友人と恩人の皆様への手紙 第62号
友人と恩人の皆様への手紙 第62号
2002年6月7日 メンツィンゲンにて
過去2年間に亘り、カトリックの聖伝はバチカンとの関係において多くの重要な出来事を見てきました。
2000年末にローマがまず最初に私たちに歩み寄ってきたので、今までの全ての問題が起こっている多くの反論や疑問に答える時がついにやってきたと思われました。しかしながら、もし私たちがこれらの疑問に取りかかろうとするとしても、これらが私たちの主要な関心事ではない、と言うことをも述べておきたいと思います。聖なる玄義を執行すること、皆様の霊魂にあふれるばかりの聖寵を与えること、多くのそして常に非常に感動的な回心の道具としてあることが私たちの生活の中心であり、これらの事実だけでも、私たちが本当にカトリック者であると言うことを示しています。それに引き替え、バチカンとの議論とか不一致とかと言うものは私たちがカトリックとして留まろうという意志の表明に過ぎません。
最近、ボンベイの神学校の多くの神学生が私たちに合流しました。彼らは7年間神学校で学びましたが、その間悪魔の存在は否定され、「地獄」という単語は一度も聞いたことがなく、「ミサのいけにえ」という言い方も同様にありませんでした。これらの神学生たちが私たちの元に来たことで、ボンベイの枢機卿は勿論私たちに対して大変怒り狂いました。アメリカでは私たちに合流する司祭たちや、私たちとますます密接な関係を持つようになった司祭たちがいます。そのうちの一人の司祭は私にこう言いました。
「私はあなたたち(聖ピオ十世会のこと)と一緒になってしまわないように為しうることは全てしました。(しかし結局は聖ピオ十世会と一緒でなければ聖伝は守って行くことが出来ないと言うことが分かりました。)」
これは雄弁な証言です。つまり、自分の教区から「特別許可の聖伝のミサ」を通して「エクレジア・デイ」に属するいろいろな修道会を経て今日あるありとあらゆる選択肢を試した後、これらの司祭たちと神学生たちは、未だに教会を離れているといるラベルを張られている聖伝支持者たちと関係するのは嫌であり、また最初には気持ちがあったにもかかわらず、キリスト教的生活を十分に送るためには私たちのいるところが唯一行くべき道であるという結論に達したからです。
何という時代でしょうか! 善が排斥され、悪は非常にしばしば祝福されているのですから。これが今日ただ単にカトリック者であろうと望んでいる多くの司祭たちが経験していることです。何という艱難でしょうか! ロザリオを唱えていたところを捕まって神学校校長から怒られた2名の神学生もいます! 彼らが「特別許可の聖伝のミサ」に与っているところを見られた時は、彼らは枢機卿に直々に怒鳴り散らされたのでした。私たちは全ての本当の不良行為に関して、少なくともそれと同じような叱責が与えられるのを望みたいと思います。
多くの司祭たちが私たちにますます近づいている一方でカンポスはローマと妥協する方に行ってしまいました。私たちはローマがカンポスを勝ち取るための決定的なことは、現在健康が悪化しているランジェル司教に一人の司教を与えるという約束だったと思います。彼らは私にこう書いてきました。彼らは教皇様が彼らに司教を与えるという望みを拒絶することが出来ないと考えている、何故なら「そのようなことは離教的である」から、と。司教ということで「私はあなた達に後継者を与える」という約束だけが与えられました。勿論このような約束を(ローマが履行しないのではないかなどとは)誰も疑ってはいません。しかし問題はこの後継者が一体誰か?どこから後継者が選ばれるのか?と言うことなのです。ローマは将来の(後継者たる)司教が第2バチカン公会議に忠実であることに力を尽くすだろうとはよく考えられます。何故ならローマの聖職者にはカンポスの教義上の立場の「正統性」に関してまだ保留している人々があり、ローマでは疑問が支配しているからです。
カンポスはかつてブラジル中どこでも活動することが出来る自由を約束されていました。しかし地方の司教たちがこの考えに反対するとローマが保証する「聖座管理区」の活動の自由は元のカンポス教区に限られてしまい、それだけだとされました。
