第七話「第二バチカン公会議以降の新しいミサとはなにか?」
聖ピオ十世会について:第七話「第二バチカン公会議以降の新しいミサとはなにか?」
今日、カトリック教会の中で、最も論争の的となっていることの一つは、新しいミサ、「ノヴス・オルド・ミセ」の問題です。このビデオでは、この問題を探っていきたいと思います。
この「ノヴス・オルド・ミセ」(ミサの新しいやり方)は、1969年に教皇パウロ六世によって導入されました。
この新しい典礼様式を作り上げるために担当した典礼学者はアンニバレ・ブニーニ大司教(1912 – 1982)で、彼は、新しい典礼の主な意図が、第二バチカン公会議で採択された新しいエキュメニズムを実施できるような典礼をデザインすることだと明らかにしました。
彼は1965年にこう言いました。「私たちは、私たちのカトリックの祈りから、そしてカトリックの典礼から、別れた兄弟達、つまりプロテスタントたちにとって、躓きの陰となるかもしれないものは全て取り除かなければならない。」
このエキュメニカルな目標を達成するために、アンニバレ・ブニーニは6人のプロテスタントの牧師の助けを求めました。
人間に焦点を当てる
新しい典礼様式では、天主よりも人間がもっと中心になりました。司祭と信徒は、キリストの愛の現存を互いに分かち合うために、食事に集(つど)います。
人間中心の典礼を作ろうとするこの願望は、ミサに顕著な変化をもたらしました。例えば、各国語の使用、「会衆に向かう対面ミサ」の導入、平信徒の役割と司祭の役割の同一化などです。
聖体の秘跡さえも、教会の目に見える中心から取り除かれ、今では主祭壇から離れて見えないところに置かれることが多くなっています。
また、聖体奉仕者、手による聖体拝領、女性の侍者など、多くの乱用が導入されています。第二バチカン公会議の文書で規定された、グレゴリオ聖歌は「重要な地位」を与えられるべきである、ということさえ無視されています。
これらの変化の結果はいろいろと多くある中で、とりわけ司祭・修道者の召命の数が驚くほど減少し、毎週ミサへ出席する者の数が減少しました。聖体拝領の前の重要な準備としての秘蹟による告白も、着実に減少しています。
天主に焦点を当てる
これに対して、聖伝のミサは、天主への礼拝とミサが犠牲(いけにえ)であるという真の性質に焦点を当てています。カトリック教会は、イエズス・キリストが司祭を通して、人類のすべての罪を贖うために、御体と御血を御父にささげていることを教えています。御聖体拝領は、この犠牲(いけにえ)の結果であって、罪の償いのための犠牲(いけにえ)の効果を受けることを許すということです。
天主を礼拝するために、ラテン語などの聖なる言葉を使うこと、天主への愛に満ちた私たちの服従を示すための多くの敬意と礼拝の印、祭壇でキリストの代わりを務める叙階された司祭の特別な役割、ひざまずき、舌の上でなされる、敬虔で謙遜な聖体拝領、畏敬の念を抱かせる聖歌、これら全ては、ミサがいかに私たちを天主へと導いているかを示しています。
聖伝に立ち戻る
聖伝の形式の典礼に戻ることで、召命の増加、主日(日曜日)や毎日のミサへの出席率の向上、悔悛の秘蹟の頻度の増加、典礼が聖なるもので犠牲的な性質をもっているという事実に対する意識の高まりなどが、常にもたらされてきました。
聖伝のミサとそれが伝えるすべての教義は、キリストにおいて、すべてのものを真の意味で回復するための手段なのです。
おすすめの資料
この問題についての理解と洞察を深めるためには、「典礼改革の問題」"Problem Of the Liturgical Reform "や、Angeluspress.orgで入手できる短いリーフレット「なぜラテン語のミサなのか?」 "Why the Latin Mass? "をお読みになることをお勧めします。
新しいミサの詳細な分析については、Michael Davies著『教皇パウロ六世の新しいミサ』Pope Paul's New Mass(AngelusPress.org)をお読みになることをお勧めします。
もう一つのお勧めの情報源は、マルセル・ルフェーブル大司教の「永遠のミサ」 "The Mass of all time "を読むことです。この本も、Angeluspress.orgで入手できます。
また、DVDを見るのもいいでしょう。「キリストの兵士たち:戦いは続く」"Soldiers Of Christ-The Battle Continues "をご覧ください。