第十話「現代エキュメニズムの問題とは何か?」
聖ピオ十世会について:第十話「現代エキュメニズムの問題とは何か?」
最近の教皇たちは多くのエキュメニカルなイベントに参加し、組織すらしています。しかし、エキュメニズムは教義的な問題また司牧的な問題を引き起こしています。このビデオではこの問題について説明します。
エキュメニズムとは全世界的な宗教の一致を求めることを意味しています。カトリックの教えと近代主義とでは、ちょうど「信教の自由」について異なった理解をしているように、エキュメニズムについても違ったやり方でアプローチしています。何故なら、真理とは何かということについて異なった理解をしているからです。
近代主義によれば、宗教に関する知識は個人から生まれる、とされます。この知識は、良心の主観的な衝動として、人の内面から湧き上がる、とされます。そうすると、すべての宗教は、人間の生まれつきの宗教的な本能を、いろいろなやり方で表したもの、またそれを意味することになります。ですから、近代主義によれば、宗教というものはどんなものであっても、多かれ少なかれ、良いものであり賞賛に値する、とされます。
そうなると、人間がそれぞれ違っているだけ、天主についての理解もさまざまで多くの見解が存在することになります。すると、真理に関するさまざまな概念や天主に関する概念、これらは全て人間精神の正当な表現とされますから、尊重されなければならないことになります。互いの対話を通して、いろいろな宗教者らはに理解しあい、尊敬しあうようになり、今度は、これが健全な平和と妥協を促進するとされます。
他方で、カトリック教会は、カトリックこそが天主によって直接に啓示された唯一のまことの宗教であると教えています。つまり、カトリックの信仰だけが、永続する幸福とまことの平和をもたらすことができるのです。それは単にこの地上に生きている人々の間だけでなく、さらには、天国において永遠に、天主と人間との間に幸福と平和とをもたらすのです。
天主は、全ての人々がこの真理と幸福を所有することを欲しておられます。そこで、カトリック教会にできる限り広くその教えを広め、教会が存在しているということをあらわす義務を授けました。この教えは天主ご自身に直接に由来していますから、いっさいの誤りや偽りがありえません。ですから、教会は、愛をこめてすべての霊魂たちが誤謬を放棄して真理を受け入れるようにと励ますのです。それは、全ての人々の善のためです。
ですから、イエズスはすべての霊魂たち(人々)を回心させるという使命を教会に委ねて、こう言われました。「だからあなたたちは諸国に弟子をつくりにいき、聖父と聖子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、私があなたたちに命じたことをすべて守るように教えよ」(マテオ28:19、20 )と。
カトリックの教えは、天主の権利を掲げ、人々の回心を促します。ところが、近代主義は対話と妥協を追求します。対話とエキュメニズムというこの新しい考えは、19世紀のさまざまな教皇たちが断罪していた新しい主張の一つです。それにも関わらず第二バチカン公会議によって導入されてしまいました。これは今、人々に大きな混乱を引き起こしています。アシジの祈祷集会のような、多くのエキュメニカルな儀式が繰り返されることで、この新しい教えは盛んになりました。
しかし、このような儀式は、私たちの唯一の救い主であるイエズスを本当に侮辱するものです。
しかも、これによって、カトリックではない方々は、誤謬のうちに取り残され、救われるための励ましも与えられません。ですから、そのような方々をも侮辱するものです。
この問題ついて、さらに理解を深めるために、ルフェーブル大司教の「教会がどうなってしまったのかわからなくなったカトリック信者の皆様へ」をお読みになることをお勧めします。インターネット上で日本語で読むことができます。
もう一つお勧めの素晴らしい資料に「エキュメニズムから沈黙の背教へ」があります。これもインターネット上で日本語で読むことができます。(マニラのそよ風 224~226号)
また「教会の危機についての公教要理 Catechism of the Crisis」を読むことをお勧めします。英語です。アンジェルス・プレスで入手可能です。