聖体の模範:謙遜・従順・忍耐・寛大な愛徳
2026年6月7日 御聖体の荘厳祭
トマス 小野田圭志神父 説教 聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)聖フランシスコ・ザベリオ巡回聖堂(名古屋)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は御聖体の荘厳祭を行っています。初聖体を受ける小さなお友だちと一緒に、御聖体とはいったい何か、私たちにどのような意味があり、何を教えてくださっているのか、カトリックの信仰に基づいてもう一度確認し、黙想しましょう。そして、最後に遷善の決心を立てることにしましょう。
【1:御聖体とは何か】
御聖体とは、私たちの主イエズス・キリストの真の御体です。これが、カトリック教会が2000年間、東方も西方も常に固く信じ続けてきた信仰です。この全宇宙を創造された天主は、私たちの霊魂を救うために、十字架の犠牲を通して私たちを天国へ導こうとされました。そのためにこそ、天主は人間となられました。それだけではありません。宇宙の創造主にして王の王である全能の天主は、私たちに御自分を与え尽くそうと思われ、パンとなられたのです。
カトリック教会には秘跡が七つあります。御聖体以外の六つの秘跡では、私たちに豊かな「聖寵」が与えられます。特別なお恵みです。しかし、御聖体は、ただ単にイエズス・キリストの聖寵・お恵みを私たちに与えるだけではありません。「聖寵の造り主、聖性の聖徳の造り主である天主御自身」が私たちに与えられるのです。私たちは御聖体を受ける時に、主の御体・御血・御霊魂・御神性をすべて拝領することになります。
愛する兄弟姉妹の皆様、御聖体とは単に「聖なる物」ではありません。つまり、カリスや教会、聖遺物のような意味で聖なるものではないということです。何故かというと、御聖体とは、生きている天主御自身であるからです。マリア様からお生まれになり、復活して昇天され、天の最も高いところに、天主御父の右に座し、最高の権威と権力を持って私たちを統治しておられるイエズス・キリスト、永遠に生きておられる全能の天主御自身だからです。
ミサ聖祭では、叙階されたカトリック司祭が、聖変化を起こすという意向をもって(単なる、昔イエズス様がこうされたという叙述だけではなく)聖変化の言葉を唱えるとき、パンと葡萄酒は全実体変化を起こします。つまり、パンと葡萄酒の実体は消えて無くなり、真の天主にして真の人である私たちの主イエズス・キリストが、真に・現実・実体的に、パンと葡萄酒という目に見える外観(可感覚的な形色)のもとに現存するようになるということです。すなわち、イエズス様がパンと葡萄酒の中におられるのではありません。パンと葡萄酒はもう無くなってしまうのです。それがカトリック信仰です。目にはパンのように見え、葡萄酒のように思われるのですが、パンでも葡萄酒でもありません。トリエント公会議において「真に、現実に、実体的にイエズス・キリストがそこにおられる」と定義されているように、その実体はイエズス・キリスト御自身であり、イエズス・キリストの真の御体、御血がそこにましますのです。
私たちの救い主イエズス・キリストは、天において常に御父の右に座しておられると同時に、世界中の御聖櫃において、御聖体において、御自分の実体によって秘跡的に現存されています。そうして、世の終わりまで私たちに寄り添い、付き添ってくださるのです。天主が私たちの方に近づいて、私たちの方へと身をかがめてくださり、愛を込めてこんなにも小さなパンの姿をとられ、私たちの友として、慰め主として、医者として、糧として、御自分を全く与え尽くしてくださっています。主は、私たち人間に対する溢れるばかりの天主の愛のしるしとして、私たちと共にこの世の終わりまで常にとどまることができるように、この御聖体の秘跡を制定してくださいました。
