離教にあらず、破門にあらず
離教にあらず、破門にあらず
Courrier de Rome, 1988年9月号より
第二バチカン公会義以来、カトリック信者たちは真理と「従順」とを選ぶ必要に迫られている。つまり言い換えると、異端となるべきか、それとも離教徒となるべきか、との選択である。
従って、例えば、カトリック信者は聖ピオ十世の回勅Pascendiと現在のあからさまな現代主義な教会の指針とを選ばなければならない。 現代主義をすべての異端の汚水溜めだと言って排斥した聖ピオ十世か、現在の現代主義と現代主義者とを称えて止まず、聖ピオ十世を軽んじている今の教皇庁か、を。聖ピオ十世の回勅は、その死後70周年を記念して、こう言われた。 「歴史的観点から捉えることもしなかった単なる暴き立て」であると。
または、テイヤールドシャルダンを排斥した1962年の教皇庁の警告を選ぶか、又は、現在の教会の風潮を選ぶかである。1962年の排斥警告書によれば、彼の論文などの書き物は「全くあいまいな表現が使ってあり、誤謬に満ちている。 それは、あまりにもひどいもので、カトリックの教えを傷つけている」と言うのに、今では教皇聖下の演説の中でさえも彼の書いたものを引用するのに何もためらうことがない。 この背教者の生誕100周年記念には、聖座国務政事官カザロリ枢機卿は、「彼の考えの豊かさ」と「他に例を見ない宗教情熱」とを賛美し、ある一部の枢機卿らの反対をさえ呼び起こした。
あるいは、既に明らかにされた英国聖公会の司祭叙階が無効であることを信ずるか、あるいは現今の教会の風潮を信じるか、である。1982年には、教皇は歴代始まって以来カンタベリーのカテドラルで聖公会の典礼に与かり、この異端かつ離教の分派の平信徒の最高長上とともに王冠を祝福した。この最高長上は、自分のことを「カトリック英国」のカトリックの宣教者であるカンタベリーの聖アウグスチヌスの後継者としてはばからなかった。この歓迎の演説を聞いておられた教皇は何の反対もされなかった。
更には、マルチン・ルターを不可謬的に(ex cathedra)排斥したレオ十三世を選ぶか、現今の教会の風潮を選ぶかのどちらかである。現在の教会では、このドイツの異端者の生誕500周年を祝い、教皇聖下ヨハネ・パウロ二世はその手紙の中で、「カトリックとプロテスタントとの学者らの共同の研究により、ルターの深い宗教性が現れてきた。」とはっきり言っている。
我々はまた、聖福音が歴史的に真理を語っていると信じるか、それとも、現今の教会の指針に従い、声高らかにそのことを否定するか、のどちらかである。「聖にして母なる公教会が決定的にかつ絶対的に、常に変わらず肯定して来た」ように聖福音が歴史的に真理であることを認めるべきか、それとも、ユダヤ教徒との宗教関係に関する、教皇庁立委員会が1985年6月24日に発表したように、それを否定するべきなのか。聖福音に従い無信仰のユダヤ教を「天主から憎まれたもの」と宣言する聖書を取るか、あるいはユダヤ会堂を歴代最初に訪れた教皇聖下の演説にあるとおりに、無知なるカトリックの「兄」と呼ぶのか。あるいは天主の十戒の最初の戒律である「汝我が前に異国の神々をもつなかれ。」を選ぶか、それとも、アシジのカトリック教会においてなされたように、ひどいことにも、迷信さえも含めたすべての形式の礼拝を認めるべきなのか。すなわち、この聖寵の満ちみてる新約の時代において、キリストを否定していながらも真の天主を礼拝しているとうそぶく偽りのユダヤの礼拝を認めるべきなのか。御聖体ランプが灯り、主の現存が明らかなのにもかかわらず、仏像を祭壇に載せることを許し、仏教徒がその己の偶像を礼拝するのを認めるべきなのか。
「教会の外に救いなし」とする聖会の教義を信ずるか、それとも、非キリスト教さえも天主への運河であり、多神教さえも敬うべしとする今の教会の指針に従うべきか。
《異端者》、あるいは/かつ、《破門されたもの》は「カトリック教会の外にいる」のか、それとも、「さまざまなキリスト教と呼ばれる団体」は「深さが」異なるのみで、全き交わりの中にいるのか。したがって、これらさまざまな異端の、あるいは/かつ、破門された党派も、「教会として、又は、教会的団体として」「尊敬すべき」なのか。
ここらで、もう列挙するのをやめなければならない。一々挙げていたら、きりがないからである。この現代における異端については、Romano Amerioと言う人が、636ページにわたるIota Unumという本を書いている。
「信仰の感覚」(Sensus Fidei)の選択
「従順」と真理との見かけ上の葛藤において、少しよく知っているカトリック信者は自分のもつ、「信仰の感覚」によって、安心して真理を選んだ。なぜなら、真理こそが「目に見えない教会の頭」であるキリストとの一致を確実にするからである。
「聖伝支持のカトリック信者」として、「使徒伝来の神的聖伝」と「人間の伝承」とが区別できないとされ、不従順に問われている。彼らは聖会の聖伝の中で変わり得るものと変わり得ないものこの区別がつかないとされ、教会の教義が内容を変えずに発展することと、内容を変えつつ進化することとの区別がつかないとされている。更には、今日では、彼らは離教者として破門されている。しかし、彼らは、これらのことが何一つとして現実と真理とに一致していないとよく知っている。
まず、彼らは自分たちが離教者ではないとよく知っている。─── すなわち、"Volentes per se ecclesiam constituere singularem"ではないことをよく知っている。彼らは自分自身のためにもう一つ別の教会を作ろうなどとはまったく考えていないからである。反対に、キリストの教会、唯一のキリストの教会に留まるために現在の教会の指針に抵抗しているのである。「全体の一部として行動することを拒み」「教会の中で教会に従って、考え、祈り、行動し、つまり一言で言えば、生きること」を望まないものは、彼らの中にだれもいない。彼らは自分の施行、祈り、行動の規律を自分自身で決めようとする言わば自治体ではない。むしろ、「教会の中で教会に従って、考え、祈り、行動し、つまり一言で言えば、生きること」を絶やさないようにするためにこそ、教会によって守られ、伝え続けられてきた教義と信仰の実践から逸れる限りにおいて、今の新しい教会の指針、風潮に抵抗しているのみである。
更に、subesse capitiすることを、教会の頭に服すことを拒むものではない。何故なら、こうすることによって離教徒になってしまいうるからである。むしろ反対に、まさに目に見えない「教会の頭」に従順であるために彼らは今の教会の指針に抵抗している。(この教会の指針が教皇によって許されていようと、励まされていようと、求められていようと今ここでは問題ではない。)彼らはそうして、教義上のいかなる点においても妥協することなく、現在の教会位階制度、特にキリストの代理者との一致が一刻も早く実現されることを願って止まない。
曖昧さ
しかしながら、「従順」と真理との見かけ上の葛藤は、実のところ曖昧さのうえに成立している。すなわち、教会位階制度に払うべき従順と、教会の以前の教導職に反して教会の高位聖職者から押し付けられた指針への賛同とが、誤って同一視されている。例えば、自由放埒主義(liberalism)と宗教統一運動(ecumenism)がそれである。これらは、今の新しい教会の方針であり、聖伝支持のカトリック信者らから最も大きな抵抗を受けている。
自由放埒主義とは、「すべての宗教の社会的自由を守るものであり、この自由はそれ自体として社会の諸目的に反せず、理性に合致し、聖福音の精神にかなうとするもの」であり、これは特にグレゴリオ十四世、ピオ九世、レオ十三世らをはじめとする多くの教皇聖下によって、何度も排斥されてきた。
ガリグ・ラグランジュ神父はその著作De Revelationeにおいて、こう言っている。「これは、教皇聖下らの常に教え続けてきたことである。例えば、ボニファチオ八世は、その勅令Unam Sanctamにおいて(Dz469)、マルチン五世は、ヨハネ・フスとウィクリフとの誤謬を排斥する中で(Dz640-82)、そして、レオ十世はマルチン・ルターの異端を排斥する中で教え続けてきた。」
