カナのワイン 4 婚姻の秘跡の効果

4 婚姻の秘跡の効果

婚姻の秘跡において、キリスト教の結婚は、キリストと教会の結婚の継続、拡大を形成します。私たちはこのような拡大について、木や低木の小枝でよく知っています。小枝は木の延長であり、増加であり、付加であり、さらなる発展です。木はその小枝で生命を伸ばします。

洗礼を受けた二人は、結婚によって結ばれます。洗礼によって、二人はすでにキリストの神秘体の一員であり、キリストのうちにあり、教会のうちにあります。 結婚式において、二人の結びつきは、秘跡を通して、キリストと教会の絆に結ばれた枝の芽生えとなります。イエズスは言われました。

「わたしはぶどうの木で、あなたたちは枝である。」 (ヨハネ15:5)

この言葉は、結婚した夫婦にとって特別な意味を持ちます。彼らの結びつきは、単に象徴的な結びつきではなく、天上の花嫁夫婦であるキリストと教会との生きた結びつきに立っています。有名なカトリック神学者マティアス・シェーベン(Matthias Joseph Scheeben (1835 – 1888) )は『キリスト教の神秘』(Mysterien des Christenthums)の中でこう述べています。 「しかし、キリストと教会との契約におけるキリスト教的結婚の位置づけは、教会から枝分かれした新しいメンバーとして示すのが最も正確であろう。」

これを正しく理解するならば、結婚にとって非常に重要な意味を持ちます。もし二人の配偶者がキリストと教会の象徴やイメージ「だけ」であるならば、自分たちの結婚にそこから多くを得ることは難しいように思われます。結婚しているカップルは、そのことに感謝はしても、そこから自分たちの結婚生活への実際的な影響を引き出すことはほとんどないでしょう。彼らの結婚は、多かれ少なかれ、民法上の結婚と同じようなものになるでしょう。

しかし、自分たちが永遠の理想的な新郎新婦であるキリストと教会と決定的に結びついていることを理解すれば、まったく違ってきます。そのとき、彼らはこの天の夫婦の生活に参加し、彼らの愛にあふれ、彼らの尊厳によって高められ、全能の天主に世話され、支えられるのです。彼らは、ご自身の御子のために永遠の婚宴を準備される天主の協力者となるのです。

こうして二人は結婚することで、天主の計画、すなわち全能の天主が世界を創造し救った理由と密接に結びつきます。最後に、愛が減少するのではなく、増加するという視点があります。夫婦はもはや宗教から切り離されて結婚生活を送るのではなく、父なる天主の目にいれても痛くないほど愛された花嫁と花婿において、庇護され、養われ、守られるのです。

木がなければ枝がないように、キリストに焦点を当てなければ枝がないように、結婚式の日に新婚夫婦をつなぐものを理解することはできありません。それは洗礼からだけでなく、特に婚姻の秘跡からもたらされます。

フルトン・シーン司教は、こう書いています。「ほとんどの人生は、蝶番のないドア、袖のないコート、弓のないバイオリンのようなものだ。つまり、人生に意味を与える全て、あるいは目的と関係なく人生を送っているからだ」と。

キリスト者の結婚は、結婚がキリストと教会の結びつきと一体であるという事実を理解して初めて理解できます。

ワイン醸造家がブドウの木の小枝を刈り取ったり、高い位置で束ねたりします。それは枝に対してだけなのか、それともブドウの木そのものに対してなのか。枝の間をそよ風が吹き抜けるとき、それは木そのものにも影響するのではないでしょうか。一方、鳥が木の上に座るとき、その鳥も枝の上に座るではないでしょうか。誰かが枝を折ったら、その枝も木を傷つけるのではないでしょうか?

医者が傷の手当てをするとき、彼は患者を助けるのであって、自分の傷ついた手だけを助けるのではありません。もし私たちが誰かの目を見るなら、その人を全体として見ます。部分に起こることは全体に起こります。

このことから、キリスト教的結婚の尊厳が見えてきます。キリスト教の配偶者は、キリストと教会の尊厳に与っています。実際、彼らは人類の歴史全体を通して存在する偉大な神秘の一部であり、天主の偉大な計画に直接つながっており、それに接ぎ木されているのです。

ここで強調したいのは、キリスト教の結婚は、永遠の花嫁と花婿の象徴やイメージにとどまらないということです。このイメージを超えて、私たちはキリスト教の配偶者と永遠の花嫁という夫婦の間に、ちょうど枝と木の間のような超自然的な命のつながりを見出すのです。
夫はキリストの代表であり、妻は教会の代表です。夫が妻にすることは、キリストが愛しておられる教会全体に対してすることなのです。妻が夫にすることは、キリストご自身にすることなのです。ですから聖パウロは直接こう言いました。
「妻は主に従うように夫に従え。」(エフェゾ 5:22)

結婚生活における愛にはどのような意味があるのでしょうか!愛の言葉、しぐさ、気配りの一つひとつに大きな価値があります。実際、結婚生活における愛は、配偶者が天主に対して抱く愛に等しいと言える。幕屋の前でお辞儀をしても、家では冷淡で嫌悪感を抱くことはできません!この冷たさは、つい30分前に礼拝された聖なる花婿ご自身を怒らせます。イエズスの言葉を思えば、驚くにはあたりません。
「わたしの兄弟たちの中で最も小さい者であるこれらの者の一人のためにしたのであれば、わたしのためにしたのです。」(マテオ25:40)

この言葉は、結婚において特別な意味を持ち、成就します。

キリストと教会という花嫁のカップルとのこの結びつきには、もうひとつの励ましの側面もあります。枝は一人で実を結ぶ必要はなく、常に幹に頼ることができます。イエズスがカナの夫婦にあれほど多くのぶどう酒を贈られたのは、彼らが自分たちの力ではなく、天主の愛によって愛し合うべきですからではないでしょうか。それは、大きな落ち着きと深い信頼を予感させます!