愛徳に満ちていた聖母の汚れなき御心

ソース: FSSPX Japan

2025年3月1日 トマス小野田圭志神父説教 聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は3月1日、3月の始めの、最初の土曜日、初土曜日です。
今日このミサの後に、初土の信心を一緒に行いましょう。
御聖体降福式の中で、初土の信心を行いましょう。
また、3月は聖ヨゼフに捧げられた月ですから、聖ヨゼフに対するノベナもお捧げ致しましょう。

今日、マリア様の汚れなき御心の中に満たされていた、聖母のお持ちになっていた天主に対する愛、愛徳について一緒に黙想することを提案します。
マリア様が汚れなき御心をお持ちになっていたのは、聖霊の愛に満たされて、聖霊の与える聖寵に満たされていて、最初の御受胎の瞬間から罪の汚れなく、そして天主の愛に満たされていました。
この天主の愛というのは、超自然の御恵みで、成聖の聖寵と固く結ばれていて関係があります。
この天主の聖寵によって、私たちは、主を直接に愛することができるようになり、そして、天主を愛するがために、隣人をも愛することができるようになります。
しかし、もしも罪を犯してしまうと、大罪を犯してしまうと、私たちはこの成聖の恩寵を失ってしまいます。

マリア様においては、罪の汚れ、罪の影、罪のほんのちょっとした不完全さえもなかったので、マリア様は、聖寵の満ち満ちを受けておられました。
ですから、マリア様においてこそ私たちは、非常に寛容であって、そして慈悲に富むと言わなければなりません。
「寛容である」というのは、聖トマス・アクイナスの説明によると、「悪を忍耐強く耐え忍ぶこと」であると言います。
そして「慈悲に富む」というのは、「マリア様は非常に優しい方であって、ご親切な方であって、そして、善を行うのに非常に繊細に心強く、そして力強い方である」という意味です。

特にマリア様が、悪を、十字架を、苦しみを忍耐強く耐え忍び、また非常に親切で優しく、善を行うのに力強かったということについては、御生涯においてよく表わされています。
たとえば、マリア様が御告げを受けたその瞬間、聖エリザベト、自分の親戚が、老人が身ごもっているということを知って、すぐに駆け付けてお手伝いをしようとされました。
あるいは、12歳の頃のイエズス様が迷子になった時に、三日間一生懸命探して、ようやくエルサレムの神殿に見出した時に、マリア様は非常に優しく、「我が子よ、なぜおまえは私たちにこんなことをしたのですか? あなたのお父さんと私は、これほど心配したのですよ」と、非常に優しく質問されました。
イエズス様の十字架の足下で、マリア様は、どれほど苦しみを耐え忍ばれたことでしょうか。

マリア様の御生涯を見ると、特に天主に対する愛に燃えていたことがわかります。
この「天主の愛」というのは、「愛によるがために、天主のおっしゃることをすべて信じる」ということです。
マリア様は、御告げの時にもそうでした。「主の仰せのごとく我になれかし」
また、聖エリザベトもマリア様の信仰をたたえています。「主の御言葉を信じた者は幸いである」
マリア様は、天主の御言葉をすべて信じたのみならず、主のすべてを希望しました。
そして特に、イエズス・キリストの復活を希望して待っていました。
そして、そのためにすべてを耐え忍びました。
マリア様は、愛に満ちておられた方だったので、非常に寛容で、そして慈悲に富み、憐れみに富み、すべてを信じ、すべてを希望し、すべてを耐え忍ぶ方でした。
まさに聖母にこそ聖パウロのこの言葉が当てはまります。「愛は寛容で、愛は慈悲に富む。愛は妬まず、誇らず、たかぶらない。非礼をせず、自分の利を求めず、いきどおらず、悪を気にせず、不正を喜ばず、真理をよろこび、すべてをゆるし、すべてを信じ、すべてを希望し、すべてを耐えしのぶ。」

マリア様の汚れなき御心を賛美しながら、このミサをお捧げ致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。