最近では、1967年に、マテオ・ダ・カソーダ神父(Matteo da Casola)は、リベラル・カトリック(カトリック自由放埒主義者)をどのようなことであれローマ教皇の権威を否定する「離教者 schismatiques」として挙げている。リベラル・カトリック(カトリック自由放埒主義者)とは、すなわち「国家が教会と絶対的かつ完全な自由を得ることを教える自由放埒主義の政治宗教システムを受け入れる人々」を挙げている。
そこで、第二バチカン公会義の中の「宗教の自由に関する宣言」(Dignitatis humanae)は、その内容からみて、このマテオ・ダ・カソーダ神父の挙げる「離教者」らによって書かれたものである、と言わねばならない。
わたしたちは、今ここでは議論に入らない。最近百五十年にわたる教皇文書にざっと目を通すだけで今の新しい風潮が、かつて教導職にかたくなにも長い間反し続けて来た古くからの思潮の業である、と言うことが分かる。公会義中にはこの思潮は多かれ少なかれ正当な方法によって反対され、沈黙を言われてきたが、この思潮が公会義後の重要な地位を占めるようになり、今日では教会の以前の全教導職に反してまでこの個人的な指針に従順であるようにと求めている。
全く同様のことが「いかなる犠牲を払ってでも」の宗教統一、教会統一、について言えるこれは、パウロ六世の典礼の激変以前の、公会義の曖昧で受け入れることのできない文書を息吹いたものだった。この教会統一は、カトリック者にとって、最も多くのそして最も深刻な結果をもたらした。そしてもたらしている。それゆえにこそ、この運動はレオ十三世(Testem benevolentiae また Satis cognitum)によって、聖ピオ十世(Singulari quadam)によって、ピオ十一世(Mortalium animos)によって、ピオ十二世(Humani generis)によって、排斥されてきている。
ピオ十一世はMortalium animosの中でこう書いている。「愛徳は信仰の邪魔をしない。」従って、「聖座はいかなるやり方であろうと、彼ら宗教統一支持者らの集会に参加することはできない。そして、カトリック者はかかる試みにいかなる協力をも、いかなる支持をもすることもできない。そして、もしそうしたとすれば、彼らは偽りのキリスト教に、キリストの唯一の教会とは全く他の宗教に何らかの権威を認めることである」と。教皇は更に続けて言う。「天主によって啓示された真理が妥協されているのを見て黙っていることかできようか? もし黙ったとしたら、それこそが最悪の不義である。何故なら、こう言う場合において、啓示された真理への尊敬という問題に関わるからである。」このピオ十一世の言葉は、真理と、異議立ての余地のある「従順」との葛藤を表している。この葛藤こそ今日多くのカトリック信者が目の前にしている問題である。
「対話」、すなわち、他のすべての迷える人々と誤謬とを結び付け縫い付ける対話は、教皇パウロ六世の全き発明である。このことは教会の二千年間の歴史においてかつてあったことがなかった。
カトリック者は、教皇が自分の使命を果たす限りにおいて、聖ペトロの後継者と交わりを保たねばならない。言い換えると、教皇が信仰の遺産を忠実に伝え、解釈する限りにおいて、である。カトリック信者は、教皇の"adinventiones"思いつき、意見、見解、個人的指針などに、特にもしそれらの指針が信仰の純粋さと完全さとに反するのであるならば、その限りにおいて、教皇のこれら個人的やり方と交わりを保つ必要はない。聖伝支持のカトリック信者に良心の不安を与えようとこのことがよくぼかされている。今日こそ今まで以上に教皇制度と、教会内におけるその果たす役割について明確な知識をもつことがとみに必要である。
教会には頭が二つあるのではない。
「唯一の教会の唯一の体にはただ一つの頭しかない。もし2つあったら怪物である。その頭とはキリストとその代理者である。主は聖ペトロに言われた。「わたしの羊を牧せよ」と。」
キリストの唯一の教会はそれゆえに一つであり一つの頭の下にある。そして、キリストと教皇は二つの別の頭ではなく唯一の同じ頭であるゆえに、教会はキリストと教皇から二つの別の異なる指針を受け入れることはできない。いわんや、対立する指針をや、である。もしもそのようなことがおこったなら、だれに従わなくてはならないのかはいまさら言う必要がない。
教皇は実に、キリストの代理であって、後継者ではない。さらに教会はキリストの神秘体であって、教皇の神秘体ではない。そのために聖ヒエロニモは教皇ダマソにこう書いている。「わたしのために、わたしは自分の第一の指導者としてキリスト以外のだれにも従わない。そしてその上で、わたしは至福なるあなたと交わりの契りを持つ。すなわち、聖ペトロの使徒座との交わりである。何故ならこの巌の上に教会は建てられたと知っているからである」と。
キリストこそが教会が建っているその隅の首石である。ペトロは、キリストが首石であることに与かることによって、巌であるにすぎない。聖ペトロは確かにこう聞いたのである。彼が巌でなければならないこと、しかしキリストと同じ仕方ではないこと、キリストこそが、まさに実に不動の厳であること、ペトロはただキリストの御力によって、不動であるにすぎないこと、を。教皇は「教会の頭であり指導者であるが目に見えるレベルでのことであり、栽治権上のことであり、彼の教皇位の限られた時間において不可謬のキリストによって助けられる限りにおいてである。」そこから教皇との交わりはキリストとの交わりと分けることができないと言える。
教会との一致はキリストとその代理者との一致を意味し、キリストなしのあるいはキリストに反した教皇との一致ではない。理性による論理も「我々はそれぞれの位、地位に応じた従順を示さねばならない」と言う。それが正義というものである。
教皇“その人”(ペルソナ)と教皇の“役職”の違い
しかしながら、キリストご自身が教会の頭として、厳として、密接につながっているそのペトロたる教皇が、教会においてキリストの望まれたことと別の指針を、あるいはそれと反対の指針を許し、励まし、望むことが一体できるのだろうか。そういうことが有り得るのだろうか。聖書とカトリック神学は我々にはっきりとこう言う。教皇権威が不可謬性によって覆われているときを除けば、それは有り得る、と。
ペトロはキリストの神性を告白し、イエズスはペトロにこう告げられた。シモン・バルヨナ、あなたは幸いな人だ。その啓示は血肉からのものではなくて、天にまします父から出たものである。わたしは言う。あなたわたしが、キリスト、生ける神の子であると宣言したあなたはペトロである。わたしはこの岩のうえにわたしの教会を立てよう。地獄の門もこれに勝てぬ。」
ところが、その同じペトロがキリストをそのご受難から遠ざけようとしたとき、イエズスは振り向いてこう言われた。「サタン、引き退れ。わたしの邪魔をするな。[すなわち、あなたはわたしにとって障害物である。]あなたが思っているのは神の考えではなく人間の考えだ。」
そして、我々はこの「障害」が生じたのは、「ペトロの首位権がこの時点では約束されていただけであって、まだ与えられていたのではない、」と考えるべきではないだろう。なぜなら、有名なアンティオキアでのエピソードがあるからである。つまり説明すると、ご復活後のイエズスは使徒の首位権をペトロに与えられた。そしてペトロはこれを行使し、初代キリスト教信者はこれにいつも崇敬を払ってきた。ところで、アンティオキアでパウロはペトロに「非難するところがある」ことに気づいた。なぜなら、ペトロと、ペトロの模範に導かれたほかの人々が、「福音の真理に従って、正しく歩んでいな」かったからである。ペトロの目下でありかつ従属していた立場ではあったが、パウロは「皆の前で」「面と向かって」彼に反対した。聖トマスはこれをこう注解している。「この非難の機会はささいなことではなく、適宜であり有用であった。福音の真理からそれる危険があったからである。やり方もふさわしかった。なぜなら、この過失がすべての人々の信仰を惑わす危険があった限りにおいて、公であり、明白であったからである。」
そこで、聖書は不可謬権の行使の場合を除いて、ペトロは誤り得ること、また非難するところが有り得ることを教えている。
