2025年の諸聖人の祝日の説教(大阪)
山上の教え
2025年の諸聖人の祝日の説教(大阪)
2025年11月1日 イヴォン・フィルベン神父
2025年の諸聖人の祝日の説教(大阪)
親愛なる信者の皆さま、諸聖人の祝日おめでとうございます! 今日私たちは、天国の聖人たち、つまり死んだ後天国に行ったため、永遠の幸福を享受している人々の霊魂を黙想しています。諸聖人は、死んだ後すぐに、あるいは煉獄での清めの期間の後で天国に行きました。選ばれた人々の喜びを黙想するのですから、天国に行くということ、これこそが私たちの存在の目的であることを忘れてはなりません。しかし、私たちはどうすれば天国に行けるのでしょうか。そのためには、今日の主日の福音に示されている、私たちの主の教えが必要です。
1)二つの山
まず、今日のミサの福音に戻りましょう。それは、こう始まります。「そのとき、イエズスは、群衆を見て、山に登られた」。この引用文の意味を理解しなければなりません。つまり、イエズスが登られる山は旧約のシナイ山を指しており、そこではかつて、同様の場面がありました。出エジプト記で、モーゼが山に登って十戒を受け、その後、それを宣言します。十戒は、自然法、つまり洗礼を受けていない人であっても、地上にいるすべての人間に適用される法であり、殺すな、嘘をつくなといった、その法を守ることは文明生活に必要なことです。この自然法は、旧約で言葉に表されたものですが、すべての人間の心に存在していて、善いものであり、正しいものであり、真実のものです。
その通りなのですが、しかし、それだけでは不十分です。自然法は、この世で人間生活を送ることができるようにする法であり、天国に行くために不可欠ではあるものの、十分ではありません。善い人であり正直な人であることは、天国に行くには十分ではなく、聖霊の恩寵である新しい法が必要です。このため、新約において、イエズス・キリストが再び山に登られ、新しい教えを提示されますが、それは旧約の自然法に反するものではなく、それをはるかに超えるものなのです。このようにしてイエズスは、真の宗教、すなわち人間が天国に行ける唯一の宗教であるカトリックという宗教を創立されます。山上の教えを通して、イエズスは私たちに天国に行く方法を示されます。聖人たちは、この教えを実践することで天国に到達しました。では、イエズス・キリストが至福八端によって教えられた天国への道を説明しましょう。
2)段階的な教え
イエズス・キリストは、至福八端を通して天国に到達する方法を説明しておられますが、これは、段階的な過程です。「八」は、永遠を表す象徴的な数字です。聖書では、「七」という数字は、天主の七日間での創造を表します。そして、「七」という数字に「一」という数字を加えると、それによって私たちは、天主の創造を超えて永遠の命と天主ご自身にまで至ることを示します。ですから、イエズスは私たちに、この最初の山上の教えを通して、永遠の命に至る方法について、明確に語っておられるのです。
最初の三つの至福は、心の貧しい人、柔和な人、悲しむ人は幸いであると宣言しています。これは、天国への第一段階である、天国に到達するために必要な清めを表しています。そのためには、心の貧しい人の至福である、所有欲と戦うことが必要です。また、柔和な人の至福である、暴力や不正を捨てることが必要です。そして、悲しむ人の至福である、不必要なこの世の感覚的な快楽を捨てることが必要です。
第二段階は、続く二つの至福であり、義に飢え渇く人は幸いである、あわれみ深い人は幸いである、というものです。ここではもう、自分を罪から清めることが問題ではなく、積極的に善を行うことが問題となります。これが、霊的生活の第二段階です。この善には、正義とあわれみの二種類があります。私たちは、行うべき善である正義を行わなければなりませんが、さらに進んで、自分の義務以上の赦しと愛を行わなければなりません。これらは、徳を進歩させるための二つの道です。
最後の段階は天主との合一の段階であり、これは、心の清さと平和という、霊魂が天主に近づくために不可欠な二つの状態を通ります。これによって、私たちは「天主を見る」ことができ、また「天主の子」となることができるのです。
最終的には、最後の至福がこの大建築物の頂点にやって来ます。それは、天主のために苦しみを受け入れることです。
親愛なる信者の皆さま、これが、今日私たちがお祝いしている聖人たちが歩んだ道です。まさにこの瞬間、聖人たちは、私たちも同じ道を歩み、彼らが今持っている同じ幸福を得ることができるようにと、祈ってくれています。煉獄の霊魂たちは、天国に入る瞬間を待ち望んでいます。私たちも、この同じ至福の道を歩みたいという望みを、この同じ天国への望みを、私たち自身のため、そして他人のためにも、持たなければならないのです。
すると、私たちには次の疑問が浮かんできます。私たちは天国への道を知ってはいますが、果たしてその道を歩んでいるでしょうか。至福八端の道に戻って、私たちがどの段階にいるのか、そしてどの新しい段階に進む必要があるのかを自問してみましょう。