カナのワイン 7 キリストの生涯における花嫁への愛

キリストの生涯における花嫁への愛

キリストの生涯と愛は、御父と花嫁に捧げられました。それはクリスマスに始まります。教会への愛のために、ご托身によって肉をとって人間となり、この状態にご自身を適合させられました。創造主と被造物の間の無限の距離を越えて、被造物と同じようになられたのです。

「私は、愛する者の来る声を聞く。ほら、彼は来る。山々を飛び、丘々を跳ねて。私の愛する者はかもしかのよう、子じかのようだ」【雅歌2:8-9

クレルヴォーの聖ベルナルドは、この聖句に主イエズス・キリストのご托身を見ます。ご托身において、花婿はどれほど大きな調整をし規律に身を委ねたことでしょうか。ベトレヘムでの花婿の清貧と謙遜は、同じ愛を思い起こさせます。花嫁と同じようになるために、花婿はあらゆることをなさったのです。

ナザレトでの年月をどのように過ごされたのでしょうか。それは祈りであり、労働であり、花嫁のための犠牲の年月でありました。他の夫たちは、まず職業を持ったり、事業を起こしたりすることを計画しましたが、イエズスはすべての行動を花嫁に向けられました。花嫁は常に花婿の人生における第一の要素でした。この30年間は、あらかじめ計画された愛と配慮の日々でした。

公生活の前にも、主は40日間を砂漠での断食に費やされ、花嫁のために祈られました。それは、教会の基礎を築く前、使徒たちを招集するときも同じでした。主はその夜を、花嫁のための祈りに費やされました。夫は妻の救い主ではないかもしれませんが、なぜ夫は妻のために心から祈らないのでしょうか。

主はどれほど優しく、何度も何度も花嫁の重荷を負われたことでしょうか。

「イエズスはペトロの家に来られた。ペトロの義理の母は熱病で寝ていた。イエズスはそれを見て、ペトロの義理の母に手を触れられると、熱は去り、彼女は起き上がって、彼らをもてなし始めた。夕暮れ時になると、人々が悪魔つきを大勢連れてきたので、一言で悪霊を追い出し、病人をすべて治された。こうして、預言者イザヤを通して語られたことが実現した。『彼はわれわれのわずらいを取り去り、われわれの病気の重荷を担った』」【マテオ8:14-17】。

それゆえ、イエズスの癒やしの奇跡は手品ではなく、イエズスがその重荷を担われた兄弟姉妹に対するイエズスの愛のみわざでした。そこには、同情と愛着に満ちた愛があります。

イエズスの全生涯についての解説を続けることもできますが、そうすると本書の継ぎ目が破れてしまいます。このことは、愛弟子である聖ヨハネがさりげなく述べています。

「しかし、イエズスが行われたことはこのほかにも多いが、一つ一つ記したなら全世界さえも、その書かれるべき本を入れることができまいと私は思うのである」【ヨハネ21:25】。

イエズスがなさったことはすべて、御父と教会に対する愛からなされたのです!

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