カトリック教会の最高の神学も、教皇の“その人”(ペルソナ)と、教皇の“職務”とを区別して同じことを教えている。 “Persona papae potest renuere subesse officio papae”:(教皇のペルソナは、教皇としての自分の職務に従うことを拒否することができる。)とカエタヌスは書いている。さらに彼はこういう。「このような行為を固持し続けることによって、per separationem sui ab unitate Capitis(教会の頭であるキリストとの一致から離れることによって)教皇は離教者となりうる」と。カエタヌスは,「“教皇のあるところ、教会あり”という格言は、教皇が教皇として、また教会の頭としてふるまう限りにおいて、有効だ」と言う。さもなければ、「教会は彼においてもなければ、彼は教会の中にもいない」と言う。
ジュルネ(Journet)枢機卿も「信仰はまだあるが悪い教皇」について、「大半の神学者ら」に受け入れられている「離教的な教皇」及び「異端的教皇」についての可能性を取り上げている。彼はこのことについてこう書いている。教皇は「教会の交わりに反する2つのやり方で罪を犯しうる。」第二のやり方は、カエタヌスによれば、「もし彼が個人的私的に自分の責務に反して逆らい、(教会をすべて破門しようと試みることによって、あるいはただ単に、世俗の君主として一人きりで生きようとすることによって、)教会に対して霊的指針を拒否するとき、教会が彼よりも偉大な方の名前において、キリストご自身の御名によって、天主の御名によって、彼から当然のこととして期待している霊的指針を拒否するとき、指導の一致を破壊することになり、」教皇は罪を犯すことになる。さらに続けて、「もし離教的な教皇という可能性を考えると、この悲劇的な日には、教会にとってとても大切な指針の一致、ということの聖性の神秘が我々によく分かってくる。このことは教会史の専門家や、(むしろ、天主の御国の歴史を研究する神学者)に、教皇制度上で生じたいろいろなことの暗い部分に天主の光を照らしてくれることだろう。そして、教皇制度がそれを委任されたものの幾人かによって、裏切られたということを示してくれるだろう。」
もしもカトリック神学が、ある一人の悪い離教的な、さらには異端の教皇によって引き起こされる問題を取り扱うとしたら、その理由は、まさにカエタヌスの言うとおり、“Persona papae potest renuere subesse officio papae”:教皇のペルソナは、その不可謬権を行使する場合を除いて、教皇としての彼の職務を受け入れることを拒否できるからである。最後に一つだけ言い加えると、「教皇制度」とその「担い手」、「ペルソナ」と「職務」との区別を付けることによって、多くの神学者たちは教皇制度の暗い部分にまで個人的に足を忍ばせていたのである。
わたしたちにとっては、これらの暗い期間の問題は、決定的に解決できており、この区別を付ける習慣を失っている。特に第一バチカン公会義以来、教皇の不可謬権を不可謬一本槍に、誤解しがちになっている。あたかも教皇は、いつも何においてであれ、非常に明確な条件のもとでなくても、不可謬だと思い込むに至っているようである。
信仰の一致と交わりの一致
それでは、教会における教皇の職務とは一体何であるのだろうか。第一バチカン公会義はこう教えている。「キリストは、…全部の信徒が信仰と交わりの一致(in fidei et communionis unitate)を保つように、聖ペトロを他の使徒たちの上に立て」られた。教皇レオ十三世は教会の一致について特別に(ex professo)語り、こう書いている。「教会の創立者である天主はそれに、信仰・統治・交わりの一致を与えると宣言した後、ペトロとその後継者を選び、彼らにおいて一致の原理と中心とを確立した。」
従って、ペトロの職務とは、多くの信者たちのうちに「信仰と交わりの一致」を保証し、多くの牧者たちのうちに統治の一致を保証することである。
ところで、教会内において、信仰の一致と交わりの一致との関係は、また、信仰の一致と統治の一致との関係は何であるのだろうか。「唯一の教会を確立されたお方はそれを一つのものとして創立された。… であるから、人々のあいだに、必須の条件として、同意と知性の一致が、どれほど偉大でどれほど絶対的な調和を保たねばならないことだろうか。そのためにこそ、天主の定めたご計画に従って、イエズスはご自分の教会において信仰の一致が存在することを望まれた。なぜなら信仰こそが人々を天主に結び付ける全き最初のものであるからである。そして「信者」と言う名を我々がもつことができるとすれば,まさにこの信仰のお陰によるのである。」
教皇ピオ十一世は、これを受けて次のように言う。「このためにこそ、愛徳の真っすぐなそして真摯な信仰が基礎であるように、キリストの弟子たちを結合させる最も主要な絆は信仰の一致でなければならない。」
したがって、信仰の一致と交わりの一致、信仰の一致と統治の一致は教会において分けることができない。信仰の一致は、交わりの一致のためにとっても、統治の一致のためにとっても、全き必要な土台であるからである。これより、教会内のいかなる者といえど、信仰の一致を全く無視する、信仰の一致を取り去った交わりの一致を、あるいは/かつ、統治の一致を要求することはできない。そしてもし、今日、十分に信仰に関する知識を得たカトリック信者たちが、教会との信仰の一致と、現行の教会の長上たちとのいわゆる「交わりの一致」とがどんどん乖離していると感じているとしたら、もし司教たちが、そう言うと言わずと、多かれ少なかれ妥協しているとしていまいと、事実上、彼らも教会との信仰の一致と自分の目上との統治の一致とがますます離れているとしたら、それは、教会当局がそれぞれに信仰の一致に基づいていない、しかし多かれ少なかれ誤った「個人的な」見解を指示することに基づく交わりの一致を、そして統治の一致を要求しているからである。そこで、信仰の一致と交わりの一致の間に横たわる必ずなければならない関係から、次のことが必然的に要求される。現行の教会当局との交わりを保つために、過去の教会当局との交わりを断つことはできず、断ってはならない、ということである。なぜなら、今日の教会当局は、過去の教会当局と同じく、同じ信仰の遺産を守り、変えずに後世に伝え、忠実に解釈することにあるからである。
モンティーニ(パウロ六世)のもとで、聖伝支持者を、「過去の教皇たち」に従順であるためという名において「今の教皇に」不従順であると告訴していた現代主義者がいた。彼は自分の発言がどれほど信仰から離れているかを知っていなかった。
教皇との交わりは、かならず真理においての交わりでなければならない。そして、真理においての交わりとは、つまり過去現在のすべての教皇たちとの交わりを意味している。もちろん教義がより詳しい説明によって発展することはあれ、過去の教義と矛盾する説明によって進化するのではない。過去の教皇たちとの交わりと「今日の教皇」との交わりとどちらかを選ぶ必要に迫られているとき、それは教会の中で何かがうまく行っていないという印である。それが誰であれ、教皇“その人”(ペルソナ)が、教皇職にあるべきではない干渉をしているという印である。カトリック信者が単一意志説の異端を助長した限りにおいて教皇ホノリウス一世と交わりをもってはならず、もつことができないように、自分の前任の教皇によって排斥され続けてきた現代主義、自由放埒主義(liberalism)、宗教統一を助長した限りにおいて、また“extra Ecclesiam nulla salus”「教会の外に救いなし」という教義の否定である「諸宗教間の対話」を思いつき、全教会を自分の個人的な歪んだ見解に従って、全教会を指導しようとした限りにおいて、カトリック信者はこのような限りにおける教皇パウロ六世と交わりをもつことができない。
選択の基準
以上述べて来たことから、次のことが明らかになってくる。権威の正当な行使とこの権威を委託された人の個人的なやり方との区別するのに要求される基準は、主観的ではなく客観的であるということ、また「信仰の保護者」である教会の聖伝によって、すべてのカトリック信者に与えられていることである。
──「我々は教会の初期の聖伝から離れるべきでなく、教会の常変わらぬ聖伝を通して我々に伝えられた、天主の教会が我々に教えること以外の何物をも信じるべきではない。」
──「本当の知恵は、司教の後継によって我々にまで伝えられた…使徒たちの教えである。」