カンポスはこれからどうなるのでしょうか? カンポスが曖昧な言葉遣いで装備された危険な事業に取りかかろうとする時、私たちは非常に面白いことが起きていることを目撃しています。つまりカンポスの司祭たちとは全く関係のなかったブラジルの男子、女子の様々なカトリック共同体が聖ピオ十世会と連絡を取り聖伝支持の運動に合流したいと望んでいることです! そして彼らは自分たちの将来の神学生たちを聖ピオ十世会の南アメリカの神学校に送りたいというのです。事実ブラジルという巨大な地域の至るとことに散在するかなりの数のカトリック信者たちが今目覚め始めています。そして彼らは、カンポスの援助ではなく、私たちの援助を求めています。何という予想もしなかった展開でしょうか! 驚いています。これはあたかも突然ブラジルという国が聖ピオ十世会の使徒職に大きく開き始めたかのようです。私たちが必要なのは働く人々、つまり司祭、もっと多くの司祭です。
その間カンポスを聖ピオ十世会からそしてその教義上の立場から少しずつ話すことに成功したカストゥリヨン・ホヨス枢機卿は今年の4月5日付けで、私たちの昨2001年6月22日づけの手紙に返事を書いてよこしました。その中で枢機卿は「対話」を再開したいと提案しています。このことについて一言言う前に、その前にどんなやりとりがあったかを思い出してみたいと思います。
ローマが聖ピオ十世会に公認の教会法的な組織を提示し始め、そして私たちが議論を開始する準備があることを表明している最中、私たちは信頼関係をもう一度構築する必要があることを強調しました。
私たちがカトリック教会の聖伝を離れようとしなかったために、数十年に亘って圧迫を受け、のけ者にされ、脅しを受け、排斥され本当の意味で迫害されてきたのですから、彼らのやっていたことが何もなくすぐに無くなってしまうわけではないでしょう。ですから私たちは議論のために前提条件としてローマ当局からの具体的な態度を要求したのです。それがトリエント典礼様式に基づく聖伝のミサが拝辞されていなかったこと、そして聖ピオ十世会のどの会員に対する「破門」の宣言は全く無効であったことを認めることです。
カストゥリヨン・ホヨス枢機卿は最初は私たちに「トリエント典礼様式に基づく聖伝のミサは原理的に自由である、しかし実践上はそうではない」と言っていました。その後に枢機卿は、トリエント典礼様式に基づく聖伝のミサは、原理においても実践においても自由でない、なぜならそのような自由化は新しいミサに害を及ぼすからであると言い出しました。「破門」が無効であったと言うことについては同意があり次第すぐにすると約束しました。
この2重の拒否の後には、信頼できない雰囲気がますます強まり、枢機卿は2001年5月7日付けの手紙を書いてよこしました。この手紙に私は「耳の不自由な人の対話でありどこにもたどり着かない対話が準備されている」と答えました。
物事を前進させるために、私はこの問題に対する全く別のアプローチを提案しました。要約すると、私たちは、現代のローマと私たちが同意できないことは私たちの側が悪意を持っているから起こったのではなく、第2バチカン公会議とその公会議後の改革によって明らかに意図された過去40年間教会を揺さぶる恐るべき危機によって起こされたのであると言うことを述べたのです。
そして1ヶ月前に枢機卿の手紙が来ました。それは私たちを5つの点で非難しています。まず、私たちは教皇と聖座を裁いている。第2に私たちは教会が信仰を失ったと言っている。第3に、私たちは教皇が教会の普遍的な典礼に関する持つ権利を否定している、なぜなら私たちは新しいミサが悪いものであると述べているからである。第4に、私たちはもはや聖伝ということの真の概念を信じていない。第5に、私たちは教会の過去と現在の継続性、特に第2バチカン公会議と典礼改革の継続性を見ることが出来ていない。
勿論これらの点について回答が必要です。
しかしこの手紙は「耳の不自由な人の対話」はまだ終わっていないと言うことを明らかに示していると同時に、現在のローマが私たちの立場をほとんど理解していないと言うことを示しています。この手紙を読んで私たちはルフェーブル大司教が1988年6月の司教聖別の直前に言われたお言葉を思い出さざるを得ませんでした。それは、「聖ピオ10世会とローマとの自由で開かれた協力の時はまだ来ていない」という言葉で、今でも関係のある言葉です。もしその言葉を思い出さざるを得ないような計略がこの手紙になかったとしたら、私たちは喜んで上記のいろいろな点に深く突っ込んでいきたいと思っていたことでしょう。その計略とは2重です。
