2026年7月1日の司教聖別はなぜ正当化されるのか?

ソース: FSSPX Japan

それを「第二次生き残り作戦」(Operation Survival 2)と呼ぶ人々もいます。1988年にマルセル・ルフェーブル大司教が決断した司教叙階に続き、2026年7月1日、聖ピオ十世会のために四人の新しい司教が叙階されます。以下は、聖ピオ十世会のパトリック・トロアデック神父が執筆した解説です。


2026年7月1日の四人の司教聖別の発表により、聖ピオ十世会の歴史は新たな段階を迎えました。

1988年、ルフェーブル大司教は、公会議後の改革がもたらした壊滅的な影響、聖ピオ十世会の発展、そして自身の高齢を理由に、先祖伝来の信仰を守ることを切望する霊魂たちが、世界中で求めている司祭を得られるよう、後継者を指名することが賢明であると判断しました。大司教は当時、自らが聖別しようとする司教たちが、いつの日か、霊魂の救いのために聖伝を維持することの重要性を認める教皇に、その司教職を委ねる日が来ることを確信していました。

残念ながら、それから40年後も、カトリック教会の当局は、1970年代から見られるようになった教会の空洞化にもかかわらず、いかなる犠牲を払ってでも第二バチカン公会議と新しいミサを救おうとし続けています。

今日、幼児洗礼の数は激減している一方で、多くのティーンエイジャーや成人が洗礼を求めているのは事実ですが、その数は洗礼を受けていない者の数に比べれば極めてわずかです。

さらに、否定できない一つの事実があります。多くの改宗者は、この世の精神と妥協しない、総合的なカトリック教育を求めているということです。彼らは、信仰の真理を最小限に抑え、曖昧な儀式を提供するような「水で薄められた宗教」では満足できません。ある若手の教区司祭は最近、私にこう語りました。「私の小教区では、教区民たちは大罪という概念を見失ってしまいました。厳格さを切望しているのは若者だけです」。

このことは、聖ピオ十世会が、いかにその「存在理由」(raison d'être)を保ち続けているかを示しています。聖ピオ十世会は、迷える霊魂たちのための灯台であり、また、教会の聖伝から離れてしまった人々は、聖ピオ十世会によって、自分たちがかつて実践していたことと、その後に自分たちが適用して実践していることとの間の隔たりを測ることができるようにもなっています。

公会議の弱点に対するこうした認識があったからこそ、フィリピンのサンフェルナンド・デ・ラ・ウニオン教区の名誉司教であったサルバドール・ラゾ司教(2000年没)は、1995年に自身の叙階当時のミサを再発見し、ファティマの御出現80周年の際に聖ピオ十世会の司教たちに合流することができたのです。また、クール教区の名誉司教であったヴィトゥス・フオンダー司教(2024年没)も、最期の日々を聖ピオ十世会の修道院で過ごすことを希望しました。したがって、聖ピオ十世会の使命は、その信徒だけに限定されるものではありません。教会内において、より広い行動範囲を持っています。聖ピオ十世会は、教会当局がいつの日か、聖伝の恩恵と新しい公会議の実践の欠陥を認めるようになるように絶えず祈っています。

それまでの間、聖ピオ十世会が活動を継続していくためには、新たな司教たちが必要です。聖ピオ十世会の会員と信念を共有しない人々であっても、これらの司教を非合法であるとか、さらには制裁の対象であると拙速に判断してしまう前に、少なくとも聖ピオ十世会の長上たちを突き動かしている動機を認めるべきでしょう。安易に離教だと叫んだり、彼らを排斥したりする前にです。

ローマ・カトリック教会に奉仕することを唯一の目的とする聖ピオ十世会が、全時代の信仰と実践を告白しているにもかかわらず教会の外にあると見なされる一方で、第二バチカン公会議以前の歴代教皇によって幾度も排斥されてきた現代の誤謬を広める人々が、依然としてカトリックであると見なされ続けていること、これは一つのパラドックスです。