──「使徒たちの教会、すなわち、信仰の母にして源である使徒たちの教会の教えにかなうすべての教えは真なる教えだと宣言されなければならない。
なぜなら、この教えこそ教会が使徒たちから受けたものであり、使徒たちがキリストから受けたものであり、キリストが天主御父から受けたものであることに、疑いの余地がないからである。」
宗教統一:教会の一致に対する攻撃
信仰の一致は「意志の調和」と「行動の合致」との「必要不可避の基礎」であるから、すなわち、教会におけるすべての一致の基礎であるから、教会当局が、「信仰の一致」に多かれ少なかれ深刻に反する「交わりの一致」又は「統治の一致」を要求するとき、その要求は教会の一致に対する攻撃となる。
教皇レオ十三世は、既に1899年に、Testem benevolentiaeのなかでこう書いている。
「彼ら[活動主義のアメリカニストの司教たちのこと]は、実に、『道を離れたものたちの心を得るために、教義のある部分に関してあたかも重要ではないかのように口を閉ざし、あるいは、教会がいつもそのように信じていた意味を彼らにもはや悟らせないようにある点に関して意味を弱める、お茶を濁すことがふさわしい』と考えている。この考え方がどれほど排斥するに値するかは、わざわざ長い演説をする必要もない。…カトリック教義のある原理を忘却の闇の中に包み込むためにそれを覆い隠そうとする沈黙に、咎めるべき誤りが全くないなどと信じてはならない。なぜなら、キリストの教えのすべてを形成するこれらすべての真理の作り主にして教師はただお一人しかおられないからである。…したがって天主から受けた御教えのいかなる部分も、それがたとえいかなる理由であろうとも、取り除いたり省略することがないように誰しも気をつけなければならない。なぜなら、もしそうするものがいるとすれば、彼は教会から離れてしまったものたちを教会に呼び戻すよりもむしろ、カトリック信者を教会から離れさせることになるであろうからである。願わくは離れたものたちが帰ってくるように! 全くわたしの心にとって、それより願わしいことはない。 彼らが帰ってくるように!キリストの本当の家から遠くさまようものたちがすべて帰ってくるように!しかし、キリストご自身がお示しになったまさにその同じ道以外のいかなるほかの道によらずに! である。」
これについて、いかなる解説も不要である。レオ十三世はここで、平和だけを叫ぶ宗教統一運動は信仰の純粋さと完全さを損なわせるものであること、そして、そのこと自体が教会内の交わりの一致を損なわせるものであることを明らかに示されたのである。そして、第二バチカン公会議以来長々と説かれ続けているのはまさにこの平和一本槍の宗教統一運動なのであり、この宗教統一運動の「もはや後戻りできない」道を歩み続けることは、信仰と完全性と純粋さを損ない続けようとすることに等しいことはわざわざ証明するに及ばない。そしてそのことは完全にアシジでの宗教統一祈祷会が示しているように、教会内の一致を引き裂いているのである。 レオ十三世が「カトリック信者を、教会から離れさせることになるであろう」と言っていることに戻れば、実に、もし信者が自分自身により、自分から、非難されるに値するやり方で離れない限り、誰ひとりとしてカトリック信者を教会から離れさせることはできないからである。教会当局の指針の為に一時の間これから距離を置いたとしてもそれは教会から離れたことを意味しているのではない。むしろその反対である。『カトリック神学大辞典』はこう書いている。
「少なくとも十四、十五、十六世紀の中世の神学者たちは、離教(schismus)とは教会の一致からの非合法的な分離を意味するのだということを記そうと大変注意を払っている。なぜなら、彼らによれば、教皇が誰かに悪いことをあるいはふさわしくないことを命じた場合、彼が教皇に従順たることを拒んだときのように、至って合法的な分離がありうるからである(Terrecremata著: Summa de Ecclesia)。このことを考察するのは当然で全く余計なことかのように思われる。[しかし今日ではそうではない!]そして、不正当な破門のような場合など、全く外的で表面的にしかすぎない一致からの分離のケースがありえる。」
教会内の「非常」事態
天主から受けかつ教会によって受け伝えられて来た教えを、省略し・沈黙し・変更する教会の目上との一時的な、いわゆる「交わりの一致」と、信仰の一致との2つが分裂するとき、それは戦闘の教会において「非常」事態を醸し出す。すなわち、常ならぬ、常軌を外れた事態のことである。聖なる公教会の通常時・普通時においては、教会の位階制度に外的に委託された指針は、その「目に見えざる頭」が彼らに原初に与えられた、そして聖寵を通して今も与え続けられている指針に沿っているもの、少なくともそれに矛盾しないものである。
ところがキリストが与えられ、今も与え続けられているこの指針に、だれも変えることのできないこの指針に教会位階が反対するとき、不可避的にカトリック世界に葛藤と不安が生じてしまう。これは、教会位階が押し付けようとするその指針とカトリック者の信仰の感覚(Sensus fidei)との葛藤であり、教会の指導者が強制するやり方とすべての司教が自分自身の使命についてもつ、あるいは少なくとももたねばならない良心との葛藤である。
カトリックの平信者の間における不安はその結果である。彼らは、まさに自分の保護者かつ教師であるべき方々から、信仰において攻撃を受けていると思わざるを得ないのである。彼らは自分の牧者として従いたいと望み、平時であればそうする義務のあるその方々に抵抗しなければならないとの良心の声を聞いているのである。また更には司教の中にも、教会内の統治の一致を確保する義務のある権威当局に、自分が交わりを保ちたいと思っている、また平時においては交わりを保たなくてはならないその権威当局に、抵抗しなくてはならない義務を良心の中に感じている方がおられる。(たとえ彼らが、いろいろな理由によりそれを実行するかしないかは別の問題である。)この教会の「非常」事態は特にすべてのカトリック信者に「非常」の特別義務を果たすようにと要求している。
平信者の特別義務
もしも、戦闘の教会と交わりをもっていない、と告発されるなら、平信徒は聖女ジャンヌ・ダルクとともにこう答える。「わたしは一致していますが、天主第一です。(Dieu premier servi!)」教皇様に不従順であると告発されるなら、彼らはこう答える。「聖霊がペトロの後継者たちに約束したのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである。」更に、「教皇の権限は無制限ではなく、教皇は天主の立てた制度のいかなるものをも変えることができないばかりか(例えば、司教の栽治権の制度を破棄するとか)、彼は破壊することもできない。なぜなら彼は破壊するためではなく立てるためにあるからである。(コリント後書10)自然法によっても、教皇はキリストの群れの中に混乱の種を蒔いてはならない。」 そして平信徒は胸のうちに聖女カタリナとともにこう嘆く。「聖下、私が聖下について十字架につけられたイエズスに嘆くことがないようになさってください。わたしはイエズス以外の他の人々には聖下について嘆きません。なぜなら聖下はこの地上に目上をもたないからです。」
実際上、教会の聖伝に沿う教えと実践とに忠実である彼らは、上から望まれ・励まされ・許された「革新」に抵抗する。彼らはこのおかしな指針も間もなく終わりを告げるだろうと、人間の目に映るすべてのことに反し、人間的に期待できることすべてに反して確信している。なぜなら地獄の門もこれに打ち勝つことなく、キリストの花嫁は天主からの聖伝に関する記憶を失い得ないからである。
聖なる「良心的拒否」は教会の目に見える一致を傷つけるものと見えるかもしれない。カトリック信者はそれを苦しんでいる。しかし同時に彼らは自分たちにそれの責任がないことを知っている。特に彼らはそれ以外の行動を取ることは許されないのだとよく知っている。彼らは教会をこよなく愛し、堅くペトロの首位権を宣言する。ペトロの後継者がペトロの後継者として行動する限りにおいて、彼に速やかに従う準備ができている。しかし、現在自分たちの生きている例外的な事態において、彼あるいは彼の名において行動するものに対し、「彼よりもより大いなるお方の名において」抵抗する義務があることをよく知っている。