言い換えると、御聖体とは、私たちに御自身を全て与え尽くす、天主の愛の秘跡です。御聖体、そして御聖体をつくるミサ聖祭とは、人類が今まで経験したことのない、人類の歴史でかつてなかったほどに最大な愛の御業です。イエズス様はこう言われました。
「友人のために命をあたえる以上の大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)
真の天主は、被造物である私たちを友人だと思っておられます。御聖体は、イエズス・キリストの天主御父への愛と、私たちへの愛の実現です。今日の福音にあるように、主はこのように言われます。
「私を食べる人は、私によって生きる。」(ヨハネ6:58)
私たちは、イエズス・キリストの御体によって養われ、強められます。この秘跡によって、私たちの毎日の過失や罪を予防する薬となります。また同時に、私たちの未来の栄光の、永遠の幸福の保証となることをお望みになりました。今日の福音で読んだ通りです。
「私を食べる者は、死んでも生きる。」(ヨハネ6:50−51)
それと同時に、御聖体は、聖にして、聖にして、聖なる生ける天主御自身ですから、御聖体を拝領するためには、最上の、最善の準備を尽くしてこの秘跡に近づくようにしなければなりません。今日の書簡で、聖パウロはこう言っています。
「主の体をわきまえずに飲食する者は、自分自身への裁きを飲食する者である。」(1コリント11:29)
つまり、大罪の状態では御聖体を拝領することはできないということです。
御聖体は、カトリック教会の最高の宝です。教会が持つ七つの秘跡の頂点に立つ、最高の秘跡です。この御聖体のために、祭壇とカトリック教会の建物は建てられ、ミサ聖祭が捧げられています。
【2:私たちに教えている模範】
では、御聖体は私たちに何を教え、私たちの生活にどのような関係があるのでしょうか? イエズス様はこう言われました。
「私は世の光である。私にしたがう人はやみの中を歩かず、命の光をもつであろう」(ヨハネ8:12)
「私は、道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)
「私は、心の柔和な、謙遜な者であるから、私のくびきをとってならいなさい。」(マテオ11:29)
「私がしたとおりあなたたちもするようにと、私は模範を示した。」(ヨハネ13:15)
イエズス様は、この地上で御生活をされた間、多くの模範を示されました。しかし御聖体においても、世の終わりに至るまで、人となられた御言葉の地上での御生涯を継続されます。主は御聖体によって、天主御父への愛と隣人への愛を、また、御謙遜・従順・忍耐・寛大な愛徳など様々な聖徳をも実践され、私たちに模範を示しておられるのです。少し垣間見てみましょう。
謙遜:
卑しいパンの状態で、貧しい御聖櫃の中にとどまっておられるのは、いったい誰でしょうか? その御方は、全能の天主にして同時に人なる尊き救い主イエズス・キリストです。王の王、大宮殿に住まわれる天のいと高き御方が、パンの姿をとっておられるのです。なんという御謙遜、なんという清貧の精神でしょうか!
従順:
イエズス様は天地の支配者、万物の創造主です。その御方が、単なる一司祭の聖変化の言葉に服従し「ちょっと待って」とは言わずに「はい」と、すぐさま天から祭壇の上に降りてこられるのです。また、主は司祭に運ばれるがままどこへでも行かれます。さらに、御聖体を拝領する者の祈りに応えて、御自分を与え尽くされます。なんという従順、なんという完璧な服従でしょうか!
忍耐:
序誦を見てください。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と、天使たちが絶えず賛美してお仕え申し上げ、ケルビム(智天使)もセラフィム(熾天使)も、座天使も主天使も恐れおののくほどに御稜威(みいつ)尊き全能の天主は、御聖体において、不敬や冒瀆(ぼうとく)、侮辱を日々受けておられます。しかしながら、主はこれらを黙ってお忍びになっておられます。どれほどの暴行や冒涜が御聖体に対してなされたとしても、主はそれを耐え忍んでおられるのです。なんという御忍耐でしょうか!
