カナのワイン 11 イエズス・キリストの花嫁であるカトリック教会
11 イエズス・キリストの花嫁であるカトリック教会
夏の日に、海の前や湖の前に立つと、太陽の光が波に反射して、何千もの小さな光が映し出される様子に何度も魅了されます。それは、イエズスの聖心の愛に応える教会の愛を表すものです。すべてのキリスト信者とすべての聖人の愛は、イエズス・キリストの燃えるような愛への応答です。キリストの揺るぎない、底知れぬ愛は、千倍にも百万倍にも反射されて輝き、天へと戻っていくのです。
この教会の愛の一致は、別の側面からも見ることができます。「苦難の教会」、「戦闘の教会」、そして「凱旋の教会」に見られるすべての心について、一つずつ、しばらくの間一緒に考えてみましょう。
まず、煉獄のすべての霊魂です。彼らに共通の切なる願いとは何でしょうか。それはただ、イエズスと一緒にいるという願いです。「私はイエズスと一緒にいたい!」。このただ一つの願いが、煉獄のすべての霊魂に満ちています。そして、それ以外には、何の願いも何の望みもありません。このイエズスを求める共通の強い切なる願いを想像し、感じてみましょう!
この燃えるような願いに、今日生きている成聖の恩寵の状態にあるすべての人間の愛を加えましょう。愛に満ちた決断力によって私たちに霊感を与える人々に、私たちはいかに頻繁に出会うことでしょうか! 家族のために愛を込めてあらゆることを行う父親や母親、あるいは、病人のために自らを犠牲にし、病人に欠けるものがないようにする機転と不屈の精神と優しさを持つ人々。このような人々の愛は、キリストの唯一の花嫁の愛を豊かなものにします。これに加えて、あわれな霊魂たちの切なる願いに対する、これらの何千、何百万という人間すべての愛があります。これは、もうすでに驚くほど美しい共通の愛です。この愛は教会に属しているものです。
この一つの大きな愛に、私たちは、永遠に救われている天国のすべての霊魂の愛を加えます。それらは、私たちが諸聖人の祝日にお祝いする霊魂たちです。彼らも、何を望んでいるでしょうか。それは、イエズスが愛され、賛美され、尊ばれることです。
「その後、私は、すべての国と民族と民と言葉の、おびただしい数えきれぬ大群衆が現れるのを見た。彼らは白い服をつけ、手にしゅろの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立ち、大声で叫んで、『救いは玉座に座られるわれらの天主と小羊のものである』と言った」【黙示録7:9-10】。
この数えきれぬ群衆の愛は、教会の愛の一部です。その愛は、煉獄や地上にいる心や霊魂と組み合わさって、イエズスへの愛の壮大に燃え盛る炎となります。このことが花婿なるキリストに与える喜びは、どれほどでしょうか! 「天主、主はおまえのうちにおられる。主は助けを下す勇士であり、喜びのうちに、おまえのことを楽しみ、愛のうちにおまえを新しくつくりなおし、おまえについて、喜び勇まれる」【ソフォニア3:17】。
しかし、これでもまだ教会の愛を完全には表現できません。煉獄からの、地上からの、そして天の救われた人々の霊魂からのこの愛の炎に、天にいる聖人たちの愛も加えなければならないからです。例えば、聖ドン・ボスコですが、彼について、「天主は彼に海岸のように広い心を与えられた」と言われています。壮大なイメージです! この広い心を満たすものは何でしょうか。イエズスへの愛です! この高潔な愛が、トリノのオラトリオの少年たちにドン・ボスコへの限りない信頼を抱かせたのです。
あるいは、側近たちが「燃える炎」と呼んでいた聖ピオ十世を例にとりましょう。第一次世界大戦が始まると、民衆への悲しみが彼の心を打ち砕き、彼はそのために亡くなりました。
あるいは、疲れ果てるほど病人に奉仕したシエナの聖カタリナです。イエズスの愛のために完全に身を捧げたため、夕方には家に帰る力もほとんどないほどでした。
諸聖人のこの愛を、教会の愛の炎と合わせましょう。
しかし、煉獄、地上、そして天国における教会のこの力強い炎でさえ、まだ完全ではありません。教会の愛は、マリアの汚れなき御心の言語に絶する愛によって冠を受けるのです。マリアは天主の愛の太陽をまとった婦人です。マリアの汚れなき御心は教会の心なのです。
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