彼らの信仰の感覚(Sensus Fidei)の取った決定は、カトリック神学によって支持を受けている。聖アウグスチノ、聖チプリアノ、聖グレゴリオ(アンティオキアに於ける有名なエピソードについての注解を見よ)、テゥレクレマタ、バニェス、ヴィトリア、スアレス、カエタヌス、聖ロバート・ベラルミン、聖トマス・アクィナスをはじめ、他の多くの神学者たちは「信仰の危険」のとき「公のスキャンダル」のとき、特に教義上の問題のときには、教会位階制度に、そして教皇聖下ご自身にも、公に抵抗を示して許されるばかりかそれが正しいと教えている。
それが許される。なぜなら、「我々の肉体に侵害を及ぼす教皇に抵抗を示すのが許されるように、霊魂に侵害を及ぼす、市民生活を混乱させる、更にはまして教会を破壊させかねない教皇に抵抗を示すのは許されることである。」
それは正しい。なぜなら信仰とともに自分自身の永遠の救いと他の人々の救いがかかっているから、そして救いの問題とともに、人が天主のご計画に従って天主に帰するべき栄光がかかっているからである。自然的・超自然的な被造物間の関係はすべて天主の永遠の法に基づかなければならないのであって誰ひとりとして例外がないからである。
そのために聖トマスはこう書いている。「もし信仰に関する危険があった場合、目下はその目上である高位聖職者を公であっても咎める義務を負う。」
カエタヌスは教会をあからさまに破壊する教皇に抵抗しなければならないという。
司教たちの義務と権能
もし、今日の高位聖職者たちの常軌を逸した行為のために、平信徒が通常行動を取らないことが正当化されるなら、そしてしかもそれが要請されるなら、まして教会の中においてより大いなる義務と権威をもつ司教たちには、平信徒よりもさらに多くが要求されている。
彼らのより大いなる義務のゆえに
天主によって教会内に創設され存在する司教たちは、教皇が派遣したものでもなければ教皇の代理でもない。彼らは実にそして真に、自分の権利によって、霊魂の牧者である。
彼らの教会位階制度上の地位の力によって、彼らは「信仰と道徳の」教師かつ保護者であり、自分が天主より受けた使命についてキリストに対し責任を負っている。この使命は疑いもなくペトロとともにペトロのうちにおいてなされた。しかしペトロはその使命を取り消したり変えたり別の目的へと方向を変えたりすることができない。教会がキリストの神秘体であって『ペトロの神秘体』でないように、司教たちもペトロに従属しつつもキリストのしもべであって『ペトロのしもべ』ではない。
教皇制度と司教制度は「固く結ばれている」。「その2つの制度(すなわち教皇制度と司教制度)は、キリストからくる同じ権能の、霊魂の救いのために秩序づけられている同じ権能の、2つの形式、1つは最高の…そしてもう1つは他に従属している権能の形なのである。」司教はそれゆえ自分だけのために信仰上の問題に抵抗し、平信徒と同じレベルに自分自身を制限するなら、自分の義務をすべて果たしたとは言えない。
彼らのより大いなる権能のゆえに
霊魂の永遠の救いを全うさせるためにそれぞれの司教は次のことを受けている。
1)天主から間接的にかつ教皇の仲介を通して、あるいは、教皇から直接にしかし天主の権によって、信者たちが永遠の生命を得ることができるように彼らを導くため、司教は栽治権を受けている。そしてこれは聖なる教導職、立法権、裁判権による。
2)司教聖別の瞬間に、天主から間接的に「ミサのいけにえを捧げることによって、秘跡(秘跡の中でも司教に固有なものは堅振と叙階の秘跡である。叙階の秘跡は司教に司祭職をその充満において[すなわち司教職において]他のものに伝えることを許す。)の執行によって霊魂を聖化するため」聖職権を受けている。
取り消すことのできる栽治権と違って、聖職権は消し去ることができない。このためある1人の司教のなした司教聖別は、教会当局が不合法だとしても常に有効である。
教皇職の権能とその義務
キリストの唯一の教会を建てるために秩序づけられた限りにおいて、司教たちがもつ使命と権能は疑うことなくペトロの後継者に、ペトロの首位権ゆえに、服している。
教皇は、しかしながら教会のもつ特別な目的、すなわち霊魂の永遠の救い、と言う目的を追求するにおいて、統治の一致を教会に与えるためにのみ、天主の権により、人によって(ab homine)使命と権能を管理する権能を受けたのである。教皇は自分の個人的な固有の見解に従って司教職を指針づけるためにその権能を受けたのではない。ましてや《キリストご自身が与えたもうた指針》、そしてもし教会の高位聖職者の抵抗を受けなければ、ご自身の約束、「わたしはあなたたちとともに世の終わりまでいる」と言われたそのお約束のとおり、《今でも与え続けているその指針》と反対の指針を司教らに取らせるためではない。
このようにペトロの首位権を制定したとき、我らの主イエズス・キリストはご自分の教会を、ペトロとその後継者の思い勝手のままに委ねようとしたのでは全くない。教会は、「司教団」主義者らが望むような複数の頭をもつものではない。さらに二頭でもない。もし司教職が首位権によって制限されているのが本当であるなら、首位権も天主の権によって制限を受けている。そして「天主の権は教会権力がその目的に沿ってキリストの神秘体の破壊ではなく建設のために、使われるようにと要求しているのである。」
このことから、もし教皇が司教の聖職権の執行を管理するときのように司教の栽治権を制限するとき、教皇は天主の光栄が要求するところに適うように、教会の利益と霊魂の永遠の救いにふさわしいようにしなければならない。
これらのことは基本的知識以前のことである。しかしながら今日では高位聖職者の念頭からかつて無かったほどくらまされてぼかされている。
司教の選出
「教会の創立の初期には、そして中世の初頭には、同じ司教区の聖職者や信者によって選ばれた司教、国家の君主によって任命された司教が必ずしも常にどこでも教皇の承認を受ける必要があったのではない。これらの場合には、果たして教皇による暗黙の司教権力の承認あるいは確認があったらしいという説は、証明できないと同時に事実ではないようである」ということは確実である。そこから、神学者たちは教皇の権威をその権威それ自体(質量)と、その権威の行使とに区別している。
事実、教皇がその権威を司教の聖職権に行使したのは、歴史の流れによって、教会の必要に応じて、霊魂の救いが要請するところによってさまざまである。教会の初期には福音の必要が司教の権力が無制限に行使されるように要請していたので数世紀間、教皇が司教の聖職権へ介入したことはなかった。それゆえ使徒とその直接の弟子らが司教座に他の司教を選び叙階し確立していたのである。続いて少しずつ教皇は16世紀まで世俗の権力が教会の人事に介入するのを阻止するために、教会にとって極めて重要なこととして、司教を選出するのは自分の特権としてますます独占し始めた。現在の規律では、教皇の許し(Mandatum Pontificale)なしに司教聖別をするとその司教の破門が決められている。この規律はピオ十二世教皇が中国における離教教会の危険に直面したときに作られた。
教会の歴史上には、他方で、一部は教会の初期にあった要求と同じ要求により、そして結果的には司教のもてる全権能を行使する必要に迫られるという非常事態に陥った司教たちが、その当時に要求されていた規律を破って他の司教たちを聖別した例が数限り無くある。すべての組織には必要不可欠の組織の機構がうまく作用しないときに働く「補いの法」というものがあるが、教会の中にも存在するこの「補足の法」(Ecclesia supplet)によってこれらの司教たちは司教聖別を行っていた。4世紀にはサモサタの聖エウゼビオが,アリウスの異端によって崩壊し尽くされていた東方教会を駆け回り、そこで彼は何らかの特別な栽治権をもっていなかったにもかかわらず司教を聖別し,カトリック司教をあちこちに確立したのもこのためであった。
このような状況のもとでは、教会の最高権威は、教会の善と霊魂の救いを望むことしかできないので、もちろんそれに同意するだろう、ということを合理的に前提しえた。その当時有効であった規律の不本意的(質量的)な違反は「必要状態」によって正当化され、この「必要状態」はそれに対応する「必要なときに生じる権利」を生じさせる。
必要の状態と必要上の権利
