺産はその枠組みです。この階段の上にしっかりと立っている限り、幼子キリストを抱かれるマリアのように、私たちも天主の御顔を見つめることができるのです。キリストは教会において真に現存されるのですから、キリストは教会において真に地上の私たちと出会われるのです。秘跡は、それが象徴するものを真に地上にもたらす(そしてつなぐ)効力のあるしるしです。そのためには、私たちが知っているように、「形相」においても「質料」においても、正しく「象徴」されなければなりません(階段は正しい材料で作られなければなりません)。もし、形相(語られる言葉)と質料(秘跡の物質的な部分)のどちらかが変わってしまえば、その有効性は失われます。したがって、この階段のすべての板が、全体の不可欠な部分なのです。
地を天と結ぶこの階段あるいは橋は、教会の歴史を通じて、外部からの絶え間ない攻撃にもかかわらず、常に堅固に立ってきました。しかし今、私たちは教会自身の内部から、そしてこの戦いを行う権威を持つと主張する者たちから発せられた攻撃を目の当たりにしています。今起きていることは、堕落した者たちが悪魔的な意向をもって組織的に計画してきたことの集大成であり、教会の歴史を通して多くの聖人たちによって預言されてきたことです。しかし、この階段の板はキリスト御自身によって与えられたものであり、その代わりにどんな代用物が置かれても、私たちに与えられたものの重さには耐えられないでしょう。従って、信徒が真の階段を見失って、代用物で作られた階段に立っていることに気づき、なぜ自分たちの教会が空っぽに見えるのか不思議に思うことが、司教である私にとって重大な関心事なのです。キリストはこれからも常に教会に現存され、ご自分が築かれた階段の上に立っておられますが、私たちもまた自分が立っているところを確認し、フルトン・シーン大司教が適切に呼んでいる「教会の猿まねをする者」に、道を踏み外させられていないことを確認しなければなりません。
私は司教として約束しました。たとえいかなる代償を払ってでも、キリストによって与えられ、キリストのうちに安置され、信仰の遺産を枠組みとする真の階段の上にしっかりと立ち、その板をこじ開けようとするすべての者から守る、と。私は、キリストの尊い御血がこの階段にしるしをつけていること、この階段は殉教者の血で染められてもいること、そして、この階段を守るためには私の血を流すことも厭わないことを、思い起こすよう求められています。なぜなら、キリストが私たちのために死なれることは、キリストが人間となられ、生命の鍵そのものを持ちつつ死の残虐行為に身を委ねられることが必要だったからです。これには比類なきご意志が必要でした―天主のご意志が必要だったのです。そしてそれこそが、主が私たち一人一人に呼びかけておられること―完全に天主のご意志に沿って歩むことなのです。
この階段破壊の試みはいつ始まったのでしょうか。多くの人が、その犯人として第二バチカン公会議を挙げています。私が生まれた1958年10月は、教皇ヨハネ二十三世が、教皇(Pontifex Maximus――偉大な橋を作るものという意味――)として聖ペトロの椅子に選出されたのと同じ年であり、同じ月です。私がこのことに言及するのは、まさにこの年が、現在、私たちが数え切れないほどの形で目にする教会内の混乱の始まりとして取り上げられることが非常に多いからです。彼の教皇職と第二バチカン公会議召集の決定が、教会史における極めて重要な瞬間であったことは事実です。1962年10月11日、教皇ヨハネ二十三世は第二バチカン公会議を開会しましたが、1963年6月に死去し、後継者の教皇パウロ六世がその任に就きました。公会議の第4回かつ最終回の総会は1965年12月に閉会しました。
これが始まりだったのでしょうか。第二バチカン公会議以前から、「改革不可能」と考えられてきたものを取り壊す試みが、組織的に行われてきたように思えます。それにしても、責任ある者たちは、いかにして永遠のものを破壊しようとしたのでしょうか。彼らは、天に属していたものをこの世の定義に閉じ込めようとすることによってこれを行ったのであり、これは、天から与えられたものを人工の材料で代用させようとすることによって最も効果的に行われます。しかし、教会のように、一端が地にあり、一端が天にあるとき、人間がそれを破壊することはできません。ただ人間にできることは、その代わりに「教会の猿まねをする者」を差し出すことによって、真理を曖昧にすることなのです。
第二バチカン公会議以降、多くの変化があったことは間違いありません。教会が「この世」と共に歩むことが新たに強調され、このことは、教会独自のアイデンティティを損なう神学的見解への扉を開きました。エキュメニズムのような考え方は階段に打撃を与えました。なぜなら、キリストは、教会がこの世の一部であるべきだとは決して言われませんでした。事実、キリストはその反対のことを言われたのです。