善意の人々の理解を助けるため、この記事では、聖ピオ十世会が7月1日の司教聖別を正当化する根拠について解説します。

聖ピオ十世会の目的

教会の精神に養われた聖ピオ十世会には、天主の栄光を除けば、ただ一つの目的しかありません。それは霊魂の救いです。創立以来、聖ピオ十世会は、教会が20世紀にわたって用いてきた聖伝による方法、すなわち聖伝のカテキズム教育、公会議の革新以前に有効であった儀式による秘跡の執行、そして霊魂の霊的指導を通じて、霊魂を聖化してきました。聖ピオ十世会はこの責務を、世界中に存在する司祭たちを通じて遂行しています。聖ピオ十世会の定義された特徴は、司祭職とそれを取り巻くすべてです。したがって、司祭の養成は聖ピオ十世会にとって二次的なものではなく、本質的なものです。聖ピオ十世会の会憲にもそのことが明記されています。養成を終えれば、神学生は司祭叙階を受けます。そして、司祭を叙階するには司教が必要です。現在、聖ピオ十世会には世界中に広がる広大な使徒職をカバーするために、わずか二人の司教しか残っておらず、彼らも70歳に近づいています。

神学校にいる何百人もの神学生が司祭に叙階され、信徒が堅振の秘跡を受けられるようにするためには、司教の後継者を確保することが急務となりました。したがって、2026年2月にフラヴィニーで総長が7月1日に聖別式を行うと発表した際、聖ピオ十世会の司祭たちや信徒たちは驚きませんでした。むしろ彼らは喜びました。実際、聖ピオ十世会の観点からは、教会における第一の法が霊魂の救いである以上、霊魂のために善を行っていると考えれば、これらの聖別は十分に正当化されるからです。

聖ピオ十世会:教会のわざ

聖ピオ十世会が今日の教会においてどのような立場にあるかを理解するためには、その歴史について少し知る必要があります。

第一に強調すべきなのは、聖ピオ十世会が前例のない宗教的危機をいう状況の中で創立されたとはいえ、ローマに反対する状態で誕生したわけではないということです。

この危機には、遠くさかのぼる原因とごく最近の原因の両方があります。プロテスタントの出現以来、誤った原則が世俗社会、さらには教会自体にまで、徐々に浸透してきました。歴代の教皇たちは、これらの誤謬を繰り返し糾弾してきました。すなわち、自然主義(超自然的な秩序の拒絶、原罪の否定、自然の賛美)、自由主義(誤った自由の概念に基づいた過度な独立の追求)、近代主義(教会と現代思想との妥協の模索)、そしてエキュメニズム(完全な信仰告白を犠牲にした、カトリック教会と他のキリスト教諸派との接近)です。

しかし、第二バチカン公会議の時までに、これらの誤謬は多くの聖職者の心に深く根を下ろしているため、最終的には公会議の文書の一部にまで染み出していきました。そして公会議後、近年の教皇たちが示したガイドラインは、教会の指導者たちが他宗教の信者とのより緊密な結びつきや、この世との調和を過度に望むことにより、その教えを希薄化させる結果を招きました。

アジョルナメント(現代化)という口実のもとに、教会内のあらゆるレベルで真の革命が起こりました。神学校やさまざまな修道会がその影響を受けたのです。

「誰によって私は排斥されるのか、なぜ排斥されるのか?」

神学校での腐敗した教えに耐えられなくなった神学生たちは、どうすれば聖伝による教育を受けられるのだろうかと考えました。彼らはルフェーブル大司教のもとに行き、自分たちの世話をしてほしいと懇願しました。

いかなる制約も受けていなかったルフェーブル大司教は、司祭を養成し、聖職者を聖化することを目的とした司祭兄弟会の創立を検討しました。当時の教会当局の許可を得て、彼は聖ピオ十世会とエコンの神学校を創立しました。叙階された最初の司祭たちは、すぐにフランスで働きました。これに懸念を抱いたフランスの司教たちは、ローマに不満を訴えました。

1974年11月、二人の使徒的使節であるアルベール・デカン司教とギヨーム・オンクラン司教がローマからエコンを訪れ、そこでなされている教えが正統であるかを確認するために三日間滞在しました。神学生たちの前で、この二人のベルギー人高位聖職者は、既婚者の叙階は不可避的に起こるだろうこと、教会だけが真理を所有しているわけではないこと、そして主の復活は確実なことではないことなどを主張しました。[1]

憤慨したルフェーブル大司教は、1974年11月21日の有名な宣言を作成しました。「私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに…よりすがる。私たちは、第二バチカン公会議と、それに由来して公会議後のあらゆる改革において明らかに現れた、新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否する」。