ファリザイ人たちがイエズスの弟子たちを、空腹を押さえるために麦の粒を安息日に集めていたとして安息日の法を破った、と非難したとき、我らの主は弟子たちの無実を証明するために「必要の状態」とそれから生じる「必要上の権利」との議論を使われた。イエズスは空腹の必要に迫られて「天主の神殿に入り、彼も彼とともにいたものも食べてはならず、ただ司祭のみが食べることの許されていた備えのパンを食べた」ダヴィドのエピソードを持ち出された。
「必要の状態」とは、教会法典によると、ある決められた条件のもとに「犯罪」にかかわる罰則規定が消滅する諸原因の一つと考えられている。そしてその時、この「犯罪」は法のただ単なる外見上の(質量的な)違反でしかないと捉えられるのである。さらにバチカンの報道本部から出た1988年6月30日の公式声明も、たとえ、ルフェーブル大司教の場合においてそれを否定するためであったとはいえ、その「必要上の権利」について言及し、その存在を一般論において確認している。 必要の状態とは、教会法専門家の説明によれば、自然的あるいは超自然的生命のためにある必要な善が脅かされるあまり、それらを保全するために法を破るように道徳上強制されている状態のことである。
この必要の状態があるとし、さらにそれに対応する権利を享受するのが許されるためには、次の条件をすべて満たしていなければならない。
1)必要の状態が本当に存在すること。
2)それを治癒するために通常の手段によって改善を図ろうと努めたこと。
3) その改善のために必要とされる「非常手段」が本質的に悪ではないこと。さらにそこから隣人に対して損害を及ぼさないこと。
4) 関係法の違反においては、必要の状態によって現実に要求される範囲の違反に止まり限度を超えてはならないこと。
5) 権威当局の権力に関していかなるやり方であろうともどんなことでも疑問視してはならないこと。反対に、通常の状態においては、この権威当局はそれに同意をして当然であったと道理的に見越し得ること。
これら5つの条件は、ルフェーブル大司教によってなされた司教聖別においてすべてそろっている。
1)教会の中に実際に必要の状態が存在する。
救いのために必要な助けを、特に、教えと秘跡を聖職者から受ける権利をもつ信者にとって、必要の状態が存在する。神学生たちにとっては、健全な司祭養成、特に教義に関して健全なものを受ける権利をもつので、神学生たちにとって必要の権利が存在する。
信者一般にとって:
もし必要の状態が存在することを否定しようとするなら、彼は、以下に挙げる要素が存在するにもかかわらず、キリスト教徒民において信仰と信仰の伝授が重大にかつ深く脅威にさらされてはいないことを証明しなければならないだろう。
司教団によって公認され押し付けられた新しい公教要理。
説教、カトリックのマスメディア、特にいわゆる『カトリック出版物』が何一つの例外なく信仰上の真理とカトリック道徳の原理を攻撃し、疑いを投げかけ、ついには否定していること。
大衆による宗教統一のさまざまの試みが位階制度のさまざまなレベルで説かれていること。そしてこの試みは「最も有害な異端の一つ」である宗教無関心を生み出し広げている。
新しい典礼、特に新しいミサ。これについて英国聖公会からの回心者であるジュリアン・グリーンは「聖公会のサービスのかなりひどい物まね」だと言っている。さらにテーゼのカルビン主義者たちはプロテスタントの晩餐式として、この新しいミサを使うことができると言っている。
特に彼は、この新しい指針は、上によっても望まれず好意を受けず、許されてもいないことを証明するか、さもなくば、少なくとも最近20年間にわたり「信仰に反する犯罪」すなわち教会法典が規定するところの信仰に反する犯罪に対して与えられるべき罰則が常に適用されていたということを証明し、初めて、今日不合理にもそう言われているように、ルフェーブル大司教がその聖職権を行使したために生じた「犯罪」の罰を被っているのだと言い得るだろう。
しかしながらそのような証明は全く不可能であるから、必要の状態を否定し、「信仰がなくとも天主の気に入ることはできる(!)」と言いつつ、聖霊に逆らうことにやっきになるほかないのである。
最後に、すべてがそんなに完全に悪いのではないのさ、という「大目に見てやろう主義者」には、信仰に関して、啓示されたただ一つの真理、あるいは啓示にかかわる一つの真理を疑うか否定するものは啓示すべてを疑うかあるいは否定することになってしまうということを喚起したい。
神学生たちにとって:
カトリック司祭職に召し出されている者たちにとって必要の状態が存在することを否定することを望む人々は次のことを確立しなければならない。
神学校はほとんどすべて閉鎖してしまったか売られてしまっているということはない。
今残っている神学校は、将来の司祭たちに正統的カトリックの教義の養成、自由放埒主義(liberalism)、近代主義、宗教統一運動、この手のすべての異端を排斥する教えを伝えている。(今ここでは道徳的霊的養成にはふれない。)
バチカンがかつて、(エコンで勉強中の神学生たちを相手に)ルフェーブル大司教を離れてローマで勉強するようにと2回そそのかし、それを試みた神学生たちが、つい最近報道されたように、ルフェーブル大司教を離れた後に惨めな末路を取り、言わば遭難してしまった、などということはなかった。
カトリック大学、カトリック研究教育機関では、そしてローマにあるさまざまな教皇庁立大学では、不道徳な『道徳神学』も、カトリック信仰の基礎をなす教義(例えば、主のご復活、主のご神性、等)までさえも否定する『教義神学』をも、教えてはいない。
これらのことを証明することは不可能であるから、天主の教会にとって将来の司祭を養成することなどたいして重要なことではないようだ、とでも言うほかない。
2)それのためにある通常の手段がすべて使い尽くされた
信者たちの必要の状態を癒すために、ルフェーブル大司教はカトリック教会の聖伝に基づく典礼様式で秘跡と健全な教義を霊魂に確保するためにこそ、司祭兄弟会を創立したのである。更に、聖パウロの模範に従い公に福音の真理に対する責務と霊魂に対する責務があることを、他の教会位階の高位聖職者たちに注意を喚起して止まなかった。そして自ら司教職における兄弟たちの敵意を、特にフランスの司教とパウロ六世の敵意を一身に受けることになった。
司祭職に呼ばれた者たちの必要の状態を癒すために、ルフェーブル大司教は神学生たちの緊急の要求に応えてエコンの神学校を建てた。この神学校が認められ、司祭の召命と神学校とが世界至る所で一般的に崩壊し崩れ落ちているそのさなかで、すくすくと栄えていた。しかし非合法的な、また全く無効な手段によってこの神学校がまさに閉鎖されようとしていたとき、創立者ルフェーブル大司教は権威当局から正義を勝ち取るための、いかなる合法的訴訟の道も閉ざされていることを見て悟り、いわゆる「聖職停止」に身をゆだねるという形で神学校最初の司祭たちの叙階を執行した。12年もの間、いかなる権利回復も、司法上の最も初歩さえも拒否され続けた。歴史上例を見ないアシジでの宗教統一「サミット」の後、ルフェーブル大司教は自分の高齢を考えて、聖ピオ十世会のさまざまな神学校で司祭職を準備している約300人の神学生たちが確かに司祭になることが出来るように、補助の司教を聖別せざるを得ないことを発表した。ローマがルフェーブル大司教に「教義のうえでいかなる妥協をすることなく全く合法的正当に申し分のないやり方で教皇の許可をもって複数の司教聖別をしても良いのだ」ということをちらつかせ始めたのは、まさにその時からであった。
しかしながらルフェーブル大司教はこの、教皇の許可をくれるというあいまいな口約束は彼をだますためのおとりにすぎないということをすぐ見て取らない訳にはいかなかった。なぜなら、バチカンの報道室で1988年6月16日に配布された覚書には、「和解」のための「足掛かりとなるために作られた」プロトコールにおいて、ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会は「第二バチカン公会議において言われている教え、あるいはその後の改革について、たとえ彼らには聖伝と調和させるには大変難しいと見えても、それらの点に関していかなる論争も避け、使徒座と、学び・交わりをもつという態度を取る」ということに同意したと書かれている。まさしくこれは「沈黙をするという契約」であった。