第二バチカン公会議で、教会に対して他教派との「対話」を奨励する集中的な動きが始まりました。しかし、私は「何に関する対話があったのだろうか」と問わねばなりません。キリストは、私たちにご自分の教会を与えてくださいました。教皇が「すべての宗教は天主への道です」というような声明を出しても、大多数の司教や枢機卿はうなずくだけで、一言も発しないような段階に今至っているのは、第二バチカン公会議から出てきたことの論理的な進展だということが、今や明らかになっているのです。
しかし、彼らは、自分たちが守ると約束した階段を放棄していることを知っています。知るしかないからです。教皇ボニファティウス八世が「ウナム・サンクタム」(Unam Sanctam、1302年)の中で不可謬的に教えたことは、その階段の上にあります。「余は、信仰のゆえに、唯一のカトリック教会が存在し、使徒継承の教会であることを信じ、維持せざるを得ない。このことを、余は無条件に固く信じ、宣言する。この教会の外に救いはなく、罪の赦しもない。このように、浄配は雅歌の中で『私の雌鳩はただ一人、私のまったき者は、ただ一人。彼女は母のひとり子で、彼女を産んだ者から選ばれし者である』(雅歌6章8節)。さて、この選ばれし者は、かしらがキリストであり、キリストのかしらが天主である唯一の神秘体を代表している。神秘体においては、『主は一つ、信仰は一つ、洗礼は一つ』(エフェゾ4章5節)である。なぜなら、大洪水の時、箱舟はただ一つしか存在せず、それは一つの教会のかたどりであったからである」。
この階段には、「いや、すべての宗教が天主への道というわけではない」と、私たちが例外なく結論づけるように導く、天主の霊感を受けた言葉がたくさんあります。なぜなら、教皇ベネディクト十五世が教皇回勅「アド・ベアティッシミ」(Ad Beatissimi、1914年)で述べたように、この階段にも次の言葉があるからです。「カトリシズムの本質とは、増やしたり減らしたりすることを認めず、全体として保持するか、全体として拒絶するかでなければならないものである。『これがカトリックの信仰であり、これを忠実かつ堅固に信じなければ、人は救われない』(アタナシウス信経)。カトリシズムの信仰告白にいかなる修飾語も加える必要はない。『キリスト者が私の名であり、カトリック者が私の姓である』と各自が自らのことを実際に宣言するだけで十分である」。
カトリック教会が常に断罪してきたのは、すべての宗教は善であり「天主のもの」である、という誤りを信じることです。これは宗教的無関心主義という誤った教理であり、この神聖な階段に決して置かれてはならない板です。第二バチカン公会議以降、人間が設置しようとした板には、人工的な材料で作られたものが他にもたくさんあります。彼らは、元の材料が「時代遅れ」だと考えたため、天の材料の代わりに人工の材料を使おうとしたのです。しかし、天が造ったものが時代遅れになることは決してありません。
第二バチカン公会議から生まれた多くのことは、カトリック教会から公会議の教会への動きを象徴しています。特に悲劇的なのは、おそらくは、この世をキリストのもとに導くという焦点を私たちが失っているという段階にあることでしょう。
しかし、ミサの聖なるいけにえに起こった変化ほど、階段に損害を与えるものはありませんでした。今、教会の多くは、空っぽの墓に遭遇したときのマグダラの聖マリアと同じように、「彼らは主をどこに置いたのでしょう」と問いかけているようです。第二バチカン公会議以降、ミサの聖なるいけにえにおいて教会が目撃してきた変化により、「真の現存」に対する信仰が大幅に低下したため、多くの人々は、主がどこにおられるのかを、また、全人類のための主の愛に満ちたいけにえを知らないままになっているのです。
古いミサは1970年に禁止され、教皇パウロ六世が実際に、古いミサを守る者は公会議に反抗していると非難したため、多くのカトリック信者が教会を去りました。私が第二バチカン公会議の結果としてミサにもたらされた変化について考えるとき、マルセル・ルフェーブル大司教のことが思い浮かびます。伝統の司祭会である聖ピオ十世会を設立したルフェーブル大司教は、1970年代から1980年代にかけて、新しいミサを行うことを拒否したために、不従順、反逆者、さらには離教者のレッテルを貼られました。しかし、ルフェーブルは、近代主義と自由主義の浸透により、教会が深い「信仰の危機」を経験していると感じていました。彼は、階段の板をこじ開けて、この世の板と取り替えようとする試みが活発に行われていると感じていました。彼は、四人の「伝統的な心を持つ」司教を、教皇の許可なく(といっても何年も繰り返しその許可を求めてから、許可が与えられると告げられた後にですが)、聖別しました。なぜなら、伝統的な教えとトリエント・ラテン語ミサを擁護する司教がいなければ、教会の聖伝の継続が危うくなると感じたからです。こうして、彼は階段がそのまま保存されるのを確実にしたのです。
