カナのワイン 17 祈りと犠牲の生活

17 祈りと犠牲の生活

この相互参加の頂点に達するのが聖なるミサの祭儀です。

すべての聖なるミサは、実際、出席者のわざであるだけでなく、教会のわざなのです。それは、花婿であるイエズス・キリストと一致したキリストの花嫁が本当にいることを意味します。

この花婿もまた、本当に出席【現存】しておられるのです。私たちの主は、ご自身の全生涯のみわざを教会の手に委ねておられます!

一方で、教会は、自分の全生涯、全存在、十字架、喜び、悩み、願い、思いを、花婿のものと一致させます。両者は御父の前に共に立ち、御父は両者を限りない恵みで祝福されます。

ここにおいて教会は御父の言葉に耳を傾け、御父は教会の祈りに耳を傾けられます。キリストは教会を思い、教会はキリストを思います。

ここにおいて両者は無尽蔵の深さの共通の命を共有します。

ここにおいてキリストは、十字架上のご受難の永遠に続く更新、教会への献身を通して愛を示されます。

ここにおいて教会は自分のすべての愛をもたらし、天主の愛の炎に加わります。

「しかし、主につく者は彼と一つの霊になる」【コリント前書6:17】。

ミサの典文の終わりに、私たちの主イエズス・キリストご自身とともに、キリストへの終わりなき礼拝を捧げることができるのは、教会にとって大いなる名誉です。

Per ipsum et cum ipso at in ipso est tibi Deo omnipotenti in unitate Spiritus Sancti omnis honor et gloria.―彼によって、彼とともに、彼において、全能の父なる天主よ、聖霊との一致において、御身はすべての誉れと栄光とを受け給う」。

私たちはここに、教会と私たちの主イエズス・キリストが分かちがたく一致しているのを見ます。両者が永遠に共にいないことは想像できません。同様に、キリスト信者の夫婦の離婚も想像できないのです。

考えてみれば、キリストと教会は、聖なるミサを挙行することによって、その絆を更新します。

第一のアダムが深い眠りについていたとき、天主はその脇から妻になるエワを創造されました。キリストの脇が開かれ、水と血が流れ出たとき、キリストの花嫁である教会が誕生しました。その瞬間が教会の誕生だったのです。

聖なるミサが十字架上のご受難の更新であるならば、それはキリストの刺し貫かれた脇からの教会の誕生の実現でもあります。したがって、キリストと教会は、聖なるミサにおいて永遠の一致を強め、更新するのです。

このことは、結婚した夫婦にとって、とても励ましになります! 夫婦が聖なるミサにあずかれば、結婚の原点に立ち戻ることができます。枝は幹と出会います! 幹がミサにおいてその命を強めるように、キリスト信者の結婚もまた、ミサにおいて更新され、よみがえります。

ここで、祭壇において、キリストはカナのより良いぶどう酒を与え、そのぶどう酒の中で夫婦は聖なる喜びと深い安心のうちに結婚生活を続けることができるのです。「私はぶどうの木で、あなたたちは枝である。私がその人のうちにいるように私にとどまる者は、多くの実を結ぶ。私がいないと、あなたたちには何一つできぬからである」【ヨハネ15:5】。

「キリストの愛が私たちをしめつける」【コリント後書5:14】。キリストの愛は、キリストと教会にあるものを追い求めて生きるよう、夫婦を駆り立てます。このお互いへの愛、このお互いへの共感、このお互いのために生きることを、夫婦は追い求めなければなりません。同じ愛、同じ相互関係、同じ秩序が夫婦にあるべきなのです!

聖なるミサにおいて、キリストと教会は、時を超えて共に十字架を担っています。夫婦もまた、それに参加します。ルフェーブル大司教はこう言っています。

「カトリックの結婚の持つ力を説明するものは、夫婦がミサの聖なるいけにえに視線を向け、結婚もまた十字架であることを知ることができるからです。結婚は、私たちの主の十字架上のご受難の更新である聖なるミサのいけにえの上に築かれなければなりません。それゆえ、夫婦は結婚生活の困難を共に担うでしょう。いけにえと十字架を脇に置いた瞬間、私たちは罪に陥るのを避けることができなくなるのです」。

聖なるミサにおいて、私たちは、キリストと教会がどのように互いの前に立っているのかを改めてはっきりと見ることができます。典礼において、「誰が誰を導いているのか」と問うならば、教会を導いているのは私たちの主イエズス・キリストであること、教会はイエズス・キリストに服従していることは明らかです。主は教会を愛しておられ、教会のためにご自分の命を与えておられますが、まさに主がかしらなのです。

このように、ミサにあずかることは、天主が夫婦のために望まれた結婚生活での秩序の精神を、夫婦が更新する機会なのです。

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