20年以上にもわたる苦い経験は、バチカンとの「学び・交わりをもつという態度において」議論を進めるということは全く無駄なことであると、非常に良く教えてくれた。この「同意」の結果を予見するなら、それはただ、教会がすべてにわたり自動崩壊しつつあるこの時にあたって、聞こえるように叫びつづけていた権威のあるそして邪魔な唯一の声を沈黙させてしまうことであった。更には、ルフェーブル大司教に、かつて犯した誤謬を教皇に書いて謝るように、聖ピオ十世会の「特別なカリスマを尊重する」という約束を反古にして、折衝に入るようにと要求したとき、それらの要求は一目瞭然に、あいまいな表現のうえに立つ(人をだますものである)と見て取れた。それはガニョン枢機卿自身が1988年6月17日にアッヴェニーレ紙に言った通りである。「我々は我々で常に和解のことを話して来た。しかしルフェーブル大司教は自分がいつも正しいと我々が宣言するそのことしか頭にない。これは不可能だ。」
いやそうではない。ルフェーブル大司教は自分だけが正しいという宣言を望んだのではない。プロトコールの文章そのものがそのことを明らかにしている。ルフェーブル大司教はただ単に、自分が犯してもいない「誤り」を認めるようにと要求してもらいたくなかっただけである。なぜならありもしない「誤り」を認めるということは、ここ数年にわたる信仰のための闘いを空しくさせてしまうことに外ならず、そんなことなら、否みをもって結論づけなければならないのなら、そんな闘いはむしろ始めなかった方が良かっただろう。交渉中、この点において、とどのつまりルフェーブル大司教にそして聖ピオ十世会に妥協・放棄、あるいは少なくとも悪を黙って見逃すことを、遅かれ早かれ要求することしか念頭にない当局と「協力」することは、全く不可能であることがはっきりした。
ルフェーブル大司教がヨハネ・パウロ二世聖下に次の手紙を書いたのはその時のことであった。「率直な効果的な協力のときはまだ来ていません。……私たちは、近代主義に犯された近代的なローマがカトリックのローマに立ち戻り、2000年の聖伝をもう一度取り戻すために祈り続けます。その時、和解の問題というものはもはや存在する理由がなくなっていることでしょう。」
ここまで来て、通常必要とされる司教聖別のための教皇の許可が、妥協せずには得ることが出来ないと分かり、必要の状態にあるということが確立してくれる権利を使い、法律の字面による「合法性」から自己を防ぎ、司教聖別を執行するしかなかった。このことに関する司教の聖職権を司る規律を尊重したとすれば、今現在、多くの信者と将来の司祭たちのおかれている必要の状態において、教会法における《規律上》の規定、つまり《教義とは関わりなく秩序を保つ》というこの規定だけのために、多くの霊魂の救いを犠牲にしていたことであろう。《規律》は霊魂の救いのために秩序づけられなくてはならず、その反対ではない。これこそファリザイ的な形式主義の前にイエズスが教えたことであった。安息日は人のために設けられたのであって、人が安息日のためにあるのではない。
バチカンの報道室によって公にされた宣言によると、必要はルフェーブル大司教自身が「作った」のであって根拠がないと言うが、多くの霊魂や、司祭職の候補者たちが今その中にいる必要の状態は、ルフェーブル大司教が作ったものでは明らかにない。通常の規律に反してまでも教会の善のために自己の聖職権を行使しなければならない必要性が現れたのはその後のことである。この必要性は実はルフェーブル大司教の高齢ゆえに、必要の状態から利益を受けることの出来るものたちによって作られたのである。
3)その改善のために必要とされる「非常手段」が本質的に悪ではないこと。
さらにそこから霊魂に対して損害を及ぼさないこと。
これは本質的に悪ではない。教皇の許可なしの司教聖別はそれ自身で「離教的本性の行為」とはならない。司教のための聖省の勅書の中にそう書いてあったとしてでもである(嘘のような本当の話だが!)。
このこと自身、悪いことと知ってであれ(formaliter)、あるいは形式的(mate-rialiter)であれ、教会法上の規律に関する規定に対する不従順の行為である。ところで、一つの不従順の行為が離教(という教会の一致を犯す罪)を成り立たせるのではない。これは1羽のツバメが飛ぶからと言って春ではないように、良識もそう認めるところであり、カトリック神学も不従順と離教とを区別している。事実、教会法典も、ピオ十二世の時まで教皇の許可なしの司教聖別に対して聖職停止を罰則付け、破門ではなかった。(破門措置は上記に説明した理由によって作られた。)そして今日においてでさえ、1983年発布の教会法典において、司教聖別は「教会の一致に反する犯罪」として取り扱われているのではなく、「教会の職務の強奪及びその職務の行使における犯罪」の章に姿を見せている。
カエタヌスは、服従の拒否が命ぜられたことあるいは長上のその人(ペルソナ)に関わっているとき、長上の権威あるいはその人(ペルソナ)それ自体が問題とされているのでなければ、その時離教は生じないと条件を詳しく出している。
ところで、ルフェーブル大司教は教皇の権威に文句を付け出したのではないばかりか、5)においてより詳細に説かれるように、教皇が司教の聖職権を、他の司教の聖別に関して統治・管理する権能があることに疑問を持ち出したのでも、現在教会で有効のその規律自体に反意を見せているのでもない。ただルフェーブル大司教は“今日有効の規定が教会の不利益に、霊魂の不利益になってしまいかねない、多分にそうなってしまうだろう”と言っているだけなのである。つまり、“司教職と教皇職が存在する事自体の理由に反することになってしまうだろう”と言っているだけなのである。
最後に、司教聖別が他の霊魂に害を全く与えないことは証明するまでもない。全く形式的なものに過ぎない不従順の行為が、あまりことを良く知らないカトリック信者の躓きになるという反論に対しては、大聖グレゴリオの言葉をもって応えることにする。Melius permittitur nasci scandalum quam Veritas relinquatur.真理を裏切るより躓きが生じるのを許した方が良い。
4)関係法の違反においては、必要の状態によって
現実に要求される範囲の違反に止まり限度を超えてはならないこと。
規律を単に形式的に犯しつつもルフェーブル大司教は必要の状態が実際に要求するところを越えず、その範囲内に止まった。そしてルフェーブル大司教は必要の権利の許す枠内に置いて実際の行動を取った。
既に1987年4月27日、エコンの神学校の創立者、ルフェーブル大司教は自分の司祭たちにこう書いている。「まだカトリックとして残る信者たちは、多くの場所で絶望的な霊的状態におかれている。教会が裁治権を(補いの裁治権を)与えようと望んでいるのは、今聞こえているこの叫びであり、このような状況のためである。……そしてこの事実から、我々が呼ばれる所どこででも、我々がそこに行かねばならず、そして同時に我々が世界中どこにでも、ある国においてある地方において裁治権を持っているかのような印象を与えてはならない。そうしたなら我々は偽りの幻想的な基礎のうえに自分たちの使徒職を作り上げようとしていることになる。」そして更に付け加えて、もし将来、司教たちを聖別しなければならないとしたら、この司教たちはただ単に自分の聖職権を行使する司教の役目を果たすに過ぎず、教会法上に基づく使命(missio canonica)を持たないがゆえに裁治権に関してはなんら一切の権能を持たない。そして新しく聖別された新司教たちに再三繰り返して言った。「その司教職の伝達の唯一の目的は、本当のミサ聖祭のいけにえを続けるために司祭叙階の聖寵を授けるため、あなたたちに堅振の秘跡の聖寵を願う子供信者たちのために、それを授けるため、である。」ルフェーブル大司教は、教皇から直接にあるいは間接的にくる裁治権を新しい司教たちに授けるかのようにしたことは一度もない。教皇の持つその権を自分も持っているかのようにしたことは一度もない。ローマの位階制度の他にもう一つ別の位階制度を組織しようとしたことも、しようと試みたこともない。(ルフェーブル大司教によって聖別された司教たちは特に聖ピオ十世会の総長に服している。)ましてや、ルフェーブル大司教はもう一つ別の教会を作ろうなどとは全く念頭になかった。彼は自分が司教になったその聖別のとき天主から直接伝えられた聖職権を伝えようとしただけである。それはただ単に新しい司教たちが、霊魂たちのそして司祭職の候補者たちの必要の状態に助けの手を差し伸べることが出来るため、それだけのためである。そして正常な状態においては聖職権でさえも一定の決まった規律に従ってでしか執行出来ないのであるから、ルフェーブル大司教はこう付け加えている。「私はあなたたちにこのカトリック司教職の聖寵を授けた。それは遅からず、ペトロの座に完全にカトリックの教えを守る後継者が着くことを信頼しつつである。あなたたちは将来、自分の受けた司教職の聖寵を彼が確かに認証するように彼の手にゆだねることが出来るだろう。」