寛大さ:
イエズス様は、誰にも何ものにも負うところのない天主であり、しかも、地上ですべての御業を果たされ、天主御父の御旨を完璧に果たされました。それにもかかわらず、まるで御自分はまだ何もしていなかったとおっしゃるかのように、求める人々にはすべて応え、いつもいつまでも常に御聖体とお恵みとを波のように、溢れるように私たちにくださっています。足りないか足りないかと言うようにお恵みにお恵みをお重ねになっておられます。なんという寛大さ、御憐れみでしょうか!
このように、主は御聖体の秘跡を通して、かつて地上で人々にお与えになったみ教えと模範とを世の終わりまで続け、私たちに見せてくださっているのです。しかも、憐れみ深い天主は、このような貴重な模範を御聖体でお示しになっただけではありません。その模範を私たちがまねすることができるよう、私たちの力を養うために御聖体を与えてくださいます。御聖体拝領で、全能の天主は私たちの霊魂の中におくだりになり、私たちと一致して、その全能の力をもって私たちを助け、主の徳を私たちが実践するようにさせてくださいます。私たちを養ってくださるのです。私たちが準備をして良い御聖体拝領をすればするほど、主は徳の実行に必要なすべてのお恵みを必ず、そして絶えず私たちに与えてくださいます。私たちは、このように寛大で憐れみ深い天主にどれほど感謝し、また御聖体を賛美しなければならないことでしょうか!
ところで、日本には、御聖体を賛美する聖なる伝統がキリシタン時代からありました。「御聖体の組」と言われる信心兄弟会(コンフラテルニタス)のモットーはこの言葉でした。
“ Lovvad seia o sãntissimo sacramento ”
「至聖なる御聖体は讃美せられさせ給え!」
私たちの先祖のキリシタンたちが、口癖のように口にしていた言葉です。多くの殉教者が、この言葉を叫びながら殉教していきました。御聖体への愛を示しながら命を捧げていきました。これが大和魂です。
【遷善の決心】
では、最後に遷善の決心を立てましょう。
初聖体を受ける小さなお友だち、
イエズス様の清貧・単純さ・従順を一緒に黙想してならいましょう。イエズス様は簡単なパンの外見のもと、私たちのうちにとどまってくださいます。私たちにとって大切なのは外見ではありません。私たちの愛です。もしも、小さなお友だちの周りのお友だちたちが、たとえば流行のお洋服を追いかけていたとしても、私たちはそれをまねする必要はありません。イエズス様が一番お気に入りの、ひかえめでつつしみ深い、謙遜で単純な外見と服装を保ちましょう。お化粧や香水をふりまく必要もありません。イエズス様にとって、私たちの心の愛が一番大切なお化粧であり、香水です。
また、イエズス様の従順もご覧になってください。イエズス様は、神父様が運ぶところはどこでも素直に運ばれます。ですからお友だちも、お父さんやお母さんが「さあマリアちゃん、これをしてください」と言ったら「はいお父さん」「はいお母さん」と従順にしたがってください。先生が「今日はこの宿題をしてください」「この勉強をしてください」と言ったら「はい、先生。そうします」とおっしゃってください。イエズス様は、どれほどこのような従順を愛されることでしょうか!