まず、カストゥリヨン・ホヨス枢機卿は手紙の中で、事柄の重大さを手にして、公のインタビューをするのを遠慮してきたと言います。しかしこの手紙の数日後にはイタリアの著名な新聞ラ・スタンパ紙にインタビューを許して聖ピオ10世会は2つのグループに分れているというのです。曰く「聖ピオ10世会の大多数は熱烈にローマとの和解を願い良心の安心を求めている(4月5日の手紙)そして狂信的な少数派のグループはローマといっさいの関わりを拒否している」と。(それでいて、カストゥリヨン・ホヨス枢機卿は、手紙の中では聖ピオ10世会を分裂させたくないという望みを述べているのです。)
他方で、4月5日の手紙を厳重な私信として(2重の封筒を使い「親展」「内密」という表書きで)私に送った後数日後には、枢機卿は同じ手紙を聖ピオ10世会の他の3名の会員たちにファックスで送っているのです! 枢機卿が何を求めているのか、何をたくらんでいるのか深く探す必要はありません。事実がそれ自体で雄弁に語っています。ここには私たちを分断しようと言う未遂に終わった真の試みがあったのです。このことは私たちに何をしなければならないかと言うことを教えています。つまり、距離を置け、ということです。
このような状況においてローマと議論を開始するというのは理性的ではありません。それは不賢明で、不可能です。じつにこれらローマの聖職者たちは私たちがいったい何である他ということを何も分かっておられないのです。
私たちにとってはこのようなことは本当にスキャンダルな行為、行い、宣言であり、それがために私たちをして全ての新規なことを拒否させ、また私たちをして私たちの母であるローマカトリック教会の数世紀に亘る教えと規律とにますます執着するようにさせるのです。それを述べた上で、枢機卿が4月5日のお手紙のなかで私たちに対する5つの非難に対する答えを出すことにします。
まず第1に、教皇様がユダヤ会堂を訪問されたとか、イスラム寺院を訪問された、コーランに接吻された、トーゴの森の中でlibationを注がれた、インドでティラックを受けられた、などというカトリック信者をその信仰において深く傷つける行為の事実をただ単純に書き並べるということによって、私たちを聖座の裁判官として立てているのではありません。その他の数多くの公式文書や公式声明に関しても同じです。もしこのような事実を述べることが私たちを裁判官として立たせることになるのなら、私たちは「考えることそれ自体」を止めなければなりません。
1966年の典礼改革については、その当時次のようにまで言及した枢機卿たちもいました。「全体といえども、その細部といえども、カトリック神学から大きく離れている」(オッタヴィアーニ枢機卿)と。つい最近でさえラッチンガー枢機卿はそれを自分の言葉としてこう書いています。「教皇権力の典礼分野までの拡大のために、基本的に教皇は典礼に関して、特に教皇が公会議の決定に基づいて行為する場合は、全能であるかのような印象を与えている。この印象の結果は特に第2バチカン公会議後に目に見えている。それは典礼が与えられたものであって自分の思いのままに変えることの出来ることではないということが、西方カトリック者の意識の中から完全に消え失せてしまいました。しかし1870年第1バチカン公会議は教皇を絶対君主としてではなく、啓示された天主の御言葉に従順な保護者として定義したのです。教皇の権能の正当性は、とりわけ教皇が信仰を伝えると言うことに縛られています。信仰の遺産への忠実さと信仰の伝達への忠実さ典礼において特別な仕方で関わってきています。いかなる権威当局も典礼を「作り上げる」ことは出来ません。教皇ご自身は典礼の同質的な発展、典礼の完全性とその同一性の永続のための謙遜なしもべに過ぎないのです。」(ラッチンガー枢機卿『典礼の精神』Ad Solem, 2001, p.134)
現代の教えが過去の教えと継続性があると言うことに関しては、第2バチカン公会議のキー・ワードである信教の自由に関して「疑うことの出来ない」人たちがこう言っています。「第2バチカン公会議の『信教の自由に関する宣言』のような文書が言っていることが少なくとも言葉面が言っていることをだけを見ても、1864年の『シラブス』とは全く異なっているものであり、事実『シラブス』の第15命題、第77命題、第79命題とはほとんど正反対である、ということを誰も否定できません。」(コンガール神父『教会内の危機とルフェーブル大司教』Cerf, 1976. p.51)