5)教皇の権威それ自体が疑問視されたことはない
これまでに見て来たことからも明らかなように、ルフェーブル大司教は教皇の権威それ自体を、その全体であれ、あるいはその特権の内のいくつかであれ、疑問視したり、疑問視しようと試みたこともない。彼がしたことは許されているように、教皇の職務と教皇その人(ペルソナ)とを区別したことである。そして教皇その人は、(悪意であれ、怠慢によるのであれ、盲目あるいは個人的な多かれ少なかれ責任のある偏見によるのであれ、ここでは問題ではない。天主がそれを裁いて下さる。)教会に害を及ぼすような指針をあるいは望み、あるいは促進させ、あるいは許し、カエタヌス言うように、“renuere subesse officio Papae”(自分固有の職務を果たすのを拒むこと)が出来るのである。
それだからこそ、教皇の許しなく司教聖別を執行するまさにその時、ルフェーブル大司教は将来の司教たちにこう書いていた。「私はあなたたちに厳命してお願いする。ペトロの座に、ローマ教会に、すべての教会の母にして教師であるローマ教会に、信仰宣言の中に表明された、トレント公会議の公教要理において表明された完璧なカトリック信仰において、神学校であなたたちが受けたその教えに、忠実に留まるように。」
人々は根拠もなく信じられないほどの軽々しさを持って言っていたが、人々がうわさするように、教皇の許しなきこの司教聖別は、教皇の首位権を否定するものでは全くなかった。それはただ単にこの司教聖別が本当の必要の状態によって動機づけられ、実際に正当化されるからではない。更に、霊魂の善のために取られたこの行為を、そして現代の状況がそれを必要としたこの行為を、もしそれが正常時であったなら、つまり、今日客観的に見て教会のおかれている非常事態という文脈を離れて考えても、教皇はそれを必ず認めていたと、全く合理的に予想出来予想して当然だったからである。なぜなら、キリストの代理者たるものが、健全な司祭の養成を受けることの出来る唯一の環境、それを除いて他に見いだすことの出来ない召命が咲き誇るカトリック神学校を死に追いやり排斥する等ということを望む・望み得るなどとは到底考えも及ばないからである。キリストの代理者たるものが、極度の霊的飢餓と煩悶のうちにかくも長期にわたり苦しむ無数の霊魂に助けを差し伸べることの出来る唯一のカトリック事業を、死に追いやり、排斥するということを望む・望み得るなどとは到底考えも及ばないからである。この司教聖別のおりにルフェーブル大司教は更にこう言っていた。「教皇は(その教皇としての職務において)カトリック司祭職が継続することを望むことしか出来ない。」つまり、カトリック教会が継続することを、望まない訳にはいかない、ということである。なぜならまさにカトリック教会を建てることこそが、教皇のすべての存在理由なのであるから。
破門
すべて以上に述べたことにより今はっきりと次のことが明らかになった。
ルフェーブル大司教の「離教」等というものは、かなりの悪意をもって、そして更に付け加えるなら、明らかな偏見をもって全く上っ面しか見ずに発表されたが、そんなものは存在していない。
必要の状態が必要の権利を作り出すので、そしてこれは新旧両方の教会法典の語るところだが、法律の形式的な違反をして罰されなくするので、ルフェーブル大司教は破門を受けない。
ましてや「ルフェーブル大司教の離教に同意しようと望む」信者たちも、破門にあたらない。なぜなら、まずそもそも離教など存在していないのであるから。
更に、「聖伝支持者」たちは、「離教」を支持・同意しようと全く望んでいないからである。いや、全く反対である。彼らの確固たる意向は、カトリック教会に留まらんがためにこそ、抵抗しているのである。彼らはルフェーブル大司教のその「ペルソナ」に従っているのではない。彼らは「右にも左にも」(脱出の書)逸れずにキリストとその教会に従おうと決心している。
もしも彼らがルフェーブル大司教に従い続けているとしたらだたそれは、sciunt vocem Ejus(ヨハネ10、4)彼らがこの牧者、ルフェーブル大司教の言葉において、彼らの永遠の牧者の声を、他のすべての、時において継続する牧者は自分の統治をこの永遠の牧者に合わせなければならない、その永遠の牧者の声を認めるからである。もしもこれらの信者が教会内の他の牧者に抵抗を示すとしたら、それは反乱したいからでも、不従順をしたいからでも、まして他のいかなる悪いもののためでもない。ただそれは「羊は知らない人の後を追わずかえって逃げるから、なぜなら彼らは知らない人の声を知らないから(ヨハネ)」である。
もし今日、教会の中に、パウロ六世もヨハネ・パウロ二世も認めるように、そしてラッチンガー枢機卿も同意したように非常事態があるとしたら、まさに牧者の声が、よそ者の声の中に隠れて細々しくなり、小羊たちはそれらの声のうちにもはや唯一の牧者の声、彼らの母なる教会の声を認め得なくなっているからである。主は使徒たちにこう言われた。「おまえたちの言うことを聞くものは私の言うことを聞く。」しかし、主は教会位階制度のメンバーに自分たちの気に入るように何でもしても良いという能力を授けた訳ではない。主がご自分の御父から教わったことを教えたように、教会もキリストから学んだことしか教えないものである。牧者たちのなすすべての変形、付け足し、逸脱、矛盾、等など、言い換えれば、あるべからず「個人的な」干渉は、教会に属していない。そしてもし教会の子供である我々が教会から離れたくないなら、『人となった御言葉』の花嫁と交わりを本当に保ちたいのなら、我々はこれらすべての逸脱を支持してはならないという義務がある。
結論
私たちは、ここ最近の教会の出来事がすべての信者にとって、反省と光の良き機会であることを期待し、祈りつつそれを望んでいる。
信者にとっては、彼らは自己聖化することによって天主に栄光を帰する固有の義務があることにもう一度気が付くように。そして、教会の牧者たちからこの目的に達するために必要なすべての手段を受ける権利が、すなわち、混じりけのない完全な教え・正しく執行された秘跡・曖昧でない正しくはっきりとしたカトリック信仰の宣言たる典礼などを受ける権利が、全く他に譲ることの出来ない権利があることに、もう一度気が付くように。
牧者たちにとって、彼らが霊魂たちに彼らの救いを遂げさせてあげるように必要なすべての手段を与えるという固有の義務があることにもう一度気が付くように。なぜならこの義務を果たすことによってのみ、羊の群れが彼らの言うことを聞き従うことを要求する権利が生じるのであるから。
すべての人のためには、もし「従順」の美徳で人間に従うとしたら、それは天主に従いたいからに他ならず、葛藤の生じた場合には、「人間よりも天主に」従わなければならない、という正確な「従順」の観念をもう一度確立するように。
ここから、もしも牧者たちが最近20年間そうし続けているように、キリストが与えもしなかった権能を、牧者の義務と相容れない権能を、《キリストから受けその教会によって受け伝えられて来た真理のただ1つでさえも黙り、減少させ、隠す権能》を、《たった一つの秘跡の執行でさえも変更させる権能》を、《曖昧な典令様式をつくりそれ一つだけを押し付けるという権能》を我が物顔にするとき、信仰のたった一カ条でさえも否定するよりは、あるいはまた、天主の掟のただ一戒でさえも犯すよりは、むしろ死を選ぶ義務のあるカトリック信者には、天主の御名に於いて、当局に抵抗する義務があるのである。そうしなければ、天主の御前で、彼らは、いかなる「従順」と言う美名さえもその多かれ少なかれ隠された離教を正当化することは出来ない。
(了)