イエズス様はどれほどのはずかしめや屈辱を、御聖体のうちに受けておられるでしょう? みんなから忘れられ、無視されています。それでもじっと忍耐して、私たちの愛と訪問、そして祈りを待っておられます。ですから、小さなお友だちも、たとえ他の人からいじわるや悪口を言われたとしても、悲しむ必要はありません。何故かというと、イエズス様が私たちを愛してくださっているからです。イエズス様に愛の言葉を捧げてください。イエズス様はそれを100倍にして小さなお友だちを慰めてくださることでしょう。そして、小さなお友だちのお友だちみんなを祝福してくださることでしょう。敵と友だちの区別なく、ご自分をすべてお与えになるイエズス様にならうようにいたしましょう。
愛する兄弟姉妹の皆様、
まず、カトリックの御聖体に対する信仰を新たにいたしましょう。私たちは、過去2000年間にわたり、教会が脈々と信じ、伝え続けてくれた、御聖体の秘跡に対する信仰と愛を確認しました。これにいつも結ばれて、一・聖・公・使徒継承のカトリック信仰を保ち続ける決心を新たに立てましょう。そして、私たちの主イエズス・キリストに対する大きな愛を、私たちの心に刻みつけましょう。御聖体を信じない人々、礼拝しない人々、希望しない人々、御聖体を愛さない人々、愛の秘跡を軽蔑するような人々、御聖体を粗末に乱暴に取り扱う人々に代わって、私たちは御聖体を信じ、礼拝し、希望し、お愛し申し上げましょう。これが私たちの遷善の決心です。
また第二に、御聖体の聖徳の模範を私たちがまねをすることができるように、その決心も立てましょう。私たちの信心を数百倍にして、御聖体のうちに真にましまし給う、私たちの主イエズス・キリストを礼拝いたしましょう。御聖体の貧しさ(清貧)、聖なる従順、忘れられ、はずかしめられ、あなどられ給うにもかかわらず、常に沈黙を守って忍耐され、友と敵の区別なく、すべての人々に御自分をお与えになる寛大さを、主の聖徳を私たちがまねることができますよう、祈り求めつつ御聖体拝領をしましょう。
もしも、私たちの周りの人々が最新の流行に走り、非常に慎みのない服を着ていたとしても、私たちは御聖体に倣い、慎み深く単純な服装を守りましょう。「なんだ、その服装は。おかしいじゃないか、古臭い」と言われたとしても、また「なんでおまえたちには子供がそんなに多いんだ」と馬鹿にされたとしても、私たちがカトリック信者であることを宣言することで、たとえ侮辱されたとしても、私たちは御聖体の忍耐を守り、イエズス様への愛をお捧げいたしましょう。また私たちの上長や上司、あるいは両親が私たちに何かを命じるときに、私たちはイエズス様の従順に倣い、愛を込めてそれに従いましょう。
そして、この日本にも多くの聖なる司祭たちが与えられるように祈りましょう。何故ならば、私たちが永遠の救霊に至るためには、どうしてもミサ聖祭と御聖体が必要であり、そのためにはミサを立てる聖伝のカトリック司祭が必要であるからです。御聖体にましますイエズス様の聖心に「ぜひ私たちに、多くの聖なるカトリック司祭を、日本の聖なる司祭を送ってください。私たちの中から、聖なるカトリック司祭を生み出してくださいますように!」とお祈りいたしましょう。
アルスの聖司祭や福者ジュリアン中浦に従う多くの聖なる司祭が、私たちに与えられますように。そして、日本のあらゆるところで、御聖体を愛し、尊敬し、賛美し、御聖体のために命を懸けるような、御聖体への愛に満ちた司祭によって聖伝のミサが捧げられ、日本の至るところが祝福されますように。そして、カトリック教会の聖なる願いと、聖伝と習慣に従い、天主様の御恵みで御聖体行列を行うことができますように。イエズス様が私たちの街を、私たちの道を御歩きになって、王として私たちを祝福し、守ってくださいますようにお祈りいたしましょう。
最後に、マリア様にお祈りいたしましょう。
現代、私たちが御聖体を頂き、礼拝することができるのは、かつてマリア様がお告げのときに「仰せのごとく我になれかし――“フィアット”」とおっしゃってくださったからです。そして、マリア様は、その御言葉によってイエズス様の御体を御自分の御胎内にお受けになった最初の方でした。ですから、マリア様は、私たちにどのようにして御聖体拝領をしたら良いかを教えてくださいます。マリア様こそ、その最初の模範であり、マリア様は御聖体が示すすべての聖徳――清貧・従順・謙遜・忍耐・寛大な愛徳・貞潔・天主に対する愛・隣人に対する愛に満ち、すべてをお持ちです。ですから、マリア様の御取り次ぎで、私たちがマリア様に倣い、良き御聖体拝領をさせて頂けますように。そして、御聖体を愛し、その模範に従うお恵みを乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。