第四話「聖ピオ十世会の歴史」(前編)

聖ピオ十世会について:第四話「聖ピオ十世会の歴史」(前編)

このビデオで、聖ピオ十世会の始まりを振り返ってみましょう。聖ピオ十世会の歴史は、ちょうどカトリック教会の歴史のように、美しい神秘です。両者とも、多くの挫折と不確実性があったにもかかわらず、繁栄し続けています。そのつつましい始まりから、聖ピオ十世会は急成長(指数関数的に成長)し、今日、世界中でカトリック信仰を宣言しています。

伝統的な司祭養成を受けることを求めていた若い青年たちの度重なる要望に応えて、マルセル・ルフェーブル大司教は、1970年11月1日に聖ピオ十世会を設立しました。

ルフェーブル大司教は当時65歳で、ダカール大司教、フランス語圏アフリカ教皇使節、聖霊修道会総長としてカトリック教会に奉仕していた経験がある人でした。

こうしてスイスのエコンにある新しい神学校にて、11人の若者たちは大司教の指導の下で学び始めました。フリブールの地元の司教は、この新しい神学校がカトリック教会に大きな利益をもたらすと確信し、公式の認可を与えました。

しかし、この新しい司祭修道会の創立目的は、ローマでさえも、あまり理解されませんでした。
大司教がミサの改革を受け入れず、聖伝のミサを維持したために、多くの人は、大司教が教皇に反旗を翻(ひるがえ)したのではないかと考えました。

しかし、ルフェーブル大司教は、それどころか自分は教皇に従順に従っているだけだと主張し、自分はカトリックの変わらず途切れることのない聖伝を続けているにすぎないと主張しました。

大司教は聖伝の典礼様式のミサを愛し、このミサこそが、聖なる司祭たちの養成のために、どれほど有益であるか、しかも、絶対に必要であるかを自分の経験から知っていました。実際のところ、新しい各国語でのミサの様式は許可されただけで、聖伝のミサは決して廃止されませんでした。

大司教が反対した他の近代的な流れは、エキュメニズム、団体主義でした。エキュメニズムとは、すべての宗教が有益で有効だとみなす考え方です。団体主義とは、主に民主的なプロセスと司教評議会とによって教会を統治することを主張し、全世界の教会の唯一の頭(かしら)である教皇の権限を制限すること、また、各司教の司教区内での自律性を制限することを主張します。

ルフェーブル大司教のこれらの問題に対する強い姿勢は、ローマ当局を喜ばせませんでした。何故ならローマは、新しい各国語のミサだけがリベラルで近代的な教会の中で栄えることを望んでいたからです。そこで、聖座から訪問者(apostolic visitors)が二名、1974年にエコン神学校を公式に視察しました。

視察者たちは、エコン神学校での高い学問的水準と神学生たちの敬虔さに感銘を受けました。二人の唯一の不満は、新しいミサの儀式が捧げられているのを見なかったことだけでした。彼らはこうして、高評価で好意的な報告書を教皇に持ち帰りました。

聖ピオ十世会についてもっと深く知りたい方は、英語では聖ピオ十世会の歴史のDVDがあります。The DVD: Forty Years of Fidelity, A History of The Society of St. Pius X

また英語では
「聖ピオ十世会についてもっとも聞かれる質問とその答え」
Book: “Most Asked Questions Of SSPX”
あるいは
「選び抜かれた質問と答え」
Book: “The Best of Questions and Answers"
などもご覧ください。

詳細については、http://sspx.org/faqvideos をご覧ください。