第2バチカン公会議の『教会憲章』における教会の定義については、やはりラッチンガー枢機卿がこう言っています。「全てを言い尽くしやり尽くした後でさえ、‘subsistit’と‘est’との違いを論理的な観点から完全に解決し尽くすことは出来ません」 (「公会議憲章『教会憲章』の教会論」“Documentation Catholique”, # 2223, p. 311)
第2バチカン公会議の「啓示憲章」における聖伝の概念については、またもやラッチンガー枢機卿はこう書いています。「よく知られ2つの公会議によっていわば聖化されたレランの文章を第2バチカン公会議にも適応させようという提案を第2バチカン公会議は拒否しましたが、これはまたもやトレント公会議と第1バチカン公会議が時代遅れのものであり、以前の公会議の文書が常に新たに再解釈され続けられたかをしめしています。・・・第2バチカン公会議は歴史的同一性と継続性を断絶させるかと言うことについて新しい考えがありました。レランのヴィンセンシオの言った静的な「常に」という言葉はもやは第2バチカン公会議にとっては問題を表現するのには相応しくないと思われたのです。」(L.Th.K., vol. 13, p. 521).
第2バチカン公会議の核心の文書となる『現代世界憲章』についてもラッチンガー枢機卿はそれを「反シラブス」である、つまりカトリック教会が出した権威的な1864年の「シラブス」の正反対であると言うことです。ラッチンガー枢機卿は(『カトリック神学の原理』Tequi, 1982, p. 426という本の中で)こう言っています。「もし私たちが『現代世界憲章』の全体にわたる文責を求めているのなら、私たちは、(信教の自由に関する文書と世界の諸宗教に関する文書と関連して)ピオ9世の『シラブス』の見直し、ある種の「反シラブス」であると言うことが出来るでしょう。・・・今ここに『現代世界憲章』が、1789年のフランス革命以降現れた現代世界とカトリック教会とを公式に和解させようとする試みである限りにおいて、『現代世界憲章』は「反シラブス」の役割を演じていると認めましょう。」
ラッチンガー枢機卿はそれ程まで言っています。私たちに関しては、カトリック教会が常に教えてきたように、教義の同質的発展というものを信じています。しかしカトリック信仰は矛盾律を無視することなく、かえって私たちをして教義の「異質的な」発展を拒否させるのです。
結論として、私たちはカストゥリヨン・ホヨス枢機卿がどこまで間違っていってしまったかが分かります。私たちは全て教会の一致を、信仰に根ざした一致を願っています。この信仰は、自分の兄弟の司教たちを信仰において固めるペトロの周りに見いだされ、御聖体においてカトリック信者の一致を完成させるのです。この一致を守るために、私たち全ては、私たちのカトリック者としての良心に従い、第2バチカン公会議後の改革によって提示された広い簡単な高速道路を運転するのを避けなければなりません。私たちは私たちのいるところにいると言うことは私たちの良心を安心させます。そして私たちの良心は、正にカトリック者として留まるために過去30年に亘って拒否した道に突然置かれることによって休まるわけではありません。
私たちの受けた洗礼時の信仰の名によって、私たちが忠実に留まると約束した洗礼の約束の名によって、私たちは私たちの霊魂の救いを確実にしない全てに「ノー」と言います。これが私たちの権利であり、私たちの義務であります。
願わくは私たちの主イエズス・キリストの聖心が皆様を主の燃える愛徳の火、教会と教会位階に対する欠くことのない愛(それは教会当局のために私たちがどれほど苦しめられているにしてもです)、霊魂たちへの愛、私たちの主イエズス・キリストのいけにえ、ミサ聖祭に私たちが一致することによって救われるべき霊魂たちへの愛で、満たして下さいますように。ミサ聖祭は私たちをして信仰と私たちの主イエズス・キリストへの愛をますます強め、罪の償いと天主の正義への宥めをもたらします。全てはイエズス・キリストのため。全ては聖母マリアのため。全ては霊魂たちのためです。
+ベルナール・フレー
私たちの主イエズス・キリストの聖心の祝日において