カナのワイン 6 天主の花嫁と花婿
6 天主の花嫁と花婿
明らかなことですが、キリストと教会がいかに婚礼のカップルを象徴しているかを思い出さなければなりません。
イエズスはすべての人を愛しておられ、すべての人のために亡くなられました。イエズスがすべての人を愛されるのは、すべての人を、ご自分の唯一の花嫁であるご自分の教会に結び付けるためです。イエズスのもたらす救い、赦し、聖なる愛はすべて、兄弟姉妹を教会に結び付けることを目的としています。
「私は自分の羊のために命を捨てる。また私には、この柵内にいないほかの羊もある。私はそれらをも連れていかねばならぬ。羊たちも私の声を聞き、一つの群れ、一人の牧者となるだろう」【ヨハネ10:15-16】
旧約聖書のある書はそれ全体が、天主の花嫁と花婿、キリストと教会の愛を描写しています。それはソロモンの「雅歌」です。クレルヴォーの聖ベルナルドが古典的な注釈を記しています。聖ベルナルドは、救い主とその教会の間に君臨する愛がいかに素晴らしく純粋なものであるかを明らかにしています。未熟な心は雅歌を誤解するかもしれません。それでも、聖ベルナルドの解釈は、私たちがよりよく理解できるように導いてくれます。
「愛する者よ、あなたは本当に美しい。本当に美しい。あなたの目は雌鳩のようだ」(雅歌1:14)。「乙女たちに交じる私の愛する者は、アザミの中のユリのようだ」(雅歌2:2)「愛する者は声を上げ、私に向かって言う。愛する者よ、雌ばとよ、美しい者よ、急いで起きよ、おいで。さあ、冬は過ぎ去り、雨はやみ、もう去った。土地に花が膨らみ、刈り込みの時期が来る。私たちの土地には、山ばとの声が聞こえる。イチジクの木は初めての実つけ、花畑のブドウは、その甘い香りを放つ。さあ、愛する者よ、起きよ、私の美しい者よ、おいで。岩の穴に、がけの切れ目に隠れる私の雌ばとよ、顔をお見せ、声をお聞かせ。あなたの声はやさしく、その顔は愛らしい」【雅歌2:10-14】。
「姉妹よ、いいなずけよ、あなたは、ただ一目で、その耳飾りの一つぶの真珠で、私の心を奪った、私の心を奪った。姉妹よ、いいなずけよ、あなたの愛は楽しく、心をひく、ぶどう酒よりも、あなたの香水の香りは、どんな香料にもまさる。いいなずけよ、あなたのくちびるは、野の蜜をしたたらせ、蜜と乳が、その舌の下にある。また、その服の香りは、レバノンのにおいのようだ。姉妹、私のいいなずけは、閉じられた庭園だ。閉じられた庭園、封じられた庭園、封じられた泉だ。あなたの流れは、ザクロの園をつくり、珍しい香りの精を持っている」【雅歌4:9-13】。
ソロモンの雅歌にあるこの言葉は、聖霊の霊感を受けたもので、花婿であるイエズス・キリストが花嫁である教会に対して抱く愛を描写しています。彼は彼女の美しさを喜びます。彼女は、この世のあらゆるものを超える、恩寵による神聖な美しさを所有しています。この美しさの素晴らしさは、聖ヨハネの黙示録の第12章にも描写されており、そこでは、教会が太陽に包まれた婦人として提示されています。私たちの目が太陽を長く見つめることに耐えられないように、輝きの中にある教会の美しさを見ることができれば、圧倒されてしまうでしょう! しかし、成聖の恩寵の状態においては、すべてのキリスト信者である妻が、この種の美しさを所有しているのです。なぜなら、秘跡を通して、妻は神秘的に教会の尊厳にあずかっているからです。
ここでソロモンの「雅歌」全体についてコメントを加えなければなりません。旧約聖書のこの書は、天の花婿とその教会との間の愛を描写しているからです。しかし、ここではそれができないので、個々の箇所で満足することにします。
「愛する者よ、あなたは本当に美しい。本当に美しい。…あなたの目は、はとのようだ。…姉妹よ、いいなずけよ、あなたは、ただ一目で、…私の心を奪った」【雅歌4:1,9】。
「愛すること」とは何でしょうか?それは愛の刻印です。愛する人は、愛のない人生を想像することができません。愛が彼の内面をとらえ、愛に打ちのめされ、愛することなしでは生きられないし、生きようともしません。このような状態をイエズスの聖心に見出すのではないでしょうか。私たちに対するイエズスの愛のゆえに傷つけられ、その傷は復活の後も常に存在します。
「姉妹よ、いいなずけよ、あなたは私の心を奪った!」。
イエズスは、もう二度と、ご自分の教会とともにいないことは望まれません。だからこそ、ご自分の花嫁である教会を、ご自分の永遠の家へと導かれるのです。
「女が乳飲み子を忘れることができようか。自分の胎の実を忘れることがあろうか。よし、忘れることがあっても、私は忘れない! 見よ、私はおまえを手のひらに刻み、おまえの城壁を、いつも私の前に置いた」。【イザヤ49:15-16】
主はその手に、花嫁に対する誠実さを刻み込まれたのです。いったいどれほどでしょうか!
イエズスの聖心をこれほどまでに虜にする教会の眼とは何でしょうか。イエズスの聖心をこれほどまでに歓喜させる教会の眼差しは何でしょうか。それは、イエズスに対する完全な単純さと愛で見つめる教会の信仰ではないのでしょうか。鳩のように無邪気であれ!この忠実なまなざしのゆえに、イエズスは教会のすべての願いと好意に応えてくださるのです。
「だから私は言う。祈って願うことはすべて、すでにかなえられたものと信じよ。そうすれば、そのとおりになる」【マルコ11:24】。
姉妹よ、いいなずけよ、あなたの愛は素晴らしく、ぶどう酒よりも甘い。教会は、イエズスの新しい掟を完全に果たしているところです。
「私があなたたちを愛したように、あなたがたちが互いに愛し合うこと、これが私の掟である」【ヨハネ15:12】
この天主の愛は人間的な愛を超えています。実際、天主が被造物の上に立つように、教会の愛はあらゆるこの世の愛の上に立ちます。花婿であるイエズスが、この愛に非常に心を奪われているのも不思議ではありません!皆さんは、この愛の偉大さをよく考えるべきです、なぜなら、それは婚姻の秘跡に再びみられるものだからです!
「愛する者よ、雌ばとよ、美しい者よ、急いで起きよ、おいで。さあ、冬は過ぎ去り、雨はやみ、もう去った。土地に花が膨らみ、刈り込みの時期が来る。私たちの土地には、山ばとの声が聞こえる。イチジクの木は初めての実つけ、花畑のブドウは、その甘い香りを放つ。さあ、愛する者よ、起きよ、私の美しい者よ、おいで」【雅歌2:10-13】。
イエズスはご自分の花嫁を、天国で永遠にご自分と共にあるようにと呼んでおられるのです。旧約聖書の冬の季節は過ぎ去り、恵みの雨が大地に降り注ぎ、大地は最初の実を結ぶのです。
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