1976年、ルフェーブル大司教が13人の司祭を同会のために叙階しようとしていたとき、バチカン国務省事務局のジョヴァンニ・ベネリ大司教は、公会議の教会への忠誠を求める手紙をルフェーブル大司教に送りましたが、ルフェーブル大司教はこう答えました。「その教会とは何ですか。私は公会議の教会など知りません。私はカトリックです」。
私自身、ラテン語が教えられていなかった時代に神学校にいましたし、司祭として、また司教として常にノブス・オルド(新しいミサ)を行ってきたため、この問題を理解するための旅をしました。聖なるミサの問題は、イエズス・キリストと聖なるミサである彼のいけにえから焦点を遠ざけようと試みるために始まったのだということを、私が認識するようになったように、私たち全員が認識するようになっていだきたいと思います。
私たちは21世紀において1世紀のキリスト信者であるよう努力すべきであり、それは特に聖なるミサの領域において重要であると私は信じています。教会の黎明期には、キリストのただ一度だけのいけにえを現存させるミサ聖祭、最後の晩餐、が行われていました。殉教者聖ユスティノのような記述は、聖なるミサで何が行われたかのごく初期の描写を私たちに提供してくれるものであり、これらの記述の美しさは、ミサが記念するいけにえに時間的に非常に近いということです。私たちは、最初期のキリスト信者と同じように、イエズス・キリストに焦点を当て続けなければなりません。そうすれば、初期のキリスト信者と同じように、同じ十字架につけられて復活された主に焦点を当てるのですから、イエズス・キリストのいけにえからの時間的な距離は、取るに足らないものになります。
新しいミサによって、イエズス・キリストにあまり焦点が当てられなくなったことは間違いありません。これはしばしば微妙な形で見られますが、第二バチカン公会議以降、イエズス・キリストの真の現存を徹底的に無視し、冒涜のレベルにまで達している例も多く見られます。典礼がその焦点を会衆に移してイエズス・キリストから遠ざけたとき、イエズス・キリストの聖なる現存を極端に無視する扉が開かれたのです。
伝統的なミサがラテン語で行われるのに対し、ノブス・オルド(新しいミサ)は通常、その国の共通語である俗語で行われますが、ノブス・オルドの規範言語もラテン語であることは興味深いことです。司牧上の理由から、ミサがその国の俗語で行われるよう規定が作られましたが、ミサはラテン語で行い続けることが常に想定されており、教皇ベネディクト十六世は、ノブス・オルドへラテン語を再導入するのを促しました。
ノブス・オルドが導入されたとき、祭壇の囲いの多くが撤去されました。しかし、祭壇の囲いは、内陣(祭壇のある場所で、私たちの階段が導く天国を表します)と教会の他の場所(地上を表し、私たちの階段が始まる場所)の区別を維持するのに役立ちました。伝統的ラテン語ミサでは、聖体拝領者は祭壇の囲い(天への門)のところにひざまずき、司祭から舌の上にご聖体を受けます。
神聖で美しい数多くのノブス・オルドのミサが一貫して行われていはいますが、それにもかかわらず、新しいミサが何世紀にもわたる典礼の連続性を断ち切るものであったことは事実です。そしてそれに伴い、ミサへの出席率、召命、カトリックの中核的な教えへの信仰が大幅に低下しています。教皇ベネディクト十六世は、2007年の自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)でこれらの懸念に対処し、伝統的ラテン語ミサにあずかる機会を拡大しました。しかし、教皇フランシスコは2021年の自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)で、伝統的ラテン語ミサにあずかる機会を再び厳しく制限しました。しかし、教皇ピオ五世が1570年の大勅書「クォー・プリームム」(Quo Primum)の中で、伝統的ラテン語ミサに関して述べた言葉を読んでみましょう。
更に、如何なる教会においても歌ミサ聖祭、或いは読誦ミサ聖祭において、如何なる良心の呵責無しに、或いは他の罰、宣言そして非難を全く課される事無く、今後このミサ典礼書それ自体に、全く従うように、そして、それを自由に合法的に使用する事が可能であり適法であるように、使徒継承の権威を以って、しかも永久のこの〔文面〕を以って、余は承認し認可する。又、高位聖職者、管理職者、教会参事会員、及び他の全ての如何なる呼称で呼ばれる、在俗又は如何なる修道会員の司祭は、余によって命ぜられたものより他のやり方でミサ聖祭を捧げる事が無いように。又、何によってであろうとも(彼等が)このミサ典礼書を変更すべく強いられ、強制される事無く、又この手紙が決していつの時代でも変更されることの無く、却って〔この手紙が〕常に堅固、且つその適応範囲において有効であるように、同じく余は規定し宣言する。〔上記の事は〕以前の決定、及び憲章、更に使徒座の命令、及び地方の、又、司教区の教会会議において出された一般、或いは特別憲章、及び命令、更に同様に、上記の諸教会におけるいとも長期にわたる、そして(記憶に無い程)昔の命令による…規定及び習慣にもかかわらず〔適応する〕。