その後、見せかけの裁判が行われ、1975年から1976年にかけて神学校と聖ピオ十世会の閉鎖が要求されました。ルフェーブル大司教はこう反論しました。「私は誰によって排斥され、なぜ排斥されるのでしょうか? 私は現代の誤謬を拒絶し、聖伝を固守しているがゆえに排斥されています。かつての教皇たちは私が聖伝を守っていたがために私を励まし祝福をもたらしたものでした。これでは筋が通りません」。[2]

10年後、自らの最期が近づいていることを感じ、教会の危機の終わりが見えない中で、世界中での聖ピオ十世会の発展を考慮して、ルフェーブル大司教は、聖伝の存続を確実にするために司教を聖別することが適切かどうかを自問しました。この二つの要因(悪化の一途をたどる教会の危機と自らの死の予感)の重なりが、大司教にこの決断を促しました。その後、二つの出来事が大司教の決断を確信させました。一つは、1986年10月に教皇ヨハネ・パウロ二世がさまざまな宗教の代表者を集めて平和のために祈った、つまずきを与えるアッシジの集いです。もう一つは、ルフェーブル大司教が公会議の誤謬の根源であると考えた信教の自由に関して表明したドゥビア(疑問)に対するローマからの回答でした。

この元ダカール大司教(ルフェーブル大司教)は、1988年6月30日に予定されていた司教聖別の唯一の目的は聖職位の権能を伝達することであり、裁治権の権能は教皇のみによって伝えられるものであることを明確にしました。

現在の状況

現代の誤謬が教会内に浸透したことが、ルフェーブル大司教をして、善意の人々が教会の不変の教えに忠実な司祭による役務の恩恵を受けられるよう、司教聖別させたのです。しかし今日、これらの誤謬は依然として教会内に存在しているのでしょうか。それとも、過去40年間で、聖伝へ立ち戻る兆しはあったのでしょうか。

残念ながら、今日のローマにおいても、第二バチカン公会議が依然として疑いようのない権威であり続けていることを認めざるを得ません。教皇レオ十四世は、2026年1月7日の一般謁見の講話で、第二バチカン公会議のテキストの再読に触れ、これを明確に肯定しました。この公会議は「今日においても教会の進路を導く灯台であり続ける教導権」であるというのです。このように、現在でも、公会議がもたらした苦い果実にもかかわらず、ローマは依然としてそれを自らの歩みを導く羅針盤であると考えています。

聖伝のミサの挙行に関しては、教皇ベネディクト十六世が2007年7月7日の自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)によって、司祭がいわゆる聖ピオ五世の典礼を使用する可能性を広げたとき、私たちは歓喜しました。残念ながら、この開放は短命に終わりました。教皇フランシスコが2021年の自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)によって、それに終止符を打ったからです。

そして今年初め、典礼秘跡省長官のロッシュ枢機卿は、教皇レオ十四世によって招集された枢機卿会議の出席者たちにこう書き送りました。「1962年の典礼書の使用は、ヨハネ・パウロ二世からフランシスコに至るまで、あくまで譲歩であり、その促進を意図したものでは決してありませんでした」。そして、パウロ六世とヨハネ・パウロ二世に由来する典礼書こそが「ローマ儀礼の『祈りの法』(lex orandi)の唯一の表現」を構成するものである、としたのです。したがって、トリエント・ミサの挙行は、今日では単に与えられたり取り消されたりし得る恩恵に過ぎなくなっています。

このように、教会の公式当局がいまだに現代の誤謬に染まっている以上、聖ピオ十世会は、より多くの霊魂が聖伝の宝の恩恵を受けられるようにするために、かつてないほど必要とされています。また、世界的な拡大を考えると、70歳近い二人の司教だけでは、もはや全ての信徒と神学生の期待に応えるには不十分です。

ローマの認可なき聖別

ルフェーブル大司教の歩みに忠実に、聖ピオ十世会の総長パリャラーニ神父は、教皇に面会し、直面しているジレンマを説明し、聖伝のわざを永続させるために聖ピオ十世会が新しい司教を求める理由を概説したいと願いました。2025年8月と11月の書簡が無回答であったため、総長は2月2日、7月1日に司教聖別を執り行うことを発表せざるを得ませんでした。するとローマは迅速に謁見を許可しました。総長は2026年2月12日、教理省長官のフェルナンデス枢機卿と面会しました。