【参考:聖ピオ五世の大勅書「クォー・プリームム」Bulla Quo Primum】
ルフェーブル大司教が1976年に13人の司祭の叙階式で語った言葉は、私たちが心に刻むべき言葉です。彼はこう述べました。「なぜなら、聖なる公教会が長い歴史のなかで、私たちに下さったこの貴重な宝、すなわち、聖ピオ五世によって聖別されたミサ聖祭の典礼様式を守ろうと望んだのは、きわめて重大な意味があったからです。何故かというと、このミサのなかに私たちの信仰が全て含まれているからです。全てのカトリック信仰が、すなわち、聖三位一体への信仰、イエズス・キリストのご神性に対する信仰、私たちの主イエズス・キリストの贖いへの信仰、私たちの罪の赦しのために流された私たちの主の贖いの御血に対する信仰、ミサ聖祭、十字架、全ての秘跡から来る超自然の聖寵への信仰が、すべてあるのです。これら全てを私たちは信じています。そして、これが永遠のミサ聖祭を捧げながら信じていることなのです。ミサは私たちに信仰を教えるものであり、信仰の源です。ありとあらゆる方面から私たちの信仰が攻撃にあっている現代において、私たちにとって必要不可欠のものです。私たちには、この本当のミサが、この永遠のミサが、私たちの主イエズス・キリストのいけにえが必要なのです。それは、私たちの霊魂を聖霊と私たちの主のおん力によって満たすためです」。
【参考:ルフェーブル大司教の歴史的な説教 1976年6月29日 司祭叙階式】
教皇ベネディクト十六世は、「過去の人々にとって神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守(ら)…なければなりません」と述べました。
【参考:教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙-1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって】
また私は、聖ピオ十世会はカトリック教会の外にあるのではないこと、教会法上は非正規ではありますが、離教者ではないことをここで述べておくことも重要だと感じています。アタナシウス・シュナイダー司教は聖ピオ十世会について広範な研究を行い、その結果、聖ピオ十世会を明確かつ一貫して擁護しています。彼は、カトリック信者は懸念することなく聖ピオ十世会のミサにあずかり、その聖職者からご聖体を受けることができると述べています。シュナイダー司教は、聖ピオ十世会の「不規則な教会法上の状況」を認めながらも、それは教会の外にいることと同じではないとし、聖ピオ十世会が伝統的なカトリックの信仰と典礼を守っていることを称賛しています。シュナイダー司教はまた、聖ピオ十世会が第二バチカン公会議以前の何世紀にもわたって実践されてきた伝統的なカトリックの教えと秘跡を堅持していると主張し、バチカンによる聖ピオ十世会の完全な教会法上の承認を求めています。
最後に、ルフェーブル大司教が1974年に行った有名な宣言を引用したいと思います。ルフェーブル大司教が使徒の道を歩み、安全な場所を設立するよう導かれたことは明らかです。その場所は、純粋な形で全時代のミサが行われる避難所であり、教会の猿まねをする者が板を引き剥がし、最も貴重なものをすべて投げ捨てようとしているときでさえ、信仰の遺産が守られ、階段がそのまま保存されるところです。以下は、ルフェーブル大司教の宣言です。
私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマによりすがる。
私たちは、しかしながら、第二バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否した。
実に、これら全ての改革はカトリック教会の瓦解と司祭職の崩壊、いけにえと秘蹟の無化、修道生活の消滅、大学・神学校・公教要理における自然主義とテイヤール主義、教会の荘厳教導権によって何度も排斥された自由主義とプロテスタント主義とに由来する教育のために貢献したし、今でも貢献し続けている
たとえ位階制度の最も高い地位に上げられたものであれ、いかなる権威といえども、19世紀もの長きにわたって教会の教導職によって明らかに表明され、宣言された私たちのカトリック信仰を棄てる、あるいは減少させるように強制することは出来ない。
聖パウロはこう言っている。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」(ガラツィア1:8)
これが今日、教皇様が私たちに繰り返し言われることではないだろうか。そしてもしも万が一、教皇様の言葉と行動において、また聖座の諸聖省の文書において、1つでも [過去の教導権との] 矛盾が現れるなら、その時私たちは、常に教えられていたことを選び、私たちは教会を破壊する革新に耳を閉じる。
「信仰の法」(lex credendi)を変更することなく「祈りの法」(lex orandi)を深く変更させることは出来ない。新しいミサは新しい要理と新しい司祭職に対応し、新しい神学校、新しい大学、カリスマ運動的教会、聖霊降臨運動的な教会、また正統と常なる教導職とに対立する全てに対応している。
この改革は、自由主義と近代主義とに由来するが故に、その全てに毒が含まれている。これは異端から生み出され異端へと辿り着く。良心的で忠実な全てのカトリック信者にとってこの改革を受け入れ、なにがしらであれそれに従うことは出来ない。
私たちの霊魂の救いのために、教会とカトリックの教えとに忠実である唯一の態度は、改革を受け入れることを断固として拒否することである。
それ故、いかなる反乱も、苦々しさも、憎悪もなく、私たちは常なる教導職の星の導きの元、司祭養成の事業を続ける。私たちは聖なるカトリック教会に、教皇様に、そして未来の世代に、これよりも偉大な奉仕をすることが出来ないと確信している。
それ故、聖伝の真理の光が永遠のローマの空を暗くしている暗闇を追い払う日を待ちながら、私たちは、永遠の教会によって過去信じられていたこと、信仰と道徳と礼拝、公教要理の教え、司祭の養成、教会の諸施設において実践されていたこと、公会議の近代主義の影響を受ける前に出版された本の中に法定化されたことを全て固く保持する。
天主の聖寵と、童貞聖マリア・聖ヨゼフ・聖ピオ十世の御助けによって、こうすることによって、私たちはローマ・カトリック教会に忠実であり、ペトロの全ての後継者に忠実に留まり、fideles dispensatores mysteriorum Domini Nostri Jesu Christi in Spiritu Santo(聖霊において私たちの主イエズス・キリストの玄義の忠実な奉仕者)となることができると確信している。アーメン。
大司教はこれを反抗の精神で書いたのではなく、むしろ王たるキリストのために戦いたいと願うすべての人々のための叫びとして書いたのです。私はこれと同じ宣言を、王たるキリストのために戦うという私の戦いの叫びとして捧げます。
この書簡を締めくくるにあたり、私は、イエズス・キリストへの私たちの焦点を新たにします。教会はイエズス・キリストのものであり、ミサはイエズス・キリストのものであり、イエズス・キリストは私たちの霊魂の救いのために、御父にご自身をただ一度だけ捧げられました。私たちは、イエズス・キリストに対する私たちの焦点をぼかそうとするいかなる企てにも抵抗し、その代わりに、聖職者、修道者、信徒を含むすべての教会を、「パンを裂くことによって」イエズス・キリストをより深く知ることができるように引き寄せましょう。そして、イエズス・キリストが、すべての人の救い主であり主であることをこの世に宣教しましょう。
また、私の同僚の司教たちに対して、聖ヨハネ・パウロ二世の言葉を引用します。「私たちは、いかなる犠牲を払っても、たとえ再び十二人になってしまったとしても、真理を守らなければなりません」。
全能の天主が皆さまを祝福してくださり、私たちの聖なる無原罪の母が皆さまを守ってくださり、その天主なる御子、私たちの主イエズス・キリストのもとへといつも導いてくださいますように。
ジョゼフ・E・ストリックランド司教
名誉司教
【編集部注】この手紙の発表後、ストリックランド司教はX(旧ツイッター)に以下の投稿を行った。
階段についての先日の手紙についてですが、橋は永遠に生き続けるものではなく、安全な場所への通路を提供するものだと申し上げたいと思います。例えば、教会という階段や橋は、私たちがしっかりとそこに留まっていれば天国へと導いてくれるのです。
例えば、「教会の猿まねをする者」が板を引き剥がし、その場所に人工物を敷き詰めようとしているような場合、安全な通路を保証するために橋が渡されます。SSPX(聖ピオ十世会)は、今まさにその役割を果たしている場所の一つです。もちろん、私は、SSPXの教会とかその他の教会を擁護するのではなく、キリストが創立された、一、聖、公(カトリック)、使徒継承の教会を擁護しているだけです。ルフェーブル大司教もそうでした。彼はただ、安全な通行のための橋を提供しただけなのです。
―J・ストリックランド司教 (@BishStrickland) 2024年12月15日
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