この対話の詳細には立ち入りませんが、聖ピオ十世会は、2009年から2017年まで行われたローマとの教理的議論を継続することに反対していない、という点を思い起こす価値があります。しかしながら、ローマの期待に応えられなかった場合に「ダモクレスの剣」が頭上にぶら下がっているような不快な感覚の中で、今急いで行動したくはありません。さらに、現在霊魂の善に重大な害を及ぼしている誤謬を非難することをやめさせるような、曖昧な文書に署名することも望んでいません。

さらに、教理的前文の起草は当然、聖ピオ十世会にとっての法的構造の創設へと至り、聖ピオ十世会を既存の宗教当局の権威の下に置くことになります。しかし、聖ピオ十世会とローマとの間の根本的な問題が解決されない限り、それは不可能に見えます。フェレー司教が2017年にヴィルプル(Villepreux)で語った通りです。「私たちを逸脱だと警告しようと決意している権威の下に、自らを置くことが可能でしょうか。想像してみてください。人間的に言えば、それは耐え難いことです」。

例外的な措置

例外的な状況には、例外的な措置が必要です。教皇の委任なしに行われる7月1日の聖別は、教会が直面している前例のない危機に関連した例外的な措置です。ローマが、第二バチカン公会議が教会を信仰において強化するどころか、むしろ教会の教えを弱体化させ、緩やかではあるが避けられない崩壊を招いたのだということを、ついに認める日が来るでしょう。2011年9月にフェレー司教が適切に述べたように、聖ピオ十世会とローマとの間に意見の不一致があるのは事実ですが、問題は私たちに起因するのではありません。

現代の誤謬に関する教皇の回勅を読めば、1988年になされるべきだった選択は、当時の教皇ヨハネ・パウロ二世かルフェーブル大司教かという二択ではなく、最近の教皇たちか、あるいはそれ以前の教皇たちかという選択であったことが理解できます。なぜなら、信仰に触れる問題において、両者の間には深い対立があったからです。

残念ながら、今日の当局の大部分は、いまだにこれらの同じ誤謬に執着しています。例えば、教皇フランシスコは2019年2月4日にアブダビで、「宗教の多様性は天主の知恵による意志である」と宣言しました。つい最近も、ローマは「共贖者」(Co-Redemptrix)という用語を、「共同受難」(Compassion)の聖母を指す公的な言葉として使用しないよう要求しました。この用語は理解しにくいという口実で、語彙から排除しようとしているのです。さらに、ローマはシノドスの教会の夢を見続けています。それは、信仰を教える役割を犠牲にして、人々の声を聞くことを求める教会です。

したがって、私たちはこう認めざるを得ません。「真理の中に留まり、真理を宣教し続け、真理に奉仕し続ける保証を見いだせるのは、全時代の教会とその不変の聖伝においてのみである」。

「(聖ピオ十世)会は何よりもまず自らの生き残りを求めているのではない。聖ピオ十世会は主に普遍教会の善を求めており、その理由により、唯一無二の自由と強さをもって、かつてない悲劇的な時代の特定の必要性に適切に応える、卓越した教会のわざなのである」。

この唯一の目的は、50年前と同様、今日の私たちの目的であり続けています。「それゆえ、いかなる反乱も苦々しさも憎悪もなく、私たちは常なる教導権の星の導きの下、司祭養成の事業を続ける。私たちは、聖なるカトリック教会に、教皇様に、そして未来の世代に、これより偉大な奉仕をすることができないと確信している(ルフェーブル大司教、1974年11月21日の宣言)」。[3]

進行中の教会の危機の中で、聖伝をその存続の手段とともに提供することで、聖ピオ十世会は自らの生き残りを確実なものにします。聖ピオ十世会は、ローマが信仰全体を伝えるという自らの使命を早期に再発見するよう祈っています。その時、ローマは、カトリック教会の生きた枝であることを唯一の熱望とする聖ピオ十世会の司祭たちと信徒たちに、天主が55年間にわたって授けてこられた特別な恩寵を享受することができるでしょう。

注釈

[1] 「否、しかしカトリック教会とローマ教会に対しては然り」(No: mais oui à l'Église catholique et romaine)、ジョゼ・アニュによるルフェーブル大司教へのインタビュー、ストック出版、1977年、206頁。

[2] ベルナール・ティシエ・ド・マルレ司教、「ルフェーブル大司教、その生涯」(Mgr Lefebvre, une vie)、クロヴィス出版、2002年、508-514頁。

[3] パリャラーニ神父、2024年11月21日。

(出典:「ル・ファール・ブルトン(Le Phare breton)」第41号、2026年5-6月号 – FSSPXニュース)